翌日の日曜日も、おはようのやりとりをスマホでしただけで、陸とは何もなかった。
莉愛や舞から、初デートがどうだったのかと連絡が来たけど、私は昨日の出来事を話すことはできなかった。
なんだか、自分がみじめで、莉愛や舞に心配されることも嫌だったから。

昨日の夜。
モヤモヤが止まらず、久しぶりに新しいノートを開いて本音を書き出した。
あのノートは、瑛人が持ち帰ったままだ。
だからまっさらなノートの1ページ目を開いて思いつくままに書き連ねていった。
陸の理不尽なイライラがものすごく嫌だったこと。
付き合うと言ってしまった自分への情けなさ。
書きながら、久しぶりに泣けてきた。
ずっとずっと、緊張で気を張って一日中過ごしていて、自分の思いを文字に起こしたら一気に感情が溢れてくる。

だから昨日はそのまま気を失うように眠った。

日曜日。
外はどんよりと重い雲で覆われていて、まるで私の心の中のようだった。

明日からは、、陸のバスケを見に行かなきゃなんだよな。

考えるだけで気が重くなる。
どうせ早紀たちや、ファンクラブの子達も見に来てて私を見たら嫌な顔されるんでしょ?
マジでヤダ、本当にヤダ。

私は重い気持ちのままどこにも出かけることなく、貴重な日曜日を終えてしまった。

翌日は昨日とは違い再び強い日差しが朝から照りつけていた。私は重い足取りで学校に向かい教室に入る。
すると、私の席の近くで私を待っていた莉愛と舞が心配そうな顔つきで私を見ている。

「おはよー、莉愛、舞!」

いつもどおりの明るい笑顔で挨拶するも、莉愛たちの顔つきは変わらない。

「どした?」

私が聞くと、莉愛がほんの少し顔を動かして目配せした。
莉愛が目配せした方を見ると、早紀がすごい形相でこちらを見ている。

「早紀の耳にも入ったっぽい。湯川先輩とのこと」

かなりの小声で舞が私にそう言った。

「そ、そうなんだ」

私はとりあえず平然とした顔をして自分の席に腰掛け、カバンの中身を出す。

「睨まれても、、どうにもできないもんねぇ」

私の心臓がバクバクと音を立てていたけれど、少し笑いながらそう言って莉愛たちの顔を見た。

「だよね、さすが彼女の余裕!」

莉愛は安心したようにそう言って私の肩をポンと叩いた。その声が聞こえたのかは分からないけど、早紀はもう一度私の方を苦々しい顔で睨むとプイと向こうを向いた。

彼女の余裕なんか全然ない。
ましてや彼女だっていう実感もない。
土曜日だって、最初から最後まであたふたして結局不機嫌なまま陸と別れたのだから。

放課後。
久しぶりに一緒に帰ろうかと、莉愛や舞に誘われた。

「バスケ見にいこうかと思って」

私がそう言うと、2人は納得したように頷いた。
金曜日に見に行かなかったことで、陸がものすごく不機嫌だった事は話さず、あくまで自分から見にいこうと思った風に話した。

「早紀たちファンクラブの連中の反応がちょっとこわいね」

舞が少し心配そうに私の顔を覗き込む。

「だねー。でも慣れてかなきゃ仕方ないよね。頑張って堂々と見てくるよ」

精一杯強がりを言って笑いながら、私は莉愛や舞と別れた。
実際、私たちが話してる横を早紀が目も合わさずに教室を出て行った。

「ふーっ、、」

一度大きな息をついてから、私は体育館へ向かう。

体育館が近づいてくると、バスケットボールがダンダンダンと弾む音、バスケットシューズがキュッキュッと床を踏みしめる音が聞こえてくる。
それと同時に、「キャーッ」という女子の歓声も聞こえてくる。
私の手はじっとりと汗をかいていた。
今から彼氏のバスケ姿を観にいくだけなのに、まるで戦場に乗り込むかのような緊張感と不安感でいっぱいになりながら足を進める。
本当は行きたくないのだ。
土曜日の陸の態度も、早紀達の態度も気になってそんな場所に向かいたくないのだ。
だけど、行かなければまた陸は余計に不機嫌になるんだろう。

体育館の扉や窓はすべて開け放たれていて、大きな扇風機のようなものが回っていたけれど、中は息苦しいほどの熱気に満ちていた。
こんなハードな運動をするのにいくら室内とはいえクーラーをつけてあげて欲しいと思う。

体育館の半分はバレー部、もう半分はバスケ部が使用している。
どちらからも、掛け声のような激しい声が響きあっている。
入り口近くのコートから離れた場所からみても、陸の姿はすぐに分かった。
みんな長身ではあったけど、中でも飛び抜けて背が高くて、手足が長いのが陸だった。
バスケのことは全く分からないけど、コートの端から端までを休みなく駆け抜けて、次々とシュートを決めていく陸はやはり目立ってカッコいいと思ってしまった。
陸がシュートを決めるたび、女子の歓声が上がる。
私は入り口すぐの所で立ったまま、しばらく陸の姿に見とれていた。

しばらくすると、笛が鳴り試合が終わったのかコートにいるみんながゾロゾロと休憩に戻ってくる。
その時、陸が私に気付き軽く手を挙げ近寄ってきた。
汗だくなのに、それでも爽やかに見えてしまうのはやはり顔がいいからなんだろうか。

「日菜。オレのエアシュート見てくれた?」

陸の言葉に思わず頷いてしまったけど、エアシュートがなんなのか分からない。

「休憩の後は、基本練習になるからあんまりつまらないかもしれないけど、いっぱい見てて」

そう言って陸が部活の仲間と飲み物を買いに体育館外へ出てしまった時、

「そこ邪魔なんだけど。マナー悪!」

と言う声が聞こえた。
周りを見ても誰もいない。
そういえば女子の歓声はたくさん聞こえるのに、姿が見えないことに気づく。

「そんなとこでウロウロするとか、自分は特別な存在だとでも言いたいの?」

そう言われてようやくその声が頭上から聞こえているんだと気づいた私は上を見上げた。
体育館の2階にぐるっと取り囲むように柵に囲まれたスペースがあり、そこに数人の女子がいて私を見下ろしている。

さっきから、私に注意をしているのは早紀だった。

「あ、、ごめん」

私は慌てて、2階にあがる階段へ向かう。
飲み物を買ってきた陸が私に気づいて、「まさか帰るの?」と聞いてきた。
本当は帰りたかった。

「ちがうよ、ごめんね、邪魔な場所で見学しちゃって。上から見ないといけなかったよね」

私がそう言うと陸は

「え、別にいいんじゃん?オレの彼女だし。いいよな?」

そう言って周りのみんなに同意を求める。
周りのみんなも「別にいいっすよ」と素直に頷いて、
陸は「な」と私を連れ戻そうとした。

「あ、でも!上からの方がシュートがよく見えるかもだし」

私は慌ててそう言って、陸の手を振り解いて階段を登った。

登り切った所で早紀を筆頭に陸のファンクラブで有ろう数人の女子の視線が一気に集まる。
聞こえるか聞こえないかくらいの声で何かを言っているのが聞こえてくる。
あー、、この感じ。
再び、小学生の頃の嫌な思い出が蘇る。
空気読んできたのにな、本音を言わずにきたのにな。
やっぱりこうなる。
私が悪いのかな。
きっとそうなんだよね。
自分では一番最善を選んでるつもりでも。

私はその女子の集団からはずいぶん離れた、正直あまりよく見えない場所でコートを見下ろし陸の姿を目で追った。走るスピードも、シュートを打つ長い腕も、部員の中でも引き立って見える。
あの人が私の彼氏なんだ。。
なんだか人ごとのようにそう思いながら、ぼんやりと陸の姿を見ていた。
やっぱり、なんで私に付き合おうと言ったのか理解に苦しむ。陸の周りにはこれだけの女子が常にいて中にはすごく可愛い子もいるのに。

一目惚れだと言って、私に告白してきて、なのに昨日のあれほどの不機嫌な姿。あれを思い出すとやっぱり胸がぎゅっと締め付けられるような感覚になる。
こうして今バスケをやっている陸は、爽やかでカッコよくて、何一つ欠点のない完璧な人のようにさえ見えるのに。
陸はいったい何を望んでるんだろう。

その時、高い笛の音が鳴り、私はハッと我に帰る。
じっと陸を見てたつもりが、いつの間にかぼんやりと考え込んでいたらしい。

基本練習なるものは終了したのか再びみんながゾロゾロと休憩に入った。陸が上を見上げて私に手を振ると、早紀たちの集団から悲鳴のような声が上がった。
そして、睨むような視線。
悪いことをしているわけでもないのに私は体の下の方で小さく手を振った。

「なんで、あの子なの?大して可愛くないじゃんね」

明らかに聞こえるくらいの声で誰かがそう言ったのが聞こえた。

そうだよね、私もそう思うよ。

私は心の中でそうつぶやいて目を逸らす。

あれだけハイスペックの陸に全く釣り合ってないんでしょ?分かってるよ。
胸のざわざわが止まらなくて、再び始まったバスケの練習試合で目の前で陸が何度もシュートを決めていても、なんだかテレビの中のワンシーンをぼんやり眺めているような感覚だった。

しばらくぼんやりと眺めていると、早紀たちが私の方に歩いてくる。

「邪魔なんだけど」

吐き捨てるように早紀がそう言って、それに続いて他の女子も私をチラ見して横を通り過ぎていく。
どうやら部活が終了したようだった。

私はみんなが階段を降りてしまったのを確認してから、下へ降りる。

「日菜、何してんの?」

なかなか降りてこない私を、階段の下から陸が見上げていた。

「ごめん、いっぱい人がいたから」

私は少し早歩きで階段を降りて陸の横に立つ。
陸の体からは熱気を感じる。

「おつかれさま。」

「見てくれた?」

「うん、すごかったねー。」

私がそう言うと、満足そうに頷いて「着替えてくるから待ってて」と姿を消した。

「ふーーっ」

残された私は大きなため息をついて壁にもたれかかった。なんだかすごい疲労感だった。
これ、、毎日来なきゃいけないのかな。
確かに陸のバスケ姿はカッコいい。
でも、見たいわけじゃない。
それは、、私が陸のことをまだ好きじゃないから?
訳がわからないうちに陸と付き合うことになって、
自分の気持ちは置いてけぼりだ。
自分がオッケーしたんだから、仕方ないんだけどいつか本当に陸を好きになって毎日会いたいと思う日がくるんだろうか。

「帰ろ、日菜」

ぼんやりそんなことを考えていた私の前にいつの間にか陸が着替えて立っていて、私は思わず「あ」と声をあげた。

「暑すぎ、はー、疲れたぁ」

陸はそういうと、手に持っていたペットボトルの水をガブガブと流し込んだ。
私も喉乾いたな、と思いながらチラリと体育館横にある自販機を見たけれど、陸はさっさと歩き出した。

「お疲れ様、毎日あんなハードなの?」

私は慌てて足を早めて陸の斜め後ろに並んで歩く。

「ま、あんな感じかな。オレは基本試合をずっとやってたいんだけどな。ま、後輩らもいるし基本練習がメインになる日もあるかな。」

そう言いながら陸は再びペットボトルの水を飲む。

「か、カッコよかった」

口に出して、顔が赤くなった気がした。
でもそう言わなきゃいけないような気がした。

「そ?ありがと」

意外と陸は素っ気なくそう言って、辺りを見渡した。

「ちょっとだけ遠回りして帰ろ。ほら、あの河原の公園。あそこでアイスでも食おーぜ。」

私の方をあまり見るでもなく、陸はそう言って校門を出ると私の手を握った。

「河原って、、あの河原、、?」

なぜか私の心臓が早くなる。

「そー。あの日菜がオッケーしてくれた公園♪」

歌うように陸はそう言って、私の手をブンブンと振った。

「あそこ、よく行くの?」

振られた手に力が入って、痛いのを我慢しながら私が尋ねると陸が急に立ち止まった。

「よく行くってこともないけど。あそこ、なんかいいじゃん?日菜も好きだろ?」

立ち止まった陸が私の目を覗き込むようにそう言った。
なぜか、その目が怖くて私は目を逸らす。

「好きって言うか、、友達とはよくあそこに寄り道したりはするけど」

「へー、友達と」

「うん、高架下でおしゃべりとか、、」

陸の言葉にはなぜかトゲがある気がして、私はますます声が小さくなる。

「さー、なんのアイスにする?」

コンビニに着くと陸はサッと手を離して店内を周り出した。一気に冷たい空気が体を冷やしたけど、私の心の中はすっきりしない。

何?なんでそんなこと聞くの?
陸は何が言いたいんだろう。

私は意味もなく、陸の後ろについて歩くだけで商品が何も目に入ってこない。

「日菜は何食うの?」

気づくと陸はカゴの中に飲み物やアイスをすでに入れていて、私は慌ててアイスミルクティーを手に取る。

「それだけ?アイスはなくていいの?」

「え?あ、うん、大丈夫」

私がそう言うと、陸は私の手から奪うようにミルクティーを取るとカゴに放り込んでレジに向かった。

コンビニを出ると陸が

「アイス溶けちゃうから河原までダッシュ!」

突然そう言って走り出した。

「えっ、あっ、ちょっと待って!」

走り出した陸はスピードが早くて全然追いつけない。
コートの中でも、端から端まであっという間にドリブルで走り抜けてたっけ。
でも、これはちょっときついー!!

必死に走って陸の背中を追う。

「到着ー!」

先にベンチについていた陸はドサッと座ると、再び飲み物を一気飲みした。

「はい、ミルクティー」

手渡されたミルクティーを持ったまま、私は息を整えるのに必死だ。

喉はカラカラ、汗はダラダラ。
やっとの思いで遠慮がちに陸の隣に腰を下ろして、ミルクティーを口に運ぶ。

あー、選ぶのミルクティーじゃなかったなー。

甘ったるいミルクティーが余計喉に張り付くようで息苦しい。
陸を見ると涼しい顔で、チョコアイスを頬張っていた。

私はミルクティーを少しずつ口に運びながら、周りを気にしていた。
もしかして瑛人がまだノートの持ち主探しをしてるんじゃないかと不安だったから。
別に悪いことをしてるわけじゃないのに、見られたくない、そんな気持ちだった。
私が見る限り、瑛人の姿はなかったけど私はなぜか落ち着かなかった。

「さっきからさ。誰探してんの?」

ハッとすると、陸がまっすぐ私を見ていた。
ドキッとして慌てて下を向く。

「誰も探してないよー。今日は人が少ないなーと思って見てただけ。」

咄嗟にそう答えてるミルクティーを喉に流し込む。
ますます喉につっかえたようになって、ミルクティーがうまく飲めない。

「ふー、、ん」

陸はアイスの最後の一口を一気に口に入れて、棒を引き抜くともう一度私の顔を見た。

「さっきからずっとキョロキョロしてんじゃん」

「そ、そんなことない」

「ま、いいけどさ。」

陸は、ゴミをひとまとめにすると大きなため息をついた。

え、また不機嫌になった、、?

「日菜はさ。俺のことどう思ってる?」

突然、陸はそう言うと真顔で私の顔を見た。
整った表情が逆に恐く見える。

どうしよう。なんて答えたらいいんだろう。
心臓がバクバクと音を立てはじめた。

「どうって、、、かっこいい人だなって、、」

そう言って私は思わず唾を呑んだ。
ミルクティーを飲んだはずなのに、また喉はカラカラだ。

「他には?」

「え、、他にはって、、」

やっぱり好きかどうかって聞かれてるのかな。
ここは好きって言うべき?
どうしよう、どうしよう。
正解は何?

私の頭の中はぐちゃぐちゃだった。

「す、、、」

言いかけて、言葉に詰まる。
好きなのかと言われたら、本当はきっとまだ好きではない。

「なんか、俺じゃなかった感でてるけど。」

先に陸にそう言われて、ますます言葉に詰まる。

「そ、そんなことない!」

私は咄嗟にさっきと同じ事を言って、手をぎゅっと握りしめた。
その時だった。
陸の顔がグイッと近づいてきて、私の唇に陸の唇が触れた。

「っっ!?」

突然すぎて、一瞬何が起きたか分からず私は目を見開いたまま動くことができない。
唇が触れていた時間はほんの数秒だったんだけど、私には時間が止まってしまったかのように感じた。
唇に残るさっきまで陸が食べていたアイスのチョコの味が妙にリアルで私はうつむいた。

「嫌だった?」

陸は私から少し離れると目を逸らしてそう言った。

私は声にならず、ただ首を横に振る。
嫌とか、うれしいとか、そんな気持ちを感じる余裕も私にはなかった。
だけど、なぜか分からないけど涙が出そうだった。

その時だった。

私たちの目の前を、自転車を押した誰かがゆっくりと横切った。

「おぅ」

陸がそう言い、私も顔を上げる。

え、、!?

「お疲れ様っス」

そう答えたのは瑛人だった。
一度帰ったのかラフなTシャツとパンツ姿の瑛人が少し通り過ぎた辺りで立ち止まり、こちらを見ている。

「どっか行ってた?」

陸がそう尋ねると、瑛人は「まあ、買い物に」と答えて自転車にまたがった。
瑛人は私の方を一瞬も見ようとはしなかった。
私は、全身が心臓になったかと思うほどにドクドクと震えていた。

今更、キスに動揺したの?それとも瑛人に見られたかと思って動揺したの?

自分でも分からないくらい私は動揺していた。

「あ、こいつオレの彼女。知ってるか」

陸は突然少し笑うようにそういうと、私の肩をポンポンと叩いてみせた。

瑛人は、一瞬だけ私に視線を移すと「知ってますよ」と
うなずき、「じゃ急いでるんで」とそのまま走り去った。  

「あいつの事、知ってるだろ?」

陸は私の肩に手を置いたまま私にそう尋ねた。
私は未だ収まりきらない動揺の中コクリと頷いてみせる。

「相変わらずだな、あいつ」

陸はそう言って、フッと笑った。

「し、、知り合い?」

そう言えば、この間も軽い会釈みたいな感じだったから知り合いかなと思ってたけど。

「あー、もともとバスケ部の後輩だよ。」

陸はそう言いながら、足元の砂利をスニーカーでグリグリと蹴った。

「そうなんだ。知らなかった、、」

瑛人、部活入ってないって言ってたのにバスケ部にいたんだ。。

「ちょっと意外だった」

「そ?まー、アイツもそれなりにバスケうまかったけどな。」

「なんでやめちゃったの?」

「さぁ?」

陸は一瞬黙った後に

「知らねー」

足元の砂利を前に蹴っ飛ばしながら、ぶっきらぼうにそう答えると、再び私の顔を見た。

「気になるの?」

陸は私の顔を覗き込むようにして、そう尋ねる。

「ううん、単純に疑問に思っただけ」

「ふーん」

陸は残っていた飲み物を一気に飲み干すと立ち上がった。

「帰るかー」

「うん、、」

私は歩き出した陸の後ろについて歩きながら、なぜか瑛人のことを考えていた。

あの日。
私が例のノートを落として、瑛人に拾われたあの日。
あの時も瑛人はこの場所にいた。
家がこの近くなのかな。
それとも未だにノートの持ち主を探そうとしてる?
まさか、ね。

「家、そっち?」

突然陸にそう言われてハッとすると、私は無意識にいつもの帰り道を帰ろうとして陸とは逆の方向に歩き始めていた。

「あ、ごめん。私こっちなんだ」

慌てて立ち止まると陸が私の目の前まで歩いてきて私の手を取った。

「黙ってどこかへ行くなよ」

「ごめん、、」

陸は「ふーっ」とため息をつくと私の手を離して
「じゃまた明日。オレはこっちだから。」

私の帰り道とは逆の方を指差して、背を向けた。
そのまま振り返りもせず歩いて行く陸の背中を私はぼんやりと眺めていた。

1人になり、自宅への道を歩いていると少しずつ日が暮れて辺りが薄暗くなってくる。その時一瞬フワッとチョコの香りがしたような気がした。
咄嗟に口元を手でぬぐってしまう。

私、陸にキス、、されたんだった。

突然それがはっきり思い出されて、なぜか胸が苦しくなる。それは、嬉しいドキドキじゃなくどちらかというなら後悔のようなマイナスな感情だった。
嫌だった?と陸に聞かれて思わず否定したけど、私は嫌だったのかもしれない。
たかが、キスだと言われるかもしれないけど今思えば私にとって大事な初めてのものだったんだ。
そう自覚したらますます胸が苦しくなって、まるで自分が汚れてしまったかのような気持ちにさえなった。

やっぱり私は陸のことを好きじゃない。
まだ、とかじゃない。
きっとこの先好きになることもない。
いくらかっこよくても、いくら人気があっても私にとって陸は、大事な人ではないんだ。
あの時、なぜオッケーしてしまったのか、何度後悔してももう遅い。
別れようという勇気も私にはない。
逃げられない場所に閉じ込められてしまったような、そんな気持ちだった。

家に帰ってまたノートを開く。

陸にオッケーしてしまったことへの後悔。
キスをされた事への嫌悪感、つらさ、ショック。
逃れられないような恐怖。
そして、それを作り出しているのは全て自分であるという情けなさ。

書きながら、涙が溢れた。
私はいつまでこんなことやってるんだろう。
全て自分のせいだ。
こんな自分本当に嫌なのに心から笑いたいのに。

付き合い始めた彼氏に初めてキスをされた日。
ほんとなら幸せに包まれて眠るはずだったその日。
私はどうしようもない辛さを抱えて眠りについた。


その日を境に、私は毎日陸の部活のバスケを見学し一緒に帰る日々が始まった。その度に早紀たちの嫌な目線に耐えなければならない上に、陸との帰り道も手を繋いでも並んで歩いても、私の心は全くというほど陸には動かなかった。
隣でバスケについて楽しそうに語る陸の横顔は相変わらず整っていて、半袖のシャツから伸びる長い腕はたくましくて、それでいてしなやかで、かっこいい彼氏そのものなのに私にはいつまで経っても心の落ち着かない存在のままだった。
日々のノートに書き綴られる本音は、日に日に増えていきそれを実感すればするほど、私の心は重く苦しくなっていった。

「ちゃんと聞いてる?日菜」

その声にハッとすると、河原のベンチで並んで座っていた陸が私の顔を不満そうに見ていた。

「ごめん、ちょっとボーっとしちゃった」

陸がこの間の試合ですごいシュートを最後に決めた事で逆転優勝したという話をしていたことは覚えている。
だけど、途中から専門用語が多くなってよく分からなくなって、いつの間にか私はぼんやりとしてしまっていた。

「興味ない感じだな」

ため息混じりに陸がそう言うと、首元にひやっとした風が吹き抜けだ。
ここ数日、少しずつ夕方には涼しい風が吹くようになってきて過ごしやすくなったけど、私にはその風で全身鳥肌がたつような感覚を覚えていた。

陸の目が、いつもの不機嫌な表情に変わっていたから。

「ごめん、違うよ。バスケの話ちょっと難しくて、、」

慌ててそう答えたけれど、陸の表情は変わらない。

「難しくてって、分かんなかったら聞けばいいし調べればいいんじゃない?」

「そ、、そうだよね」

確かに、言われる通りだ。
基本私は気になることはすぐに調べるタイプなのに、陸が話すバスケ用語は分からないのにそのままにしていた。

しばらく無言が続いた。

「なんか、、不満ある?」

突然、陸は真顔で私にそう尋ねた。

「え、、」

そう言われても何も言えない。
そんな聞き方ズルい。
不満なんて言い方されたら答えようがない。

「いつまで経ってもさ、日菜はオレの事見てくれてるように見えない」

そう言いながら陸は「ふーっ」とため息をつく。

「そんなこと、、」

いいかけて口ごもる。
陸のこと見てないのは事実だ。

「こんなんじゃ意味ないんだよなー」

陸は呟くようにそう言いながら大きく伸びをして、首を後ろにのけぞって見せた。


意味ないって、、どういう意味?
私がちゃんと陸を好きにならなきゃ意味ないってこと?

その時の私は、まだ深くその意味を理解していなかった。

「ま、そりゃさ。オレも適当な感じだから余計かもだけどさ。」

続けて陸がそう言った時にも、私には理解できずに黙ったまま陸を見ていた。

「そだ。次の連休にさ。どこか遊園地でも行こうよ。友達も連れてきていいから」

陸は急に思いついたようにそう言った。

「仲良い友達連れてきなよ。」

「え、、うん、、」

突然、なんでそんなこと言い出したんだろう。

そう思ったけれど、私はとりあえず話題が変わったことにホッとしていた。まさか陸が、あんなことを考えているなんて想像もしなかったから。

「また場所とか決まったら連絡するから」

一方的にそう言うと、陸はベンチから立ち上がった。
そして、私の手を取り立ち上がらせると上機嫌でブンブン土手を振った。

「じゃ、今日は帰ろ」

帰り道、さっきまで不機嫌だったのが嘘のように陸は終始笑顔で遊園地のプランについて話していた。

「たまにはわいわいみんなで楽しむのもアリだよな。」

「そうだね」

確かに陸と付き合うようになってから、舞や莉愛とも過ごす時間はほとんどなかった。私は久しぶりにそれも楽しいかもと少しワクワクもしていた。

その日の夜、陸から隣町のそこまでは大きくはないけど最近リニューアルされた遊園地に行こうと連絡が来た。

私がその事を翌日莉愛と舞に伝えると2人ともすぐにオッケーの返事だった。


「え、じゃあさ。私も蒼耶(そうや)連れてこかな」

莉愛がちょっと目をキラキラさせながら言う。

「ちょっと待ってよ、じゃあ私だけボッチじゃん!」

舞が不貞腐れたように言う。

「でも、湯川先輩も誰か連れてくるんでしょ?舞も新しい恋が芽生えるかもよー!?」

「それはないない」

舞も笑いながらまんざらでもない顔をする。

「とりあえずは、今日陸に話して聞いてみるね」

私はそう言って笑った。

「でもよかったよ。なんか日菜最近どこか元気ないから湯川先輩とうまくいってないのかと思ったけど、仲良しだね。よかったよかった」

舞がそう言って私の肩を叩いた。

「そ、そりゃあもうおかげさまで」

私はグイッと胸を張って笑ってみせる。

ヤバい、舞にはそう見えてたんだ。


実際、私は陸との毎日に疲れてる。
部活の見学も帰り道も、ずっと気を遣ってる気がして帰った後どっと疲れてる。
舞や莉愛にそれを普通に話せたら、私はもう少し楽になるのかな。
だけど、私にはそれができなかった。

夜。
陸に莉愛達のことを連絡する。


「でね、莉愛と舞も行くっていってくれたんだけどね、
莉愛は彼氏も一緒にって言うんだけど、、」

「お、ダブルデート?いいじゃん」

「あーうん、でもね、舞がフリーだからちょっとそれは浮いちゃうって言うか、、」

そう私が言うと陸は言った、

「大丈夫大丈夫。オレ、1人声かけようと思ってたからさ。そいつもフリーだし」

「あ、そうなんだ。友達?」

「うん、まあ、きてのお楽しみって事で」

いつになく陸は楽しそうにそう話して、通話を終えた。
機嫌がいい陸は、話してて楽だ。
私も、久しぶりに莉愛や舞と楽しい日を過ごせるかもと少しワクワクしてきていた。

陸が何を考えてるのかも知らずに。