はぁ……。
 何度も捲った台本を僕は放り投げてベッドへとダイブした。
 高校最後の夏休み。特にアウトドア派じゃないし、受験勉強があるし、この夏は特に追い込みかけて頑張らないといけないんだ。
 それなのに……。

 夏休み前、文化祭の出し物についてHRがあった。
 僕たち三年二組は劇をすることになっていた。 
「それでは、くじ引きの結果により、主人公を榊くん。ヒロインを三谷さんに演じてもらいます」
 議長を務めていた委員長の言葉に、クラス中が沸き立った。
 青天霹靂とは、こういうことを言うんだろうか。
 周りは拍手やら冷やかしのように盛り上がっているけど、絶対にこれはおかしい。

 高校生活最後の文化祭ということで、クラスの雰囲気は明らかに去年より盛り上がっている。
 目立つのが苦手で、こういう時はいつも裏方に徹している僕は、そんな彼らを遠い目をしてみていた。
 ……それがどうして。
「ぼ、僕は、無理だっ。誰か、もっと適任がいるだろう?」
「なに言ってるの、榊くん。高校生活最後の文化祭。みんな受験とか大変かもしれないけど、最高の思い出作りにしようって言ったじゃない。やりたい人、やりたくない人がいるのもわかるけど、クラス全員一致で頑張るためにも、すべての役柄を公平にくじで決めようって」
 クラス委員長はまるで子供の駄々を言い聞かせるように、優しく伝えてきた。
 その時はそれでいいと思ったよ。
 だって、そうは言いつつも結局表に出るのは普段目立つ人たちだと思ったから。
 僕が当事者になるなんて、思わなかったんだよ。
「榊くん」
 委員長の後ろから、俯きがちに声をかけてきたのは、ヒロインに選ばれた三谷さんだ。
 彼女は大人しいわけじゃないけれど、やはりけっして前に出るタイプじゃない。
 きっと彼女だって混乱しているはず……!
「ね、これも何かの縁だと思う。わたしもはじめてだから緊張するけど、一緒にがんばろ」
 はにかむように笑った彼女につられて、思わず「うん」と答えてしまった。

 ベッドで天井を仰ぎながら、思わずため息が零れる。
 あの時、なんで断らなかったんだ。
 つい、彼女の笑顔につられてしまうなんて。
 受験勉強に集中しないといけないって言うのに、僕はこの夏休み、参考書ではなく台本ばかり睨めっこしていた。
 だって、この台本には、絶対に言えない言葉があるんだ。

 何度目かのため息に合わせるかのように、スマホがメッセージの通知を知らせるために震えた。
 今日は特に誰とも約束なんてしていないのに。
「――っ!」
 通知欄に表示されたのは【三谷さん】。
 え? 三谷さん? なんで?
 確かに文化祭の配役が決まった後にお互いSNSの交換はしたけれど、今まで一度もお互いにメッセージを送ったことはなかった。
 み、見間違い?
 目をこすってもう一度確認してみるけれど、そこにはやはり【三谷さん】という文字が表示されていた。
 どうしたんだろう? なにかあったのかな?
 ただのメッセージなのに、はじめて届いたことに緊張して、なんだか指が震える。
 スマホをタップすれば、三谷さんからシンプルなメッセージが届いていた。
『元気? 劇の練習、してるかな? わたしは、まぁまぁだよ』
 絵文字も何もなく、すっきりとした表示が、彼女らしい気がする。
 劇の練習……まぁまぁってことは、彼女は練習しているんだろうか。
 だとしたら、セリフが言えないって悩んでいる僕はダメなんじゃないだろうか。
 や、やばい。どうしよう。
 なんて返事したらいいんだろうか。
 まぁまぁなんて、嘘はつけないし。
 そう思っていたら、今度はスマホがしびれを切らしたかのように震えだした。
 何事かと思ったら、今度はメッセージじゃなくて、通話だった。
 な、なんで?
 迷っている間にもスマホは震え続けている。ヴーンと響く音はなんだか僕の唸り声を代わりに吐き出しているかのようだ。
 三谷さん、通話までかけてくるなんて、よっぽど伝えたいことがあるのか。
 僕はおそるおそる、タップした。
「も、もしもし」
『あ、よかった! つながったー』
 夏休み前以来聞く彼女の声は、スマホ越しでも軽やかに響いた。
「ごめん。すぐに出られなくって」
『ううん。わたしこそ急にごめんね。突然連絡してきたらビックリするよね』
 心を見透かされたみたいでドキッとする。
 そんな僕の表情なんて見えないはずなのに、彼女のクスクス笑う声が聞こえてきた。
『文化祭の練習、してる?』
「……ごめん。しなくちゃって思っているんだけど」
 人前に出ることさえ苦手なのに、そこで演技をするなんて。
 想像するだけで恥ずかしい。
『ねぇ、よかったら一緒に練習しない?』
「え?」
『とっておきの場所があるんだ』
 ふふっと笑う三谷さんの声が、楽しそうにスマホから届いた。
 三谷さんからSNSで送られてきた地図の場所にたどり着くと、彼女はまだ来ていなかった。
『ここならきっと練習にうってつけだから』
 そう伝えられた場所は、いつも通学で使っている電車が川を渡る橋梁下だった。
 まだ陽射しは厳しいけれど、橋梁のおかげで日陰になっているし、風は微かに秋の気配を運んできて、ここは思ったより涼しかった。
 しかも人気があまりなくて静かで心地がいい。
 いつも電車から川を眺めることはあっても、河川敷に来るのははじめてだ。
 とりあえず彼女がくるまで待とうと腰を下ろして、持ってきた台本をめくる。
 人前に出るのが苦手とはいえ、普通のセリフなら、まぁ頑張って言えないことはない。
 問題は終盤だ。

「……なんで青春恋愛ものなんて、選ぶんだよ」
「だって、みんなそういうのが好きなんだよ」
「え……?」

 独り言のつもりだったのに、返事が返ってきて驚くと、そこには太陽の光を受け、少し汗ばんだ彼女が笑っていた。
 そういえば私服で会うのは、はじめてだ。
 爽やかな白いシャツが彼女によく似合い、なんだかドキドキして、思わず目を逸らした。

「はやかったね。わたしの方がはやいと思ったんだけどな」
「僕んち、自転車ならここから二十分かからないから」
「そうなんだ。それじゃあしょうがないか」
 彼女は多分、駅から歩いてきたんだろう。
 急いできたのかな? 汗をかいているっていうだけじゃなくて、少し息を切らしている。
「あ、台本。ちゃんと持ってきたね」
 僕の右側にしゃがみ込み、手にしていた台本を覗き込む。
「うん。だって、練習するんでしょ。でも、どうしてここで?」
「だって、きっと狭い部屋で練習しているから余計恥ずかしくなっちゃうんだよ」
「そう、かなぁ?」
「こんなひらけた場所だったら、小さな声なんて届かないもん。恥ずかしいなんて言ってられないよ。さらに……」

 ちょうど橋梁の上を電車が通り抜けていく。
 その音の大きさに耳を塞ぐと、彼女が笑って橋梁を指さす。
 通り抜けて少し経てば、音もやがて聞こえなくなってまた静寂の時が戻ってきた。
「ね。こんなうるさい音の下なら、どんなセリフだってきっと言えちゃうよ」
 台本の該当部分を指さして、ちょっぴり照れながら微笑んだ。

 ――僕は、キミの事が好きだよ。

 青春恋愛ものということで、ラストは告白シーンになっていた。
 両片想いをしていた二人が、主人公の告白によりハッピーエンドで終わるというご都合主義。
 言えないのは恥ずかしいのはもちろんだけど、言う相手が三谷さんだっていうのもあるんだけどな。
「ほら、せっかく来たんだし、練習しよ」
「う、うん」
 三谷さんにリードされるまま、台本の最初のページを開き、セリフを口にしていく。
 不思議なもので、最初は恥ずかしかったのに、少しずつ平気になっていった。
 もちろん、実際に演じるとなったら大きな声を出さなくちゃいけないし、まだまだ超えなくちゃいけないハードルはあるんだけど、絶対にセリフなんて言えないと思っていた第一関門を突破できたのは大きかった。

「ほらっ。やっぱり外の環境っていいでしょ」
「確かにね。誰もいないから見られているって意識もしないし、思ったより平気だった」
「じゃあ、続きね」
「うん。あ……」

 そこは、例のセリフの場面だった。
 さすがになれてきたと言っても、この言葉は恥ずかしい。
 思わず止まってしまい、続けられなくなってしまった。

「あ、榊くん、今だよ! 音に紛れてまず一回、声にしてみよう!」
 伝える三谷さんの声もどんどんと大きくなっていった。
 そう、電車が近づいてきているのだ。
 確かに、これだけ大きければ。
 たとえ至近距離だったとしても、聞こえないはず。

「僕は……僕は……」
 ガタンゴトン、ガタンゴトンと頭上で激しい音が鳴り響く。
 大丈夫。三谷さんにだってこの音なら聞こえない。

「僕は、キミのことが、好き、だよ」

 きっと聞こえていない。そのはずなのに、三谷さんは嬉しそうにほほ笑んだ。
 作戦成功したことが嬉しかったんだろうか。
 電車が通り過ぎたとともに力が抜けて、思わず大きく息をはいた。

「あたしも」
「え?」
 
「あたしも、あなたのことが、ずっと好きだよ」

 すっかり静寂を取り戻した中で、彼女の透き通る声が橋梁の下で響いた。
 隣ではにかむように笑う彼女は、今までで一番輝いていて、思わず見とれてしまう。
 い、今のは……。
 思わず本気にしかけて、はたと気がついた。
 そうだ。台本では僕の告白の後に、ヒロインのセリフがあるんだ。

「み、三谷さん、上手だね! す、すごいなぁ」
 本気だと思いそうになったのをごまかしたかったけど、声が上擦ってしまった。
 あぁ、恥ずかしい。

「だって、演技じゃないもん」
「え……?」
 驚いて彼女の顔を見ると、顔を少し赤らめながらも、かわいらしく微笑んでいた。

「このセリフはね、みんなの前じゃなくて、榊くんの前だけで最初に言いたかったんだ」
 みんなの前じゃなくて? どういうことだろう?
 三谷さんの言いたいことがわからず、混乱する。
 その様子を見て、三谷さんがクスクスと声に出して笑った。

「鈍感」
「ど……鈍感って」
「じゃあ、次は文化祭の後ね」
「へ……?」
 なんで文化祭の後?
「セリフじゃなくて、ちゃんと言うからね」
「え? えぇ!?」
 セリフじゃないって、それって……!

 ようやく彼女の言いたいことがわかって、今度は僕の顔が熱を持ったのがわかった。
 その様子を見て彼女が嬉しそうに頬を緩める。
 思いがけない展開に驚いたけれど、嬉しさでどうにかなってしまいそうだ。

「ぼ、ぼくも……!」
 伝えようと思ったのに、彼女の人差し指がそれを阻止した。

「今は、駄目」
「な、なんで?」
「だって、その方がきっと演技にも熱が入るよ。榊くん、その方がちゃんとセリフに熱が乗りそうだし」
 悔しいけど、その言い分には一理あるような気がした。
 演技なんて出来ない僕は、片想いのままの方が想いは乗るんだろう。

「だから、演技に熱が入ってなかったり、やる気がなかったら、嫌いになっちゃうからね」
「え!?」
「ちゃんと、捕まえてね。それじゃ」

 戸惑う僕をおいて、三谷さんは立ち上がってそのまま堤防沿いを駆けていった。
 軽やかに立ち去った彼女の背中をただ見送っていた僕に、彼女を振り返った。

「じゃあ、始業式にねーっ!」
 大きく手を振ってクルッと背中を向けた彼女は、弾むように駆けていった。

 夢……じゃないよな。
 思わず古典的に頬をつねってみたら、感触は確かにある。
 手にした台本は、いろんな感情により握りつぶしてふにゃふにゃになってしまった。
「……よし」

 彼女が伝えてくれたんだ。
 文化祭が終わったら今度は僕から、ちゃんと彼女に伝えよう。
 そのためにも、文化祭はちゃんと成功させないと。
 恥ずかしいなんてもう言ってられない。
 やってやる。きっと忘れられない高校最後の文化祭にしてみせる。
 そう、強く誓った。

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