「ねぇ和音。このグループ、和音のアルバイト先の方たちよね」
 リハビリを終えて帰宅したあと、自分の部屋へ戻ろうとすると、台所にいた母さんに呼び止められた。テーブルの先にあるテレビを見ていたらしい。
 母さんにはアルバイトを辞めることを言っていない。高杉さんの計らいで、休養という形で僕の辞意は一旦預かりになっている。僕の気持ちを知っているのは、高杉さんと響也さんだけだ。
テレビの中では、清涼飲料水のコマーシャルとともに、エンシオの新曲『make dreams come true』が流れていて、学校の中を走る少女たちを応援するように、屋上で歌うエンシオのカットが数秒映し出された。
「良い曲ね。聞こえる?」
「うん、きこえる」
 素敵な曲だ。疾走感があって爽やかで力強くて、それでいて相変わらず優しい気持ちで夢に向かう人たちの心に寄り添ってくれる。エンシオの歌はいつもそうだ。久しぶりに目の奥がぐっとなるのを感じた。

新曲のイメージに煮詰まっていた時、「夢って聞いて、何を思い浮かべる?」と響也さんから聞かれたことがあった。その時僕は、何と答えたのだっけ。
──原動力。そう、夢はいつでも僕の原動力だったから。
コマーシャルはいつの間にか終わっていたのに僕はいつまでもその場に立ったままで、母さんから、
「和音? 突っ立ってないで、お茶碗くらい並べて」
と怒られるまで、その場に立っていたことすら忘れていた。

 部屋に戻り、久しぶりに動画チャンネルを起動した。耳を使いすぎないようにイヤホンの使用は控える。何だかずっとしまい込んで秘密にしていたものが外の世界へ晒されるみたいで、妙にドキドキする。

 いくつか僕の知らない動画がアップされていた。コマーシャルで流れていた『make dreams come true』のプロモーション動画も当然完成していて、たぶん彼らの母校なのだろう、学校の教室、食堂、部室、屋上……メンバーがそれぞれの場所で夢について思いを馳せているような映像が続いて、それから四人が集まってハーモニーを奏でるサビのシーンに切り替わった。
 きっとそれは、彼ら自身が大学の頃に夢について悩んだり語り合ったりした思い出そのものなんだと想像がつく。
 僕なんかがいなくたってこの歌にたどり着いていたのだと思うけれど、あの時「和音のおかげだよ、ありがとう」とメンバーのみんなに言ってもらったことを思い出して、くすぐったいような気持ちになった。
 僕が高校の時に経験した音楽コンテストの話や、その時に感じた思いが少しでもこの映像や歌に反映されているんだとしたら、なんてすごいことだろう。
 僕が自分の世界に閉じこもっていた間に、エンシオはあの時膨らませていたイメージを形にしていた。夢へ向かう人たちを前へ進ませる原動力を、エンシオの歌はいつでも与えてくれる。変わらずに、僕のそばにそれはあった。

 動画チャンネルの最新の更新日は先週だった。それはハモってみたでも曲紹介でもなくて、エンシオのイベント情報のお知らせ。
「ここで、みなさんにお知らせがあります」
 奏さんの出だしに三人が反応する。
「おー!」
「拍手!」
「いえーい」
「──はい。ええっとですね。今年の夏の野外フェスイン長野、われわれエンシオの出演が決まりました!」
 仲の良い掛け合いを交えながら四人が発表したイベントの内容は、僕の心をぎゅっと切なくさせた。フェス。それは夢のような、というか僕が叶えたいと思っていた夢だ。
『いつかさ、俺たちのフェスのバックでドラム叩いてほしいな。曲作りにも』
 そんな言葉を響也さんに掛けてもらったことがあった。響也さんのことが好きだと自覚したあの時に、密かに抱いていた思いのもうひとつを響也さんが理解してくれたことが嬉しかった。
 恋心は叶わなくても、エンシオのバックでドラムを叩きたいという夢は叶えられると思ったからだ。
 もちろん、プロになるなんてまだまだ先の話だとは分かっていた。けれど、諦めていなければ、今よりその夢は手の届くところにあったかもしれない。
 僕は、自分の可能性を自分で消そうとしている。僕の声だって響也さんは分かってくれた。それを信じられないで、逃げようとしているのはだれでもない、僕自身だ。

「そしてもうひとつ。フェス出演記念にこちらも発表しまーすジャジャン」
「おい、なんてもん出してんだやめろ!」
「これは、響也がヴィジュアル系バンドでドラムを叩いていた時のお宝画像です!」
「貴重だ!」
「永久保存版ですよみなさん」
「消して、消して下さい!」
 動画の中で大騒ぎが始まって、僕はぎょっとなった。響也さんのいじられネタが披露されている。四人ともなんやかんやで楽しそうだ。思わず僕も声を上げて笑った。
 笑って気がついた。久しぶりに心の底から笑ったということを。

「響也のドラムには、今もブラックスワンのステッカーが貼ってあります」
「伝説のドラムだもん、後継者が楽しみだねぇ」
「あのドラムは俺が認めた者にしか譲らん」
「響也がキャラ変した」
「ヤバい!」
 動画の中から、響也さんに呼ばれたような気がした。俺のドラムを叩くのは和音だよ。そんな身の程知らずな聞き間違いに導かれて、僕の心の中に気持ちが帰ってくる音がする。
「このブラックスワン画像を一名の方へ」
「差し上げません」
「えー響也のケチ」
「話を元へ戻して下さい」
「はいはい。では、フェスの参加申し込みなどは公式ホームページを見て下さいね!」
「じゃあねぇ!」
「バイバーイ」
 賑やかなお知らせが終わって、僕は動画アプリを終了させた。しばらく黒いままのスマホを見つめ、気持ちの整理をする。
 響也さんにもらった音楽プレーヤーは、引き出しの奥に仕舞ってあった。心に気持ちが帰ってきた今なら、それを聞く勇気が出ると思った。