僕はごく普通の家庭に生まれた。
兄弟はいなかったが両親に何不自由もなく育ててもらったのだが勉強が本当に苦手で授業よりも遊びが好きだった。
特に文房具集めが好きで近くの文房具店に一日籠っていたこともある。
親にも文房具を買ってもらってお小遣いをもらうようになってからはお小遣いのほとんどを文房具に使っていた。

そんな僕が躓いたのを実感したのは高校入試の時のことだった。

実家からバス一本で行ける私立の高校。
中学受験はしなかったから高校入試が一番始めての入試だが、あまりにも勉強できなかったから親や学校は推薦入試を勧めてくれた。
スポーツもできるわけでもなかったけど授業は真面目にきいてたしボランティアも進んでやっていた。
特に他の男子みたいに大騒ぎする方ではなくおとなしいグループにいて図書館にも通っていたから推薦できるって言われてテストもないから勉強しなくていいんだ! と余裕ぶちかましていたが……。

面接の練習、いつも楽しく話している担任の先生がかしこまってダンマリしている。
そして張り詰めた教室の中で生徒3人、僕は体が震えた。

そう、僕は緊張しぃな人間なのだ。



ことの始まりは小1の時にみんなの前で発表する時に、その時は普通に発表していたのだが当時の担任に
「たけるくん、〇〇だなんておかしいよねー」
と、〇〇の部分は忘れたが晒し者にされてクラスのみんなも大笑い。
恥ずかしくて悲しくて。多分それがきっかけで人前で何かを発表する前に緊張がひどくなり体が激しく震えるようになった。
授業の発表だけでなく、挙手も教科書読みもなんだか人前で出る場面があったが震えは震えて人前出るのが終わると何が何だか記憶にないほどだった。

中学に入学してからもそうだ。
たった一つの晒されがこんなにも続くのか。

面接練習、担任の先生がじっと見つめる中、僕はガクガクに震え、口が自由に動かない。舌がもつれて上手く話せないがなんとか絞り出すように話した。
もちろん終わってからも何を話したか覚えていない。
「園田大丈夫か? 面接以外にも作文があるから、それは書くだけだ。何度も添削するからな」
と担任は言ってくれた。

ちなみに作文も苦手だった。
読書感想文も苦痛だったし、毎週出る先生に提出する作文も。

何度か作文も練習したが何度も赤ペンで直されてようやく上手く纏まった文章は僕の意思ではない作文が出来上がってしまった。

「まー、あそこの高校の推薦は落ちた人はおらんでリラックスすればできるて」
と担任は僕の肩を叩いた。


しかし、僕は落ちた。