むかしむかし、とまではいかないちょっと最近の話。
あるところに意地っ張りで強情で、夢見がちなお姫さまが住んでいました。
お姫さまには魔女に喉を呪われて、毎日息苦しさを感じながら過ごしていました。
そんな時、お姫さまは塔の上に眠る王子さまと出会ったのです。
頭の真ん中まで響いてくるその音は、ドラゴンが吠えたける音よりも絶対にうるさいと思う。生まれてこのかた、ドラゴンの鳴き声なんて聞いたことはないけれど。
う、と呻き声を上げて耳横で鳴り響くスマホを人差し指で黙らせた。
頭に残るアラーム音に顔を顰めて布団の中でもそもそと身じろぐ。その拍子に何かが枕元からバサリと落ちた音がした。
多分昨日眠る直前まで読んでいた小説がベッドから落ちたんだろう。
ゆっくりと瞬きをする。視界は魔女の住む森の深い森を歩く時みたいにぼんやりしている。
のっそりとスマホを掴み布団の中に引き込む。眠気まなこに画面の光はちょっと痛い。
暗い布団の中でひとつあくびをして表示された時刻を見る。次の瞬間勢いよく布団を蹴飛ばした。
「サイッアク!」
昨日椅子に掛けたままのセーラー服をむんずと掴んで洗面所へ走る。途中で急ブレーキをかけて枕元に置きっぱなしだったスマホを掴んだ。
髪を梳かし歯を磨きながらスマホをカツカツと叩く。
クラスのグループトークは隣のクラスのカップルが別れた話から始まり、クラスのお調子者がおすすめした動画の話題で盛り上がって、最後は流行りの漫画の話で終わっていた。
とりあえず動画のリンクを叩き2倍速で再生する。
動画を横目に鏡を覗き込む。
息が詰まるのはポロシャツのボタンを上までとめたからだ、きっと。
スカートのチャックを上げながらバタバタとキッチンに駆け込んでカゴに入っていた細長いパンをひとつ掴む。
すると玄関ドアの鍵がかちゃりと開く音がして「げ」と声を漏らす。廊下を歩いてくる音がして廊下とリビングを仕切る暖簾がスッと持ち上げられた。
中へ入ってきたパンツスーツ姿の人物と目があって顔を顰めた。
「未来、まだ学校行ってなかったの!」
「今用意してるし、喋ってる時間ないから!」
「何よその口の聞き方は! もう中学生なんだから、言われなくてもちゃんとしなきゃダメでしょ! ていうか遅刻してるのに動画なんて見てるの!?」
「ああもう、うるさいなぁ! お母さんだって忘れ物したから戻ってきたんでしょ! 人のこと言えないじゃん!」
それは、と言葉を詰まらせたお母さん。眉を顰めてテーブルの上に置きっぱなしになっていたクリアファイルをいそいそと鞄にしまう。
ほぉら、と口に出すと怒られるので心の中で呟き肩にカバンをかけた。
廊下をバタバタと走っているとお母さんも後を追ってきた。
「未来、今日は早めに帰ってきてちょうだいね」
残り半分のパンを無理やり口に詰め込んで、スニーカーの紐を結びながら「なんで」と尋ねる。
「ほら、前から話してた《《高木さん》》が……」
そこまで聞いて何の話をしたいのか理解した瞬間、反対足のつま先は無理やりスニーカーに突っ込み床に叩きつける。
続きを聞くよりも先にボロい鉄製のドアを開けて飛び出した。
「未来!」
お母さんが私の名前を呼ぶ。キュッと唇を一文字に結び階段を駆け降りた。
行ってきますは言わない。
綿飴をちぎったみたいなぼやけた雲が浮かぶ空を見上げながら、中学二年生の私が使うにしては少し古臭い錆び付いた自転車で突き進む。
お昼間近のゆったりとした空気が漂うこの道に、キコキコ、シャッシャッ────と今にも潰れそうな音がむなしく響いた。
雑草まみれのフェンスの向こう側で最寄り駅から出てきたばかりの電車が少しの間私と並走し、やがて飛び出した。
ずんぐりむっくりしたバイクがぶおんと私を追い抜かしていく。
遠くなっていく二つの背中に、立ち上がってペダルを踏んだ。
大通りに出ると、昼ごはんの食材を調達するために出かけている主婦が多かった。
信号で止まるたびに皆が私をちらちらと見てくる。とっくに学校は始まっている時間だから制服姿は結構目立つ。
こちらを窺ってくる視線が居心地を悪きして、大通りから一本外れた路地に入った。
「あれ、この道初めて通ったかも」
そう呟きながら見慣れない路地を進む。
大通りの場所はちゃんと把握しているし、わからなくなれば戻ればいい。
そう思いながら突き進むと、そこそこ大きい小綺麗な公園が見えてきた。入口に季節の花が揺れる花壇があって、少し小高くなった公園の中心には大きな時計台がある。
鉄製のベンチには老夫婦が寄り添って日向ぼっこをしていた。ふんわりと甘い花の香りを乗せた風も私を追い越す。
さらに進めば外観の綺麗な住宅地に入った。お洒落なクリーム色の煉瓦作りの一軒家が立ち並ぶ。
さっきの花の香りはここから届いたのだろうか。
どの家も花壇の手入れが行き届いていて、小さな花が揺れている。
自分が今朝飛び出してきたボロいアパートを思い出す。