音楽プレーヤーの再生ボタンを押した。流れてきたのは、ピアノだけでメロディを弾いたシンプルな曲。少しして、僕の耳に響也さんの歌声が優しく響いてきた。
 それは僕にあてて書かれた歌だった。
 仕事の調整だって大変だったに違いないのに、毎日病院に顔を出してくれて、僕が戻りやすいように環境を整えてくれていたという響也さんが、僕のためにこんな歌を作ってくれていたなんて。
『僕の声が、君の言葉になる』
 響也さんがピアノを弾きながらメロディラインを歌う。たぶん後にも先にも、響也さんのメインボーカルを聞けるのはこの曲だけだろう。
 父さんのドラムセットがなくなってやる気を失っていた僕に、ドラムを続けたいと思わせてくれた声。人より上手くなりたいと焦ってばかりいた僕に、前進する力をくれた声。声が聞こえなくなかった僕に、ちゃんと聞こえるよと伝えてくれた声。

 この声に出会った頃のことを思い出していた。その黒縁眼鏡の人は、他の三人に比べて目立たないポジションではあるけれど、この人がいなかったらたぶんこのハーモニーは成立しないだろうと、あの頃音楽をちょっと齧っていただけの僕にも分かるくらい、エンシオの大きな柱になっていた。
 周りを活かすことが自分の音楽。みんながいて、自分がいる。そうやって成り立っている。やっぱり僕はこの世界が好きだ。それを教えてくれた響也さんが好きだ。この気持ちを力に変えて、可能性がゼロではないのなら、もう一度ドラムにチャレンジしてみよう。やれるところまでやってみよう。
『君の声は、いつも僕を強くする』
 音楽プレーヤーの中から、響也さんの声がそう僕に伝えてくれている。
 僕も強くなろう。響也さんの声がいつも僕を強くしてくれる。僕はスマホの連絡先から、響也さんの名前を選んで、メッセージを送った。
『お久しぶりです。曲を聞きました。ブラックスワンのドラムを、もう一度使わせてもらってもいいでしょうか?』
 しばらくして返信が返ってきた。ブラックスワンのステッカーの画像と、響也さんの優しい声で脳内再生される一言。
『もちろん』

「和音―! 久しぶりだね!」
「コーラ冷やしてあるぞー」
 事務所のあるビルの一階で、歌維人さんと詠汰さんが待っていてくれた。エレベーターに乗り、スタジオのあるフロアを通り抜けると、事務所は……引っ越した当初かと思うくらい散らかっていた。
「え……?」
「あ、和音君!」
「和音!」
 高杉さんと奏さんが慌てて事務所へ駆け込んできた。
「和音が休んでる間、俺たちで何とかしようと頑張ってたんだけど、どんどん散らかってっちゃってさ」
「電話でも言った通り、週三、いや週二でも良いので、手伝ってくれるとありがたい」
 二人の表情はけっこう本気で切羽詰まっているようで、響也さんから聞かされていた内容が嘘じゃないことを物語っていた。

 もちろんというメッセージのあと、スマホに着信があった。響也さんからだった。
「和音、久しぶり」
「……すみません。れんらく、できなくて」
「和音に任せるって言っただろ。だけど、聞いてくれて嬉しい。ちょっと恥ずかしいけどな」
「すごく、すてきでした。きょうやさんのメイン、きけてうれしかったです」
「ははは、特別。和音だけにな──元気そうな声が聞けて良かった」
 特別と言ってもらえたことが嬉しかったのと、何か張り詰めていた糸のようなものが切れた感じがして、思わずスマホを握りしめた。ぼろぼろと、涙が止まらなかった。
「和音? 大丈夫か?」
「……だいじょうぶ、です……。ずっと、こわくて……」
「そうだよな。怖かったよな」
「でも、このうたをきいたら、こわくなくなりました」
「そうか。それなら良かった」
「……きょうやさん、ぼく、またドラムをやりたいんです。でも」
「うん。そう言うだろうと思って、和音が習っていたイントラ、あいつに相談してさ。やっぱり本物のドラムセットだと耳への負担が大きいから、しばらくは、スティックの跳ね返りや打感がなるべくリアルに近い練習パッドでやってみたらどうかって。和音の聴覚リハビリで許可が下りたらの話だけどな。無理のないペースでまたレッスンに通えばいいってさ。ブラックスワンの方はちゃんとチューニングをして、いつでも和音に使ってもらうのを待ってるから」
「ありがとうございます。びょういんできいてみます」
「肩と足は?」
「そっちはもうだいじょうぶです。なるべくあるいたりトレーニングをしたりしています」
「そうか……そしたらさ、和音にひとつお願いがあるんだけど」
「なんですか?」
「助けてほしいんだ、うちの事務所」