音楽の世界はもう無理かもしれないと、僕は思った。響也さんがタブレットに書いてくれたようなドラムの音は、もう僕の中に生きてはいないかもしれないと思ったのだ。響也さんに待っていてもらえる価値のある僕だろうかと、入院中ずっと自問自答をしていた。 
 死にものぐるいで努力すれば取り戻せるのかもしれないけど、期待に応えられるような自信は今の僕にはなかった。今まで、何度も諦めかけるたびに何とか頑張ってきたけれど、今回ばかりは腹の底からみなぎるような力は出てこなさそうだった。

「……アルバイト、やめさせてください」
「え?」
 運転席の響也さんと高杉さんは、顔を見合わせた。
「どうして。骨折の方はリハビリすれば完治するし、耳はそりゃあ今は不安かもしれないが、良くなってきているじゃないか」
「……」
「響也も言いたいことあるだろ。お前だって和音が早く戻って来れるようにって準備していたじゃないか。和音が仕事しやすいようにってパソコンにタブレットを繋いだり、ヘッドフォンとか」
「いや、そういうのはいいんですよ。大事なのは和音の気持ちだ」
 そんなことまで響也さんは僕のためにしていてくれたのか。響也さんは、僕よりもずっと僕のことを心配してくれていたのだと初めて知った。
けれど、響也さんが覚えていてくれたドラムの音を、僕は出せそうにない。昔のように遠くからエンシオのことを応援出来たら──、それが僕の出来る精一杯だ。

「ゆっくり休んで、それから考えましょう」
「……そうだな。ごめん、和音君。急かすことじゃなかったな」
「すいま、せん……」
「謝ることなんて何にもないさ。響也の言う通り、ゆっくり休もう。和音君は全然悪くないんだ。むしろ辛い思いを強いられたんだから」
 荷物運びを手伝ってくるな、響也は和音君を手伝ってやれ、と高杉さんも車を下りて行った。

 運転席から道路に下りると。響也さんは僕の座っている助手席側に回ってドアを開けてくれた。
「一人で立てるか?」
「はい」
 松葉杖を受け取って、地面へ立てる。体重を掛けるようにして響也さんの隣に並んだ。
「きょうやさん……ごめんなさい」
 頭を下げる。大丈夫、和音の声は聞こえると励ましてくれた響也さんには、謝ることしか出来ない。
「和音が謝ることは全然ないんだよ」
 視線をそっと上げると、そこにはいつもと同じように黒縁眼鏡から覗く優しい目があった。この人に僕は密かな恋心を抱いていた。
 この思いも一緒に終わりにしてしまおうと思った。始まりかけた夢、始まりかけた恋、今ならまだ終わりにするのも簡単だ。

「俺は、和音がしたいようにすれば良いと思ってる。声も、音も、それは和音のものだから……。ああ、だけどひとつだけ。一緒に同じドラムを叩いてきた人間として、俺からいい?」
「……え?」
 そう言って、響也さんはポケットから小さな長方形の音楽プレーヤーを取り出した。
「和音の気持ちが落ち着いたら、これを聞いてくれると嬉しい。いつでもいいし、もし嫌だったら聞かなくてもいい。和音に任せる」
 僕の手のひらに載せられたそれは、無機物だというのに少し温かくて、響也さんが握っていた手のぬくもりだったのかもしれないと思うと、胸が苦しくなった。