その日、二人が帰宅したのは二十時を回った頃合いだった。

「た、ただいま……」

 築三十年のアパートのドアを開け、疲れがどっと押し寄せた雲雀はスーパーの袋を床に置いてはその場で腰を下ろした。

「ほら、ひーくん。もうちょいだから頑張って。タカくん特製の鍋でレッツパーティーするんでしょ?」
「ん……」

 とろんとした瞳は眠気が間近であると鷹千代は悟った。
 それでも強引に動かすことに成功し、購入した野菜や麺類を鍋へとぶち込む作業に移す。

 保健室にて覚悟を決めたのち、他でもない雲雀の口からクラスメイトを始めとする生徒や教師に二人の関係を明かした。緊張の面持ちで語られた真実に各々驚きや、質問責めに合いながらも普段の日常とは違う一日を過ごす。
 その結果、授業の三時間を潰すことになり一部の教師らから反感を買い、放課後の反省文と労働を強いられて帰宅。不慣れな人前での行動に雲雀は限界になりながらも鷹千代提案の鍋パーティーを表には色濃く出さないが楽しみにしていた。

「さーて、雲雀! 出来たよ、起きなされ」
「うん……あ、良い匂い」

 帰宅までに何度も腹の虫が鳴り、それが満たされるほどの嗅覚を無性に擽られる。

「はい、これが雲雀の分ね」
「ありがとう、お母さん」
「誰がオカンやねん! あ、多かった?」
「ううん、大丈夫。今日は食べられそう。タカくんも野菜、ちゃんと食べなよ」
「はいはい、わーってるって」

 手を合わせる前にも関わらず、摘まみ食いとして肉のみを口に含む鷹千代を注意しながらも食卓を囲む。

 いつものように、本日あった出来事を語りながらの食事。しかし、ふと雲雀は照れさを加えながら口を開いた。

「あの、さ。……ありがとう」
「ふっ、どういたしまして。まあ、何に対してかはわからないけど」

「それ、普通先に訊くものでしょ。……えっと、僕を好きでいてくれて?」
「え、なにゆえ疑問形? けど、朝言ったことちゃんと実行出来てるのですべてヨシ! さっすがは我が王子様、素晴らし過ぎっ!」

 くしゃり、と笑う。
 裏のない満面の笑み。素朴で、純粋で、愛しいものを見詰めるような、この世の誰よりも優越に浸る表情にて。

「……タカくん、いつでも幸せそうだよね」
「まあね、誰かさんのおかげで毎日が幸福に満たされてますから!」
「……っ! またそういうことを、平気で言う……」

 小声。ほんのりとした独り言を口にし、鷹千代は不思議そうに疑問を投げ抱える。

「ん、何か言った?」
「いや別に! た、ただ……今日は一緒お風呂入りたいなって思っただけ――」

「えっ、マジで⁉」
「ちょ、うるさっ……」

 鼓膜が破れていないか、と疑うくらいの大きな声量。

 入学と同時に越して半年。
 彼らは食事や離れていても学校生活で時間を共有する機会は多いが、風呂と睡眠は別途で行動している。それは他の誰でもない雲雀からの提案であり、中学卒業前に一度だけ一線を越えて以降しばらくの間ずっと休戦をしていた。その理由について鷹千代は直接触れて来なくとも。

 ……ただ、彼はずっと待っていた。



 ――気持ちの整理が付いた時改めて必ず誘うから、と言い残して。

「くぅー! そうと決まれば早く食って、とっとと部屋着持ってくるわ」
「切り替えの天才……って。い、一応言っとくけど! 明日も学校あるから、一回だけだからね⁉」

 釘をさす。それは鷹千代に対してだけではなく、自身の戒めとしても。

「はーい。くふふ……ひーくんの華奢な裸体をまた拝めるとは、今から至高の域」
「ちょっと! 本人目の前にして変な想像はしないでよ。ってか、もう言うほど華奢じゃないし。知らないかもだけど、これでも少しずつ筋トレしてるからね」
「へぇ、そりゃ二重の意味で楽しみだわ。さ、食器洗って必要な物取りに行ってきますかー」

 るんるんとした面持ちの鷹千代に、雲雀は心揺さぶられる。


 その日、一組のカップルが僅かに。ほんの一歩だけ距離が進んだ。自信を失った恋人に強引な荒治療を起こしたことで再度前を向くことによって――鷹千代と雲雀は、互いの死を分かつ瞬間まで一緒に居たという。