退院してから三ヶ月、大学での勉強の遅れはオンラインと周りのみんなからのアシストで取り戻した。耳の聞こえがあまり良くないと聞いて、学部が違うのにわざわざ江崎君まで助けに来てくれているのには、本当に助かっている。
「お昼、何、食べる?」
 僕が聞き取りやすいように少し大げさな表情で喋ってくれるから食堂でも目立つのだけれど、そんなことは気にせずに僕の分までいつもプレートを持って来てくれる江崎君は、良い友達だと思う。高校の時に、嫌な気持ちのまま終わらせないで本当に良かった。
「ありがと」
「入院したって聞いた時はびっくりしたよ。リハビリはどう?」
 足と肩の方は順調に回復していて、ギブスはもう取れているし、松葉杖も使っていない。完治にはもう少しかかるけど、家でも無理のない程度に動かしていいと言われていて、リハビリを担当してくれている療法士さんからは、ドラムはもう少しで再開出来ると思うよ、と声を掛けてもらった。
 
「うん、じゅんちょうだよ」
「良かったね」
「うん」
 元通りに近いところまで戻ってきたのは嬉しかった。何より、離れてしまっていた自分の声が、やっと帰ってきてくれたような気がする。入院していた時よりも自分の声が自分のそばにあることを実感している。
 けれど、気持ちはまだ心の中へ戻っては来ていない。
一進一退といった感じの聴覚は、調子の良い日もあれば、頭痛が酷くてリハビリが嫌になってしまうほど聞こえが悪くなる時もある。頑張ろうという先生の言葉に、心から頷けない自分がいた。
 車の中で聞いたのを最後にエンシオの歌を聞くことはしていないし、響也さんにもらった音楽プレーヤーも起動させていない。

 大学の授業が終わって、聴覚と肩と足のリハビリをしに病院へ。終わったら帰宅してご飯を食べてお風呂に入って寝る。音楽への気持ちだけがぽっかりと抜け落ちたまま、今日も病院へ向かうバスに乗る。

 バス停を降りて病院に向かう途中に、そう大きくはないショッピングモールがある。リハビリの時間まで余裕があったから書店にでも立ち寄ろうと中に入ると、書店の向かいに楽器店があるのを見つけた。
店内の掲示板には、初めての人も大歓迎という音楽教室の紹介ポスターが貼られていた。ピアノ、ヴァイオリン、エレクトーン、ドラム。
 ドラムから離れてまだそんなに経っていないのに、少し懐かしい気持ちになる。他の人より上手くなりたいと音楽スタジオを覗いたあの日。エンシオのテーマソングに後押しされて音楽コンテストに挑戦してみようと思わなかったら、ダウナーな自分のままで終わっていたかもしれない。
 みんなと音楽をすることが出来て、音楽は一人で出来るものじゃないと分かった。奏でる人にも聞く人にも、前で歌う人にもそれに合わせる人にも、多くの人に音楽は寄り添う。
 ドラムが出来ない環境だったからこそみんなのために頑張れたし、勉強とアルバイトを両立させてでもドラムのレッスンに通うエネルギーを保てた。
 すべては自分の夢のために。そう教えてくれたのは、いつもエンシオの歌だった。
 店内にはいろいろな楽器もあって、当然ドラムセットも置いてあった。試し打ちはスタッフまでという表示板が掛かっている。
「よかったらお試し下さい」
店員さんに声を掛けられ、思わずぎくりとなる。
「……あ、は、はい、いえ」
 後ろめたい気持ちに、曖昧に頭を下げて店員さんの申し出を断り、店を出た。すみません、自分には無理だと思ってドラムを諦めたんです。待っていてくれると言った人に、返事が出来ないままでいるんです。
 こんな僕がスティックを握っても、きっと音は返って来ないと思うんだ。