――翌日
「……カズ、あのさ」
狭い二段ベッドの下の段に、ふたり寄り添って眠っていたのが、習慣で五時に目が覚める。そして腕の中でとろとろ眠っていたカズナリに声をかける。
「ん?」
眠そうに目を開けるカズナリ。泣き腫らした目が昨日の事件が事実だったのを物語る。
「今日サボろう」
素敵な提案をするように、アキミがこそこそっと口を開く。
「は?」
「昨日の今日だし、授業も部活もサボろう」
「なんで」
「足、休ませないと」
「お前はピンピンしてるだろ」
「介添人てことで」
「なんだよ、介添人て」
カズナリが無理に笑う。
「歩くの大変だろ、その足じゃ」
上半身を起こした姿勢で、カズナリを腕の中に閉じ込める。寝起きだからか、ふたりの体温は熱い。細身だが、筋肉がしっかりついているカズナリの体は、それから逃れることはせずに、気持ちよさそうにそのアキミの胸元に頭を預けていた。
「大丈夫、だよ……」
アキミの鍛えられた胸の奥から、鼓動が聞こえる。それはいつもより速く、落ち着いているように見えて、アキミも緊張しているのがわかった。
「お前、無理すっから心配なんだよ」
「……うん……」
体のどこかが痛むとき、アキミはわあわあと主張するが、カズナリは、限界まで我慢して、ぼそり、と痛い場所をつぶやく程度だ。そんなカズナリのことをわかっているからこそ、アキミは心配している。
「病院、行こうぜ」
「このくらい、なんともない」
「なんともあるだろ。寝てるときもかばって寝てたし」
「なんでそんなの知ってるんだ」
「んー、まあくっついてたし」
ぽっと頬を赤らめながら、言葉を選んでアキミが言う。
「……おかしいかな、俺たち」
不安げにカズナリがぼそりという。
「俺たちがよければいいんだって……それとも、嫌か?」
「いっ、嫌だったらこんな狭いとこで寝ない」
今度はカズナリが赤くなる番だった。
「俺、俺だけがお前のこと好きなんだと思ってた」
「なんで?」
「カズ、あんまりそういうの好きそうじゃなかったし……男同士だし」
口ごもるアキミの頬に、そっと触れる。
「俺も好きだよ、アキのこと。もうずっと前から」
「マジ? なんだよ、もっと早く言ってくれればよかったのに」
「いつ言うんだ、そんなこと」
「そりゃそうだけどさあ」
片手で、愛おしそうにカズナリの頭を撫でる。
「俺さ、お前が跳ぶの観てんの、すっげえ好きなんだよ……まるで鳥が飛んでるみたいで」
ポソポソ言うアキミの声に、心地よさそうに目を伏せる。
「俺も、お前走ってるとこ観てるの好き。風が吹き抜けるみたいで、すがすがしくて。だから、負けるな」
まるで歌うように告げるカズナリの声が、落ち着いている。
「おう! 負けねえよ。お前もな」
「わかった」
その日は、寮母に今日学校を体調不良で休む旨を伝えた。
そしてカズナリは止めたが、顧問と部長に昨日の録音を聞いてもらい、今日は足の不調で休む、と告げた。マネジャーの起こしたあまりの出来事に、顧問も部長は真っ青になる。そしてすぐにマネジャーを呼び出して、この録音の真偽を確かめた。するとマネジャーは悪びれもせずにそれをあっさりと認めて、もう受験に集中するから今日限りで辞める、と無責任な発言をしてさっさと退出し、顧問と部長を怒りで真っ赤にさせた。
「テヅカヤマはどうしてる?」
「足痛くて動けねえんで、部屋にいます」
顧問も部長もカズナリのメンタルを心配していた。
「メンタルなら大丈夫です。俺がいますから」
「なんでお前がいると大丈夫なんだ」
「俺たち、幼なじみで親友ですから」
「そ、そうか。本当に任せて大丈夫なんだな?」
「任してください」
顧問がアキミの本気の目を見て、結局全部任せてくれた。
――病院
朝イチで来院したので、病院は空いていた。整形外科に保険証を出して、長椅子に座って待つ。すぐに名前を呼ばれて、カズナリが診察室に消えた。ところが、十分もしないうちに車椅子で出てきた。
「おい、車椅子って大丈夫なのか?」
と問うアキミは、
「いや、これからレントゲンとCT検査、それ終わんないとなんとも言えないって」
と軽くカズナリに言われる。
アキミが慌てて
「じゃあついてくよ」
というと、
「車椅子あるから大丈夫」
冷静にカズナリが応える。
「でもお前、車椅子なんで初めてだろ」
「なんとかなるよ。大げさ」
じゃーなー、とひらひら手を降って器用に車椅子を扱って、カズナリの姿はエレベーターに消えた。周りはどんどん人が多くなっていき、混雑し始める。ただ待ってるのも暇だな、と思い始めた頃、カズナリが戻ってくる。
「暇なんだろ」
「おう」
「だから学校行っとけばよかったのに」
「そんなこと言われても心配で、ただでさえ身の入らねぇ授業に、もっと身が入んねぇのわかってるもんよ」
「俺をダシに使うな」
けらけら笑うカズナリは、一見昨日のことなど気にもしていないように見えるが、アキミにはわかる。昨日のショックから、まだまだカズナリが立ち直っていないことを。
気を紛らせるように、どうでもいい話をしながら待っていると、カズナリが名前を呼ばれて、診察室に消える。
……ひとりで黙って待っていると、どうしても嫌な考えばかりがアキミの頭を巡ってしまう。
「おう、お待たせ」
右足をテーピングされたカズナリが、ひょこひょこと診察室から出てきた。
「ど、どうだった?」
「まあ、軽くない打ち身みたいなもんだってさ。靭帯や骨とか、筋肉はセーフ」
「よかったあ」
「ホント」
「全治何日?」
「まあ、一週間くらいかな。テーピングなら自分でもできるから、練習は明日から再開、と」
「無理すんなよ」
「しないって。痛いのはもうゴメンだ」
「はー、よかったあ」
思わずがっくりと膝に手を置いて脱力するアキミの頭をポンポンと軽く叩く。そして、ありがとな、心配かけてごめん、とちいさな声で言った。
そのまま学校に帰って、寮に戻る。まだ授業には間に合ったが、今日は休もう、とふたりでなんとなくそう決めた。
「……足、どう?」
「どうって……病院行ったばっかだからなあ。あ、でも固定されてるから楽と言えば楽かな」
応えるカズナリの顔が赤い。
「お前、熱あんじゃねえの?」
「え? 熱?」
「なんか顔赤いぞ」
てん、と額を合わせると、なんだか熱い気がする。
「解熱剤、一応飲んでおいたほうがいいんじゃねえの?」
「胃ヤラれそうだな。飯食ってないから」
「そういやそうだ……ちょっと待ってろ!」
言うが早いかたたーっとどこかにアキミが走っていった……十五分もしたろうか、アキミが両手にコロコロしたものをたくさん持って戻ってくる。
「なに、それ?」
「味噌おにぎり!」
「食堂行ったんか?」
「そ。あまりご飯で作ってもらった」
こういうときに、人見知りしない懐っこい性格というものは役に立つ。
「それにお見舞いだって!」
制服のポケットから、ぐちゃぐちゃになったプリンのカップがふたつ出てくる。
「あ、やべ。走ったからぐちゃぐちゃ」
「いいよ。腹に入ればおんなじ」
「ごめんな。じゃ、食おうぜ!」
ペりり、とラップを剥いて、コロコロの味噌おにぎりをふたりしてぱくんとひとくち。空きっ腹には沁みるほど美味かった。
「美味い!」
「食堂なんて、よく機転効いたなあ」
「おばちゃんたち帰る直前だったけど、事情話したら作ってくれたよ」
「そっか。昨日からお前には助けてもらってばっかだな」
「なに言ってんだよ! サ、サボろうって言ったの俺だし、このくらいはするよ!」
照れ隠しなのか、ばくばくと豪快に味噌おにぎりを食べながら、アキミが力強く言う。
全部食べると、なんとかふたりとも腹が落ち着く。それからぐちゃぐちゃになったプリンを、スプーンも使わずにずろろろろろ、と飲む。
「はー、美味かった。ごちそうさん、アキ」
「ななななななんでもねえよ! それよか薬、薬飲もう!」
アキミは完璧に照れている。散乱したラップやプリンの容器などをまとめてビニール袋に突っ込むと、がさがさと薬を探す。
「お! これいいかも! 熱と痛みに、だって」
「ああ、それがいいな」
言葉には出さなかったが、カズナリも自分が熱を出していることはなんとなく感じていた。いつもより体か熱い。足の痛みはずきずきとそこに心臓があるような感じで。
「はい、これな」
シートからふたつ、白い錠剤をぱきぱき出して、カズナリの手のひらに乗せる。
「ん、ありがと」
そのまま薬をぱくんと口にすると、手渡された水で流し込む。
しばらくすると、とろりと眠気が襲ってくる。
「わー、ここで寝るな! ベッド行け、ベッド!」
「んー、上まで行けるかなあ」
「あ、そうか。じゃあ一緒に寝ようぜ」
「一緒に?」
「い、嫌か。嫌だよなあ、あはははは」
「いいよ。アキが枕になってくれるなら」
「なる!」
――こうしてふたりはまた、狭いベッドでギチギチになりながら、一緒にしばらく眠った。
「……カズ、あのさ」
狭い二段ベッドの下の段に、ふたり寄り添って眠っていたのが、習慣で五時に目が覚める。そして腕の中でとろとろ眠っていたカズナリに声をかける。
「ん?」
眠そうに目を開けるカズナリ。泣き腫らした目が昨日の事件が事実だったのを物語る。
「今日サボろう」
素敵な提案をするように、アキミがこそこそっと口を開く。
「は?」
「昨日の今日だし、授業も部活もサボろう」
「なんで」
「足、休ませないと」
「お前はピンピンしてるだろ」
「介添人てことで」
「なんだよ、介添人て」
カズナリが無理に笑う。
「歩くの大変だろ、その足じゃ」
上半身を起こした姿勢で、カズナリを腕の中に閉じ込める。寝起きだからか、ふたりの体温は熱い。細身だが、筋肉がしっかりついているカズナリの体は、それから逃れることはせずに、気持ちよさそうにそのアキミの胸元に頭を預けていた。
「大丈夫、だよ……」
アキミの鍛えられた胸の奥から、鼓動が聞こえる。それはいつもより速く、落ち着いているように見えて、アキミも緊張しているのがわかった。
「お前、無理すっから心配なんだよ」
「……うん……」
体のどこかが痛むとき、アキミはわあわあと主張するが、カズナリは、限界まで我慢して、ぼそり、と痛い場所をつぶやく程度だ。そんなカズナリのことをわかっているからこそ、アキミは心配している。
「病院、行こうぜ」
「このくらい、なんともない」
「なんともあるだろ。寝てるときもかばって寝てたし」
「なんでそんなの知ってるんだ」
「んー、まあくっついてたし」
ぽっと頬を赤らめながら、言葉を選んでアキミが言う。
「……おかしいかな、俺たち」
不安げにカズナリがぼそりという。
「俺たちがよければいいんだって……それとも、嫌か?」
「いっ、嫌だったらこんな狭いとこで寝ない」
今度はカズナリが赤くなる番だった。
「俺、俺だけがお前のこと好きなんだと思ってた」
「なんで?」
「カズ、あんまりそういうの好きそうじゃなかったし……男同士だし」
口ごもるアキミの頬に、そっと触れる。
「俺も好きだよ、アキのこと。もうずっと前から」
「マジ? なんだよ、もっと早く言ってくれればよかったのに」
「いつ言うんだ、そんなこと」
「そりゃそうだけどさあ」
片手で、愛おしそうにカズナリの頭を撫でる。
「俺さ、お前が跳ぶの観てんの、すっげえ好きなんだよ……まるで鳥が飛んでるみたいで」
ポソポソ言うアキミの声に、心地よさそうに目を伏せる。
「俺も、お前走ってるとこ観てるの好き。風が吹き抜けるみたいで、すがすがしくて。だから、負けるな」
まるで歌うように告げるカズナリの声が、落ち着いている。
「おう! 負けねえよ。お前もな」
「わかった」
その日は、寮母に今日学校を体調不良で休む旨を伝えた。
そしてカズナリは止めたが、顧問と部長に昨日の録音を聞いてもらい、今日は足の不調で休む、と告げた。マネジャーの起こしたあまりの出来事に、顧問も部長は真っ青になる。そしてすぐにマネジャーを呼び出して、この録音の真偽を確かめた。するとマネジャーは悪びれもせずにそれをあっさりと認めて、もう受験に集中するから今日限りで辞める、と無責任な発言をしてさっさと退出し、顧問と部長を怒りで真っ赤にさせた。
「テヅカヤマはどうしてる?」
「足痛くて動けねえんで、部屋にいます」
顧問も部長もカズナリのメンタルを心配していた。
「メンタルなら大丈夫です。俺がいますから」
「なんでお前がいると大丈夫なんだ」
「俺たち、幼なじみで親友ですから」
「そ、そうか。本当に任せて大丈夫なんだな?」
「任してください」
顧問がアキミの本気の目を見て、結局全部任せてくれた。
――病院
朝イチで来院したので、病院は空いていた。整形外科に保険証を出して、長椅子に座って待つ。すぐに名前を呼ばれて、カズナリが診察室に消えた。ところが、十分もしないうちに車椅子で出てきた。
「おい、車椅子って大丈夫なのか?」
と問うアキミは、
「いや、これからレントゲンとCT検査、それ終わんないとなんとも言えないって」
と軽くカズナリに言われる。
アキミが慌てて
「じゃあついてくよ」
というと、
「車椅子あるから大丈夫」
冷静にカズナリが応える。
「でもお前、車椅子なんで初めてだろ」
「なんとかなるよ。大げさ」
じゃーなー、とひらひら手を降って器用に車椅子を扱って、カズナリの姿はエレベーターに消えた。周りはどんどん人が多くなっていき、混雑し始める。ただ待ってるのも暇だな、と思い始めた頃、カズナリが戻ってくる。
「暇なんだろ」
「おう」
「だから学校行っとけばよかったのに」
「そんなこと言われても心配で、ただでさえ身の入らねぇ授業に、もっと身が入んねぇのわかってるもんよ」
「俺をダシに使うな」
けらけら笑うカズナリは、一見昨日のことなど気にもしていないように見えるが、アキミにはわかる。昨日のショックから、まだまだカズナリが立ち直っていないことを。
気を紛らせるように、どうでもいい話をしながら待っていると、カズナリが名前を呼ばれて、診察室に消える。
……ひとりで黙って待っていると、どうしても嫌な考えばかりがアキミの頭を巡ってしまう。
「おう、お待たせ」
右足をテーピングされたカズナリが、ひょこひょこと診察室から出てきた。
「ど、どうだった?」
「まあ、軽くない打ち身みたいなもんだってさ。靭帯や骨とか、筋肉はセーフ」
「よかったあ」
「ホント」
「全治何日?」
「まあ、一週間くらいかな。テーピングなら自分でもできるから、練習は明日から再開、と」
「無理すんなよ」
「しないって。痛いのはもうゴメンだ」
「はー、よかったあ」
思わずがっくりと膝に手を置いて脱力するアキミの頭をポンポンと軽く叩く。そして、ありがとな、心配かけてごめん、とちいさな声で言った。
そのまま学校に帰って、寮に戻る。まだ授業には間に合ったが、今日は休もう、とふたりでなんとなくそう決めた。
「……足、どう?」
「どうって……病院行ったばっかだからなあ。あ、でも固定されてるから楽と言えば楽かな」
応えるカズナリの顔が赤い。
「お前、熱あんじゃねえの?」
「え? 熱?」
「なんか顔赤いぞ」
てん、と額を合わせると、なんだか熱い気がする。
「解熱剤、一応飲んでおいたほうがいいんじゃねえの?」
「胃ヤラれそうだな。飯食ってないから」
「そういやそうだ……ちょっと待ってろ!」
言うが早いかたたーっとどこかにアキミが走っていった……十五分もしたろうか、アキミが両手にコロコロしたものをたくさん持って戻ってくる。
「なに、それ?」
「味噌おにぎり!」
「食堂行ったんか?」
「そ。あまりご飯で作ってもらった」
こういうときに、人見知りしない懐っこい性格というものは役に立つ。
「それにお見舞いだって!」
制服のポケットから、ぐちゃぐちゃになったプリンのカップがふたつ出てくる。
「あ、やべ。走ったからぐちゃぐちゃ」
「いいよ。腹に入ればおんなじ」
「ごめんな。じゃ、食おうぜ!」
ペりり、とラップを剥いて、コロコロの味噌おにぎりをふたりしてぱくんとひとくち。空きっ腹には沁みるほど美味かった。
「美味い!」
「食堂なんて、よく機転効いたなあ」
「おばちゃんたち帰る直前だったけど、事情話したら作ってくれたよ」
「そっか。昨日からお前には助けてもらってばっかだな」
「なに言ってんだよ! サ、サボろうって言ったの俺だし、このくらいはするよ!」
照れ隠しなのか、ばくばくと豪快に味噌おにぎりを食べながら、アキミが力強く言う。
全部食べると、なんとかふたりとも腹が落ち着く。それからぐちゃぐちゃになったプリンを、スプーンも使わずにずろろろろろ、と飲む。
「はー、美味かった。ごちそうさん、アキ」
「ななななななんでもねえよ! それよか薬、薬飲もう!」
アキミは完璧に照れている。散乱したラップやプリンの容器などをまとめてビニール袋に突っ込むと、がさがさと薬を探す。
「お! これいいかも! 熱と痛みに、だって」
「ああ、それがいいな」
言葉には出さなかったが、カズナリも自分が熱を出していることはなんとなく感じていた。いつもより体か熱い。足の痛みはずきずきとそこに心臓があるような感じで。
「はい、これな」
シートからふたつ、白い錠剤をぱきぱき出して、カズナリの手のひらに乗せる。
「ん、ありがと」
そのまま薬をぱくんと口にすると、手渡された水で流し込む。
しばらくすると、とろりと眠気が襲ってくる。
「わー、ここで寝るな! ベッド行け、ベッド!」
「んー、上まで行けるかなあ」
「あ、そうか。じゃあ一緒に寝ようぜ」
「一緒に?」
「い、嫌か。嫌だよなあ、あはははは」
「いいよ。アキが枕になってくれるなら」
「なる!」
――こうしてふたりはまた、狭いベッドでギチギチになりながら、一緒にしばらく眠った。