初めて父さんのドラムに触らせてもらったのが中学一年の時で、それからドラムに夢中になった。
ドラムは曲の心臓部。正確なビートの中に、聞く人を沸き立たせる力強さや切なさを込めることが出来る。父さんのようなドラマーになんてそう簡単になれないと分かってはいるけれど、僕もやってみたい。聞く人の心に響くドラムが叩きたい。そう思った。
幸いなことに防音設備のある家だから、学校から帰ってきて宿題を済ませたら、あとは好きなだけ防音室にこもる毎日。プロのドラマーになることが、僕の夢になった。
そんな中、父さんと母さんが離婚した。父さんはある音楽事務所に所属しているスタジオドラマーで、今もその事務所で仕事をしているのは知っている。たまにテレビ番組で見かけることもある。けれどいろんなことが分からない年齢でもないから、こちらから父さんに連絡を取ることはない。
僕から見れば良い父さんだった。母さんにも悪いところはなかったと思うし、二人の関係をどうにかするつもりもなかったけれど、家から父さんが出て行ったのは寂しかった。
自分で学べと父さんから直接ドラムを教わることのなかった僕にとって、教本を買ったり動画を見たりして独学で練習をする防音室が、少しぎこちなくなった家の中では大事な居場所だった。
「ただいま」
学校を終えて帰宅すると、母さんがダイニングテーブルに俯いて座っていた。
「どうしたの母さん、具合悪いなら僕が夕飯作ろうか」
「和音」
母さんの枯れたような低い声に、胸騒ぎを覚えた。今思えば、もしかしたら心のどこかでそうなる日が来ることを分かっていたのかもしれない。胸騒ぎのあと、急激に心が冷えていくのが分かった。
「あのドラム、お父さんのところへ送ったわ」
「……」
「高校生になるんだから、もっと他にやることがあるでしょう」
「うん」
防音室をそっと覗いてみた。ドラムセットはもうなくて、窓のない空っぽの空間はもう居場所じゃなかった。
中学から一貫校の高校へと進学したあとは、ドラムのことは頭から押しやるようにどうでもいいことばかりを詰め込んでいた。どうでもいい話題、どうでもいい勉強、どうでもいい生活を淡々とやりこなすだけの簡単な毎日。家の中からは母さんの見たくないものがなくなって、防音室は物置になった。
部屋にいてどうでもいい動画チャンネルを流しながら、どうでもいいクラスチャットに返事を書き込んでいた時に、それは訪れた。
「エンシオの曲を聞いて下さい! 『Any song is ours!』」
ずいぶん素人っぽい曲紹介だなと思ったその瞬間、耳を疑った。四音のハーモニーが、小さな画面から洪水のように溢れてきて、慌ててバックグラウンドを切り替えて動画のサムネイルを大きく表示させた。
スタジオのようなところで四人向かい合わせになって歌っている映像。そこから流れるように生まれてくる和音。食い入るように映像を見つめ、耳を澄ませる。
しばらく聞いていると、薄い金髪の人がメイン、一番背の高い人が低音、毛先を赤く染めてる人が高音、前髪を無造作に上げている黒縁眼鏡の人がたぶん真ん中あたりを歌っているんだと分かってきた。
黒縁眼鏡の人のパートがなぜかとても気になった。聞き取りたくて音量を上げてみたけれど、編集のせいなのかノイズに紛れる。動画チャンネルは次のおすすめに流れてしまったので、慌ててもう一度戻ってチャンネル登録をした。
まだその一曲しかない。再生回数もフォロワー数も少ない。出会えたのは奇跡だと思った。
どんな歌も僕らのもの。そう言い切る彼らの歌に、『君は君だけの何かを見つけたか?』と聞かれているみたいで、何度も何度も動画を再生したのを覚えている。
ドラムがやりたい。やっぱり続けたい。どうでもいい毎日にしていたのは僕自身で、僕の夢はずっとなくならずにそこにあったことを教えてくれたのが、エンシオだった。
ドラムは曲の心臓部。正確なビートの中に、聞く人を沸き立たせる力強さや切なさを込めることが出来る。父さんのようなドラマーになんてそう簡単になれないと分かってはいるけれど、僕もやってみたい。聞く人の心に響くドラムが叩きたい。そう思った。
幸いなことに防音設備のある家だから、学校から帰ってきて宿題を済ませたら、あとは好きなだけ防音室にこもる毎日。プロのドラマーになることが、僕の夢になった。
そんな中、父さんと母さんが離婚した。父さんはある音楽事務所に所属しているスタジオドラマーで、今もその事務所で仕事をしているのは知っている。たまにテレビ番組で見かけることもある。けれどいろんなことが分からない年齢でもないから、こちらから父さんに連絡を取ることはない。
僕から見れば良い父さんだった。母さんにも悪いところはなかったと思うし、二人の関係をどうにかするつもりもなかったけれど、家から父さんが出て行ったのは寂しかった。
自分で学べと父さんから直接ドラムを教わることのなかった僕にとって、教本を買ったり動画を見たりして独学で練習をする防音室が、少しぎこちなくなった家の中では大事な居場所だった。
「ただいま」
学校を終えて帰宅すると、母さんがダイニングテーブルに俯いて座っていた。
「どうしたの母さん、具合悪いなら僕が夕飯作ろうか」
「和音」
母さんの枯れたような低い声に、胸騒ぎを覚えた。今思えば、もしかしたら心のどこかでそうなる日が来ることを分かっていたのかもしれない。胸騒ぎのあと、急激に心が冷えていくのが分かった。
「あのドラム、お父さんのところへ送ったわ」
「……」
「高校生になるんだから、もっと他にやることがあるでしょう」
「うん」
防音室をそっと覗いてみた。ドラムセットはもうなくて、窓のない空っぽの空間はもう居場所じゃなかった。
中学から一貫校の高校へと進学したあとは、ドラムのことは頭から押しやるようにどうでもいいことばかりを詰め込んでいた。どうでもいい話題、どうでもいい勉強、どうでもいい生活を淡々とやりこなすだけの簡単な毎日。家の中からは母さんの見たくないものがなくなって、防音室は物置になった。
部屋にいてどうでもいい動画チャンネルを流しながら、どうでもいいクラスチャットに返事を書き込んでいた時に、それは訪れた。
「エンシオの曲を聞いて下さい! 『Any song is ours!』」
ずいぶん素人っぽい曲紹介だなと思ったその瞬間、耳を疑った。四音のハーモニーが、小さな画面から洪水のように溢れてきて、慌ててバックグラウンドを切り替えて動画のサムネイルを大きく表示させた。
スタジオのようなところで四人向かい合わせになって歌っている映像。そこから流れるように生まれてくる和音。食い入るように映像を見つめ、耳を澄ませる。
しばらく聞いていると、薄い金髪の人がメイン、一番背の高い人が低音、毛先を赤く染めてる人が高音、前髪を無造作に上げている黒縁眼鏡の人がたぶん真ん中あたりを歌っているんだと分かってきた。
黒縁眼鏡の人のパートがなぜかとても気になった。聞き取りたくて音量を上げてみたけれど、編集のせいなのかノイズに紛れる。動画チャンネルは次のおすすめに流れてしまったので、慌ててもう一度戻ってチャンネル登録をした。
まだその一曲しかない。再生回数もフォロワー数も少ない。出会えたのは奇跡だと思った。
どんな歌も僕らのもの。そう言い切る彼らの歌に、『君は君だけの何かを見つけたか?』と聞かれているみたいで、何度も何度も動画を再生したのを覚えている。
ドラムがやりたい。やっぱり続けたい。どうでもいい毎日にしていたのは僕自身で、僕の夢はずっとなくならずにそこにあったことを教えてくれたのが、エンシオだった。