家に帰って、自分の部屋にこもりノートを開く。
実を言うと、自分で読み返したことは一度もない。
なんだか、再び自分の黒い部分を見るようで、手が震える。まるで、誰かの日記を盗み見するようなそんなザワザワする感覚。
1ページ目を恐る恐る開くと


✳︎担任にわざわざ呼ばれて、未提出物の回収を頼まれた。マジなんなの、私はすでに提出してんのに忘れたやつが回収すればいいじゃん、ふざけんな 


✳︎あいつの話、全然おもしろくないのにずっと笑って聞いてるの、マジでだるい


✳︎私は2人の引き立て役かな。
どうすればもっと可愛くなれるの?
もっとすらっと足が長くなればいいのに

✳︎好きな人の話とかめんどくさすぎる。
やりたい人だけで話せばいいのに私の好きな人なんか聞いても絶対興味ないくせに


「最悪。。」

自分で読み返してみても、何だか最低の人間に思えた。
莉愛みたいに無邪気に笑って、怒って、素直な可愛さが羨ましい。
サラサラストレートで美人で大人っぽい舞がうらやましい。2人みたいに心から楽しそうに笑いたい。
こうやって、ノートにぐちぐちもやもや書いてるやつ、、マジで気持ち悪い。
でも、それが、自分なんだ。
外で見せてるキャラは偽物で、このノートにいる自分が本物の私なんだ。

たった数ページ目を通しただけで、情けなくて吐き気がしてますます自分が嫌いになって。
そして涙が出た。

瑛人はどこまで読んだんだろう。
どんなふうに感じたんだろう。
これを書いてる人間はどんなやつだと思ったんだろう。

私は、ノートの真っ白なページを開くとペンを取った。

✳︎偽物の自分を演じ続けてこんな風にノートにしか本音を出せない、情けないことばかりを書いてる自分を思い知って、ますます自分が大嫌いになった。最低な人間だ。こんな自分誰にも知られたくない

書き殴るように、そう書いて乱暴にノートを閉じた。このまま捨ててしまいたかった。
だけど、私は瑛人と約束してしまったのだ。
このノートの持ち主を一緒に探すと。。。



翌日。

あれからよく眠れず朝を迎えて、私は顔がパンパンに浮腫んでいた。

「最悪すぎるんだけどっ」

慌てて蒸しタオルを顔に当て、むくみ取りのサプリを飲み、いつもどおりの身支度を済ます。
机の上のあのノートをカバンに入れる。

無くしたことにしたかった。
だけど、瑛人に最低なやつだと思われたくない。
一体これからどうすれば、、一旦自分の手に回収したもののこれからどうしたらいいのかの解決策は全くと言っていいほど浮かんでこなかった。

こんな最悪な朝でも、いつも通りの一日が始まる。
教室に入れば、いつもにこにこして明るくポジティブな
桜河 日菜でいなければ。

「おっはよーぅ、日菜ー」

教室に入るなり莉愛が駆け寄ってくる。
小柄な体でチョコチョコっと走り寄ってくる姿は本当に可愛い。

「あれ、どした?目、腫れてない?」

莉愛が心配そうに私の顔を覗き込んだ。
蒸しタオルもサプリもあまり効果がなかったらしい。

「あ、昨日さー?夜中まで動画見ちゃってさ、それが結構感動系でねー、ちょっともらい泣きー」

私は泣き真似をするような仕草をしながら笑って見せた。

「わかるー!見だしたら止まらないよねー」

「そうなんだよ、気づいたら結構な時間になっててさ」

莉愛は特に疑うでもなくうんうん、と頷きながら私の席の前の席の椅子に腰をかけた。

「ダメだよ、日菜。睡眠不足が一番お肌に悪いんだからね!」

いつのまにか舞も登校してきていて、私の斜め後ろの席から声をかけてくる。

「あ、おはよ、舞ー」

相変わらず、舞はサラサラの髪だ。
校則が緩くて、髪を束ねなくていいから、この学校を選んだと聞いたこともある。
私は朝必死にアイロンで真っ直ぐに伸ばした髪の毛をそっと触れた。

授業が始まっても、わたしは上の空だった。
瑛人はノートの持ち主を探す方法を考えてきたんだろうか。ノートを返すように言われるだろうか。
そんなことばかりを考えて休み時間もできるだけ瑛人とすれ違わないように、気を使った。
そして、放課後「寝不足だから早めに帰るね」と2人には嘘をつき教室を出る。
1組の前で友達と話す瑛人の姿が見えたけれど、無視をして靴箱まで急ぐ。

靴箱で靴を履き替えながら、このまま帰ってしまいたい衝動に駆られる。

「桜河さん」

だけど、校舎から出る前に私は瑛人に呼び止められた。

「呼び方、日菜でいいって」

思わずどうでもいいことを言ってしまう。

「急に名前呼びになって、周りからなんか言われた困るかなと思ってさ」

瑛人が自分も靴を履き替えながらそう言った。

え、めちゃくちゃ繊細な気遣いするじゃん。

内心驚きながら

「そんなの全然大丈夫だよ。」

と私は笑ってみせる。
だけど、ほんとは変な噂立てられたら面倒だな、と考えていた。

「そっか、じゃあ日菜、どうする?またあの河原行く?」

「瑛人、部活は?」

「オレ、部活入ってねーもん。あ、日菜は部活あんのか」

「ううん、大丈夫」

私は一応美術部に所属している。
でも展覧会に出す絵も数日前に完成して、今は自由参加になっている。そもそも私立だからなのか、うちの部活は甘々だ。

「じゃ、とりあえず河原で」

瑛人はそう言うと、さっさと歩き出した。

「ま、待ってよ!」

私は慌ててどんどん先にいく瑛人の背中を追う。
どうして待ってくれないのか、後ろを振り返りもしないで瑛人は足早に校門を出た。
私は小走りでやっと追いついて瑛人の腕を掴む。

「待ってって!」

掴まれて瑛人はやっと立ち止まる。

「だからー、、。突然オレと2人で帰って変な噂になったら困るんじゃないの?ってことだよ!」

瑛人は呆れたようにそう言ってため息をついた。

「そ、、そんな一緒に帰ったくらいで噂にならないでしょ?今令和だよ?」

私はわざと大袈裟に笑いながら、瑛人の横に並んで歩いた。本当は少しドキドキしていた。こんなこと別にどうってことないじゃん、普通でしょ?と笑い飛ばしてるのは、偽物の私だ。

「昨日、、ノート見てなんか手がかりあったか?」

「え、、いや、、」

「オレも考えたけど、よく考えたら中1から高3までの中から探すのって無理じゃねーかなって思えてきて」

「うん、、確かにそうだよね。。」

「日菜は、、全部読んだのか?なんか学年の手がかりとか、、なんか見つかった?」

どうしよう、なんて答えよう。
興味本位で読むなよ、と真剣な顔で瑛人は言った。
瑛人はあまり詳しく読んでないって言ったっけ。
読んだも何も私が全て書いたのだ。
極力、個人名は書かないようにして書いてきたつもりだった。後でもし目にしても鮮明にその嫌な出来事を思い出さないためだ。

「うん、、だいたい読んだ。」

私は少し考えて答えた。

「でも!興味本位とかじゃないよ。読んでて、、なんか悲しくなって、苦しくなった」

これは本当の事だ。
自分が書いている言葉の一つ一つが情けなくて、泣けてきた。

「そっか。。で、何か手がかりはあった?」

「分かんない。でもこの子はいつも自分に嘘ついてるんだなって思った。」

私が話してるのは、自分のことだ。
初めて自分自身で、あのノートを読み返すことで普段どれだけ自分に嘘をついて生きているかが身に染みてわかった。

「嘘、、?書いてることが嘘って事?」

瑛人の言葉に私は首を横に振る。
ノートの方が嘘ならよかったのに。

「書いてることが本当で、普段のその人は自分に嘘ついて生きてるって事」

口に出してはっきりそう言うと、胸がキュッと苦しくなった。このまま喋ったら、泣きそうな気がした。

「まあでもさー」

瑛人はそう言うと、黙った。
その後何にも言わない瑛人に、まるで自分が責められているような気持ちになって耳がキーンと詰まったような感覚になる。
何か言わなきゃ、と思ってるのに私の口からは何も言葉が出てこない。口を開くと涙が先に出そうだったのだ。

瑛人はそのまま黙って前を向いたまま、歩き続けている。

私は顔を上げられなくて、自分が言った言葉を心の中で繰り返していた。
瑛人が何も言わないのは、私が言った事にあきれたから?
あのノートにどんな気持ちで書いたなんてオレらには分からないんだから、と言ってた瑛人は、自分に嘘ついてる人と決めつけた私を軽蔑したのかな。

いつもそうだ。
言った後で自分の言葉が間違ってたんじゃないかって気になって後悔する。

「暑そーだなー。高架の下にするか」

瑛人の声に顔を上げると、もう河原の目の前まで私たちは辿り着いていた。ずっと瑛人の足元ばかりを見て歩いていたから気づかなかった。

私たちは、昨日莉愛や舞とフローズンドリンクを飲んでいた辺りに腰を下ろした。

「ちょい休んでて」

瑛人はそういうと立ち上がってどこかに消えた。
相変わらず、高架の下は広い日陰で風も通り涼しい。
額にじんわり浮かんだ汗をハンカチで拭い、ぼんやりと河辺を眺めていた。
小さな男の子と女の子がお母さんに連れられて、川に足をつけて遊んでいるのが見える。
楽しそうにはしゃぐ声を聞きながら、あんな風にほんとの自分でいられたのって、いくつくらいまでだったかな。

あれは小学校4年生だった。
仲の良かった友達が当時好きだと言っていた男子がいて、私にはまだそんな感情がよく分からなくて。他の子達にも、ネット上に推しキャラがいたり、憧れのタレントがいたり、だけど当時の私にはそれもなくて。
うれしそうに、そんな話を毎日語ってくれる友達に「そう言うの私は興味ないし、分からない」と思わず言ってしまった。
その日からだった。
周りの友達の様子がおかしくなった。
毎日一緒に帰り、べったり一緒にいた親友だと言っていた友達が、私から離れて行った。それと同時にだんだん周りの友達も、私とは話さなくなりいつの間にか私は一人ぼっちになってしまった。

本音を話すことは、友達がいなくなってしまうことだ。

当時の私は強くそう感じて、そこから自分の本当の気持ちを言うことが怖くなり周りの空気に合わせることに必死になったのだ。

中学受験も、そのメンバーと離れたくて頑張って勉強した。本当は勉強もそんなに好きじゃないのに、必死だった。
合格して、今までのメンバーとは全く違う場所に身を置くことで私は昔のように笑ったり話したりができるようになった。だけど、あの日のことがトラウマで本音を言おうとすると、グッとつまる。考えて言った後もいろいろ考える。
今、明るくて、前向きでポジティブでいつもにこにこ、のキャラは楽しく毎日を過ごすために演じている姿だ。

久しぶりに、あの時のことを思い出した。
遊んでいる子供達が、水面のキラキラの中で弾けて宝石のように見えた。

「ホイ」

突然私の頭上に軽い衝撃があった。

見上げると、瑛人がスポドリのペットボトルを私の頭の上に立てるように乗せて、見下ろしていた。

「ありがとう、、」

「思ったより自販機近くになかったわー」

瑛人はそう言いながら、ドサッと音を立てて座りスポドリを半分ほどゴクゴクと流し込んだ。

「あ、お金、、」

私が財布を出そうとすると瑛人はいらないというように手のひらをヒラヒラと振ってみせた。

「ありがとう」

私はもう一度お礼を言うと、よく冷えたスポドリを喉に流し込んだ。少しだけさっきまでの胸のつかえが取れた気がした。


「誰か、、それらしき人来た?」

瑛人は周りをぐるりと見渡しながら、そう尋ねる。
正直全く周りなんて見てなかった。
私にはそんな人が来ないこともわかっていたから。

「誰も、、来なかったよ。」

私はそう答えてしばらく黙った。
瑛人も何も答えずにただ川の流れを見ている。

「さっきね」

どのくらい時間が経ったのか、私はたまらなくなって声を上げた。

「さっき、、私が言ったこと。」

瑛人は黙って頷いた。

「自分に嘘ついてるって。あれは、、適当な事言ったつもりはなくてね、、私も、、同じなとこあるから、、」

そう言いながら、私の喉がまたクゥッと詰まる。

「うん」

瑛人は、前を向いたまままた頷く。

「で、、ね。だから気持ちわかるって言うか。だけどああ言うのはやっぱりよくないって言うか、、」

もう、何を言いたいか分からなくなっていた。

「分かるよ。オレも同じだし」

瑛人は、飲み切って空になってしまったペットボトルを両手で持て余しながら、そう言い、

「誰でもあるんじゃないの?そう言うの」

と付け加えた。

「そ、そうなのかな。」

「普段見せてる姿が全部ほんとの姿なんてやつ、逆にいんのかな。」

瑛人の言葉に少しホッとしながらも、私は何も返せずにいた。
 
相変わらずセミの声が痛いほど聞こえてくる。

「ノート」

突然瑛人が私の方を向いた。
ドキッとして私の体に力が入る。

「しばらく、日菜が預かってて」

瑛人の言葉は、全く予想と違っていた。

「え、でも」

「なんか、オレみたいな奴が持ってるの絶対嫌だろうし、それに日菜の方が気持ちわかってやれそうじゃん。
あ、もちろんこれからも持ち主は探すつもりだけどね。」

瑛人は一気にそう言って、「でもなー、、見つからないよなー」とつぶやいた。