「え、じゃあ和音君、あそこのスタジオでドラム習ってるの? 僕たちもたまに使ってるんだよ」
「はい。先生は優しく教えてくれるんですけど、なかなか上達しなくてだめだなって……」
「ああ、あいつ褒めて落とすタイプだから。タチ悪いんだよ」
 気がつけば、段ボールの山の間に出来た空間で宴会が始まっていた。まだ書類も書き終わっていないのにすっかり僕もスタッフとして扱われて、もう一ファンではないんだ、四人への呼び方も変えなければいけないんだ、と不思議な気持ちでコーラを受け取る。
「和音君、未成年なんだっけ。来年になったら飲みに行こうぜ」
「ありがとうございます」
 詠汰さんも奏さんも歌維人さんも、僕が緊張しないようにいろいろ話しかけてくれる。響也さんはと言えば、決して口数は多くないけれど楽しそうに合いの手を打っていて、らしいなあと思う。
 
「癖ついちゃうとドラムだこなかなか治らないよね」
 それ、とコーラのペットボトルを持つ人差し指のつけ根を響也さんに見つけられた。
「俺もある。だいぶ消えたけど」
 うっすらと残る共通の痕を響也さんは見せてくれた。
「響也さんもドラムやってたんですね」
「今もたまに叩いてるよ」
「ブラックスワン時代から大切にしてるやつな」
 奏さんが混ぜっ返してきて、だからやめてくれ……と響也さんは肩を震わせて俯く。他の二人も、ここぞとばかりに身を乗り出してきた。奏さんがにやにやしながら口火を切る。
「大学の頃、響也は遅い反抗期でさ。ヴィジュアル系のバンドでドラム叩いてたんだよ。化粧までしてさ」
「俺も見に行かされた。やたら音だけデカいやつ」
「僕もチケット何枚買わされたかな」
 歌維人さんと詠汰さんはひとつ年下だから、断れなかったのだろう。睨む二人に、響也さんはごめんごめんと謝る。
「次のライブで流そうかな。響也のブラックスワン時代の映像」
「残ってるのか?」
「うそー」
「やめろよ、心臓に悪い」
 こんなに笑ったのは久しぶりかもしれない。きっとどうにかなる。ここで頑張ってみよう。家のことや将来のことで悩むのはそれからだ。

「遅くなっちゃったね。家、大丈夫?」
「大丈夫です。大学生ですし」
「明日も早いんだよね。タクシー捕まえる?」
「乗り換えを覚えておきたいので、地下鉄で帰ります」
「無理しないでな」
「ありがとうございます」
 最寄り駅の地下鉄入り口を教えるからと、響也さんが事務所を出て案内してくれることになった。
周りを気にする風でもなく普通に街を歩く響也さんと、その隣に並んで歩いてる自分という、この光景が不思議で仕方ない。
「あのぉ」
「ん?」
「帽子とかかぶらなくて大丈夫ですか?」
 質問の意味が分からなかったのか少しの間僕を見つめると、響也さんは楽しげに声を上げて笑った。
「だれも気にしてないから大丈夫。和音君は面白いね」
「面白い……ですか?」
 憧れの響也さんから見つめられたことにどぎまぎしながら、何とか言葉を絞り出す。
「高杉さんから履歴書を見せてもらって話を聞いたら、行動力があってすごいなと思ったよ」
「そんなこと……ないです」
「高校の時に、音楽コンテストにエントリーしたって聞いたよ」
「予選で落ちましたけど……。でも『スタート』を聞いて、挑戦してみようって思ったんです。ドラムをやめようと思った時もエンシオの歌で何回も励まされたし、みんなと音楽をやれるのはとても楽しかったし。だから僕が頑張れるのはエンシオのおかげで、その」
 あれ、エンシオのメンバーである響也さんに向かって何を言っているんだ僕は。はっと我に返ったとたん、顔から火を吹いたみたいに熱くなるのが分かった。