「すいません……」
「謝ることなんかないさ、逆に嬉しいよ。音楽、本当に好きなんだね。名前からも分かる」
響也さんは、落ち着きのない様子の僕を気にせず、優しい言葉を掛けてくれた。
「父がつけてくれました。ドラマーで。父から教わることはなかったんですけど、家にあったドラムを叩くのが好きで、それでドラマーになりたいと思って、スタジオに通っているんですけど」
「スタジオ代、ばかにならないもんな。家にドラムはあるの? 防音室とか」
「防音室はあるんですけど、事情があって使えなくて」
「そうか。まだ片付いていないけど、新しいスタジオの小さい方に俺のドラムセットがあるから、練習したかったらいつでも使っていいよ。バイトあるから時間はそんなにないかもしれないけど。早く来た時とか」
そんな言葉をもらって、思わずまじまじと響也さんのことを見つめてしまった。黒縁眼鏡の奥にある目が優しく笑っている。
「バスドラにデカいステッカーが貼ってあって申し訳ないんだけど……ブラックスワンの」
なんだよ、僕がもう少し早く生まれていたら、いくらだってブラックスワンのチケット買ったのにな!
「俺の黒歴史には目をつぶってもらうとして、スタジオにいるドラムのインストラクターは、厳しいところもあるけどちゃんと教えてくれるから、頑張り甲斐はあると思うよ。勉強とバイトとレッスンで忙しいとは思うけど、ドラマーになりたかったら自主練習はしておいた方がいい」
「はい」
「スティックの癖も直そう。もっと良くなるよ。和音君だったらきっと出来るよ」
「ありがとうございます」
地下鉄の入り口が見えてきた。終電が近いせいか、急ぎ足の人々が明かりの中へ吸い込まれていく。
「反抗期というか、上手くいかなかった時期があったんだ、俺。実は今もなんだけど」
「え」
響也さんの告白に、僕は立ち止まって思わず顔を見上げた。僕よりもだいぶ背の高い響也さんは「ごめんもう急がないとな」と僕の背中をとんと押して促した。
「だれかより上手くなりたいとかじゃなくて、だれかに俺たちの歌を楽しんでもらって、自分たちも楽しいと思えるのが理想だなって思うよ。和音君と話をしていて、あらためてそう思った。ありがとう」
「……」
なんて返したらいいのか分からなくて、曖昧に頭を下げた。響也さんは眼鏡の向こうを細めると、じゃあ明日からよろしくねと片手を上げて、今来た道を戻って行った。事務所ではまだ仕事が待っているのかもしれない。
今日はアルバイトらしいことは何ひとつしなかったうえに、響也さんのドラムで練習させてもらえるという嬉しすぎるサプライズ付きの一日だった。夢への一歩は、ジャンプどころかいきなりK点を越えた。
地下鉄の、ぎりぎり滑り込めた満員の車内で、響也さんが口にした言葉を思い返す。
だれかより上手くなりたい、そんな鬱屈した感情を僕は持っていた。自分だけ他の人より少し不幸で、他の人は何かに妨げられることなくて、羨ましかった。羨ましさは見返したいという気持ちとセットになっていて、あのままの気持ちで音楽部にいたら、きっと本来の目的を見失っていただろう。
音を楽しむこと、その音を楽しんでもらうこと。響也さんがそう思って『スタート』を作詞したのなら、それは間違いなく僕に届いた。僕は受け取った。そのおかげで今僕はここにいる。
響也さんにも何かいろいろと事情はあるのだろう。ありがとうと言ってくれたけれど、そのありがとうは僕の比じゃない。すごく、すごく。本当にありがとうございます。
嬉しすぎて思わずふふ、と声を漏らしてしまう。満員のはずなのに、少しだけ周りに空間が出来て恥ずかしい思いをしている僕を庇うかのように、地下鉄はゴーっと大きな音を立てた。
「謝ることなんかないさ、逆に嬉しいよ。音楽、本当に好きなんだね。名前からも分かる」
響也さんは、落ち着きのない様子の僕を気にせず、優しい言葉を掛けてくれた。
「父がつけてくれました。ドラマーで。父から教わることはなかったんですけど、家にあったドラムを叩くのが好きで、それでドラマーになりたいと思って、スタジオに通っているんですけど」
「スタジオ代、ばかにならないもんな。家にドラムはあるの? 防音室とか」
「防音室はあるんですけど、事情があって使えなくて」
「そうか。まだ片付いていないけど、新しいスタジオの小さい方に俺のドラムセットがあるから、練習したかったらいつでも使っていいよ。バイトあるから時間はそんなにないかもしれないけど。早く来た時とか」
そんな言葉をもらって、思わずまじまじと響也さんのことを見つめてしまった。黒縁眼鏡の奥にある目が優しく笑っている。
「バスドラにデカいステッカーが貼ってあって申し訳ないんだけど……ブラックスワンの」
なんだよ、僕がもう少し早く生まれていたら、いくらだってブラックスワンのチケット買ったのにな!
「俺の黒歴史には目をつぶってもらうとして、スタジオにいるドラムのインストラクターは、厳しいところもあるけどちゃんと教えてくれるから、頑張り甲斐はあると思うよ。勉強とバイトとレッスンで忙しいとは思うけど、ドラマーになりたかったら自主練習はしておいた方がいい」
「はい」
「スティックの癖も直そう。もっと良くなるよ。和音君だったらきっと出来るよ」
「ありがとうございます」
地下鉄の入り口が見えてきた。終電が近いせいか、急ぎ足の人々が明かりの中へ吸い込まれていく。
「反抗期というか、上手くいかなかった時期があったんだ、俺。実は今もなんだけど」
「え」
響也さんの告白に、僕は立ち止まって思わず顔を見上げた。僕よりもだいぶ背の高い響也さんは「ごめんもう急がないとな」と僕の背中をとんと押して促した。
「だれかより上手くなりたいとかじゃなくて、だれかに俺たちの歌を楽しんでもらって、自分たちも楽しいと思えるのが理想だなって思うよ。和音君と話をしていて、あらためてそう思った。ありがとう」
「……」
なんて返したらいいのか分からなくて、曖昧に頭を下げた。響也さんは眼鏡の向こうを細めると、じゃあ明日からよろしくねと片手を上げて、今来た道を戻って行った。事務所ではまだ仕事が待っているのかもしれない。
今日はアルバイトらしいことは何ひとつしなかったうえに、響也さんのドラムで練習させてもらえるという嬉しすぎるサプライズ付きの一日だった。夢への一歩は、ジャンプどころかいきなりK点を越えた。
地下鉄の、ぎりぎり滑り込めた満員の車内で、響也さんが口にした言葉を思い返す。
だれかより上手くなりたい、そんな鬱屈した感情を僕は持っていた。自分だけ他の人より少し不幸で、他の人は何かに妨げられることなくて、羨ましかった。羨ましさは見返したいという気持ちとセットになっていて、あのままの気持ちで音楽部にいたら、きっと本来の目的を見失っていただろう。
音を楽しむこと、その音を楽しんでもらうこと。響也さんがそう思って『スタート』を作詞したのなら、それは間違いなく僕に届いた。僕は受け取った。そのおかげで今僕はここにいる。
響也さんにも何かいろいろと事情はあるのだろう。ありがとうと言ってくれたけれど、そのありがとうは僕の比じゃない。すごく、すごく。本当にありがとうございます。
嬉しすぎて思わずふふ、と声を漏らしてしまう。満員のはずなのに、少しだけ周りに空間が出来て恥ずかしい思いをしている僕を庇うかのように、地下鉄はゴーっと大きな音を立てた。