大学の授業を終えてバイト先へ向かう途中、スマホに着信があった。ちょうど地下鉄の入り口を上がり始めた途中だったから、急いで駆け上がって地上へ出る。
「すいません、お待たせしました」
「急がせちゃってごめんね、高杉です。今日さ、急遽メンバー全員と出かけることになって。鍵をさ、和音君に渡してなかったよね、今日」
「はい、そうですね。もらってないです」
「響也が今事務所の鍵閉めて下に下りるって言ってるからさ、受け取っておいてくれる? いつも通りの作業と電話が来たら取り次いでもらって、あと今日荷物が一件……」
高杉さんからの指示が多かったので、慌ててバイト用のメモ帳を取り出す。もう完全に頭に入っていることはいちいちメモを見たりはしないけれど、機材の扱い方や、気を使わなきゃいけない仕事相手の特徴などを書き留めていて、何かあればすぐ見るようにしている。
そこに今日のやることを高杉さんから聞き書きしている時、交差点の先から騒めく声がした。指示を書くことに専念していたので、始めは雑音にしか聞こえなかった。むしろ電話の向こうにいる高杉さんの方が、それに気付いたようだった。
「和音君、何だか騒がしくない? 大丈夫?」
「え? 何ですか?」
声の聞き取りづらさでようやく僕もその異変を察知した。それはいつの間にか通行人の叫ぶ大きな唸りとなってこっちへ近付いて来ていた。
「暴走車だぁっ!」「逃げろ!」「どこ走ってんだバカヤローーッッ」
大通りは、逃げ惑う大勢の人や車であっという間にめちゃくちゃになっていく。事情は分からないけれど、制御不能になった乗用車がアクセル全開のまま走行してしまっているらしい。
遠くからこちらへ急激なスピードで近付いて来るのが分かった。あれではどこかにぶつからない限り、暴走は止まらないだろう。
スマホは気付けばどこかに取り落としてしまっていた。たぶんもうこの人混みの中では、踏まれて壊れているだろう。とにかく地下鉄の入り口を後戻りすることにした。
地下の一番下まで下りればきっと大丈夫。もつれそうな足を動かして階段を駆け下りようとした。
キキーーーッドォォン
強い衝撃を感じたのは一瞬のことで、僕の記憶はそこで途切れたから、痛みすら覚えていなかった。
ぼんやりと視界が開けていく。白っぽい布に四方を囲まれているのが分かった。二つの顔が覗いている。一人は母さん、もう一人は響也さんだった。
響也さんは少し焦ったように母さんへ何かを伝えると、足早に白っぽい布を開けてどこかへ出て行った。あの布はカーテンのようだ。響也さんが何を言ったのかは分からない。
「……! ……の?」
母さんが何か言っているけれど、どういうわけかよく声が聞こえない。口が動いているから、何かを喋っているのは分かるのだけれど、頑張って聞き取ろうとすると、頭がずきんと痛んだ。
耳奥の違和感に顔を歪めた時、響也さんがお医者さんと一緒に戻って来た。先生は僕の目や心音や何やらを確認したあと、うんと頷いた。
「……、……で……ね」
おかしい。やっぱり言っていることが聞こえない。
「か……、……?」
「おう、や、さん」
試しに響也さんの名前を呼んでみる。何かおかしいのだろうか。先生が怪訝な顔をしてもう一度いろいろなところを確かめ、隣にいた看護師さんに何かを指示している。看護師さんは急ぎ足で出て行った。
心配そうな母さんに、先生が何かを説明している。その声も聞き取れない。僕は一体どうなってしまったのだろう。
不安でいっぱいになった。音が聞こえないのならドラムはもう出来ない? エンシオの歌をもう聞くことが出来ない? 響也さんの声はもう僕の耳に届かない?
その時、響也さんのスマホが、僕の目の前に差し出された。スマホのメモ機能に何か書いてあって、響也さんの顔を見れば、いつものように優しく微笑んでくれた。
『大丈夫。これからしっかり検査をして、ちゃんと見てもらおうな』
大丈夫、ともう一度響也さんはその口の形をした。声は聞こえなかったけれど響也さんの声だってはっきりと頭の中で分かって、僕はうん大丈夫だ、と思った。
「すいません、お待たせしました」
「急がせちゃってごめんね、高杉です。今日さ、急遽メンバー全員と出かけることになって。鍵をさ、和音君に渡してなかったよね、今日」
「はい、そうですね。もらってないです」
「響也が今事務所の鍵閉めて下に下りるって言ってるからさ、受け取っておいてくれる? いつも通りの作業と電話が来たら取り次いでもらって、あと今日荷物が一件……」
高杉さんからの指示が多かったので、慌ててバイト用のメモ帳を取り出す。もう完全に頭に入っていることはいちいちメモを見たりはしないけれど、機材の扱い方や、気を使わなきゃいけない仕事相手の特徴などを書き留めていて、何かあればすぐ見るようにしている。
そこに今日のやることを高杉さんから聞き書きしている時、交差点の先から騒めく声がした。指示を書くことに専念していたので、始めは雑音にしか聞こえなかった。むしろ電話の向こうにいる高杉さんの方が、それに気付いたようだった。
「和音君、何だか騒がしくない? 大丈夫?」
「え? 何ですか?」
声の聞き取りづらさでようやく僕もその異変を察知した。それはいつの間にか通行人の叫ぶ大きな唸りとなってこっちへ近付いて来ていた。
「暴走車だぁっ!」「逃げろ!」「どこ走ってんだバカヤローーッッ」
大通りは、逃げ惑う大勢の人や車であっという間にめちゃくちゃになっていく。事情は分からないけれど、制御不能になった乗用車がアクセル全開のまま走行してしまっているらしい。
遠くからこちらへ急激なスピードで近付いて来るのが分かった。あれではどこかにぶつからない限り、暴走は止まらないだろう。
スマホは気付けばどこかに取り落としてしまっていた。たぶんもうこの人混みの中では、踏まれて壊れているだろう。とにかく地下鉄の入り口を後戻りすることにした。
地下の一番下まで下りればきっと大丈夫。もつれそうな足を動かして階段を駆け下りようとした。
キキーーーッドォォン
強い衝撃を感じたのは一瞬のことで、僕の記憶はそこで途切れたから、痛みすら覚えていなかった。
ぼんやりと視界が開けていく。白っぽい布に四方を囲まれているのが分かった。二つの顔が覗いている。一人は母さん、もう一人は響也さんだった。
響也さんは少し焦ったように母さんへ何かを伝えると、足早に白っぽい布を開けてどこかへ出て行った。あの布はカーテンのようだ。響也さんが何を言ったのかは分からない。
「……! ……の?」
母さんが何か言っているけれど、どういうわけかよく声が聞こえない。口が動いているから、何かを喋っているのは分かるのだけれど、頑張って聞き取ろうとすると、頭がずきんと痛んだ。
耳奥の違和感に顔を歪めた時、響也さんがお医者さんと一緒に戻って来た。先生は僕の目や心音や何やらを確認したあと、うんと頷いた。
「……、……で……ね」
おかしい。やっぱり言っていることが聞こえない。
「か……、……?」
「おう、や、さん」
試しに響也さんの名前を呼んでみる。何かおかしいのだろうか。先生が怪訝な顔をしてもう一度いろいろなところを確かめ、隣にいた看護師さんに何かを指示している。看護師さんは急ぎ足で出て行った。
心配そうな母さんに、先生が何かを説明している。その声も聞き取れない。僕は一体どうなってしまったのだろう。
不安でいっぱいになった。音が聞こえないのならドラムはもう出来ない? エンシオの歌をもう聞くことが出来ない? 響也さんの声はもう僕の耳に届かない?
その時、響也さんのスマホが、僕の目の前に差し出された。スマホのメモ機能に何か書いてあって、響也さんの顔を見れば、いつものように優しく微笑んでくれた。
『大丈夫。これからしっかり検査をして、ちゃんと見てもらおうな』
大丈夫、ともう一度響也さんはその口の形をした。声は聞こえなかったけれど響也さんの声だってはっきりと頭の中で分かって、僕はうん大丈夫だ、と思った。