入院して数日の間に、何回も精密検査を受けた。暴走して来た車の衝突を避けようとしてとっさに地下鉄の階段を飛び下りたらしく、片足と肩を骨折していたけれど、単純骨折で済んだため、そこは元通りにくっつくらしい。
気になるのは側頭部を床に打ち付けてしまった箇所だけれど、肩で上手く庇ったようで、レントゲン検査を受けても内部損傷は見られないとのことだった。

 上半身と下半身にギブス、数針縫った側頭部をガーゼで覆っているという動きづらい状態で移動するのは、なかなかストレスの溜まるものだということが分かった。しかも、検査でおかしなところはなかったのに、相手の声が聞き取れない。
『精密検査を繰り返し行いましたが、異状は認められませんでした。一時的な聴力低下状態になっているものと思われますが、事故との関連性ははっきりとは分かりません』
お医者さんがパソコンに入力した文字を僕と母さんに見せた。

検査室を出ると、高杉さんと響也さんが待っていてくれた。響也さんが、会話用にとわざわざ用意してくれたタブレットを僕に見せた。
『高杉さんは和音のお母さんと話があるそうだから、先に病室へ戻っていよう。何か途中で飲み物でも買って行こうか』
 喉は乾いていた。病院の食事は軽いものからもう食べられるようになっていたけれど、もう少し刺激のあるものが欲しい。
 怪我をしていない方の手で返事をしようとすると、響也さんはタブレットに入力せず言った。
「コーラはまだだめだろうな、きっと。オレンジジュースにしておこう」
「……ぁい」
 僕の少し不満げな顔に響也さんは笑い、僕も笑った。
 やっぱりそうだ。僕は、響也さんの声が分かる。響也さんもきっと、僕の声が分かるんだ。
 響也さんの力を借りながら、僕はゆっくりと病室へ戻った。途中でオレンジジュースを二人分買って。

『和音は楽な気持ちで読んでくれ。少しでも疲れたら無理せず返してくれていいから』
 タブレットでそう言われて、僕はベッドの上で頷いた。
『和音のお母さんは、和音の夢が叶うことを一番に願っているのは間違いない。和音を見るなり先生と高杉さんに「この子はまたドラムを叩けるようになりますか?」と聞いていた。和音の周りには味方ばかりだ。安心して治療に専念しよう』
 そうだったんだ。母さんに分かってもらえない、なんて思っていた自分に後悔する。母さんはたぶんずっと分かってくれていたんだ。
『事務所の近くにいたのに、俺が助けに行けなくてごめん。和音の他にも怪我人が何人かいて、道を進むことすら出来なかった。やっと倒れている和音を見つけて救急車に同乗したけど、気が気じゃなかった』
 ううん。僕は小さく首を横に振った。響也さんには感謝しかない。見つけてくれて本当にありがとうございましたと言いたい。あの時、僕自身がもっと周りに注意していたら、そもそもこんなことに巻き込まれなくて済んだんだ。
『和音のせいでは絶対にない。高杉さんも電話したことを悔やんでいたし、和音のお母さんもドラムに反対したことを後悔していた。みんな和音が良くなることだけを祈ってる。大丈夫だよ』
 響也さんに大丈夫と言ってもらうと、不安が和らぐみたいだ。
「検査ばっかりで疲れただろ、少し休みな」
 響也さんの、聞こえないけれど聞こえてくる声は、子守唄のように僕を安心させて、僕は目を閉じた。夢の中で、僕はエンシオが歌うステージの後ろでドラムを叩いていた。