蒸し暑い空気の中を、風を切って進む。
自転車で風を感じていてもなお暑いのだから、
道を歩いている人はどれほど暑いだろう。

見慣れた橋が見えてきて、スピードをゆるめる。

あ。今日はあの人が先だ。

肩まで伸びた髪は、灰色がかった淡い茶色で。
さらさらと風にゆられている。
こんなにも暑いのに、この人がいる場所だけ涼しげに見えるのは、どうしてだろう。

キュッと自転車を止めると、
前カゴに入ったトートバッグを出した。

トートバッグを手にしたまま、高架下に腰掛ける。

「あっつ……」

あ、やば。
思ってたことそのまま言っちゃった。

チラッとあの人の様子をうかがう。
き、聞こえてないよな?今の。

目が合った。
クスッ。
おれを見て、口もとを押さえて笑ってる。

どうやら聞こえてたみたいだ。
あの人から視線を逸らして、バッグから本を取り出す。

心臓がドクドク鳴る。
ほっぺた、めちゃめちゃ熱い。
あーもーー、かわいすぎだろ。

土曜日の、午後3時17分。
彼女はいつもここにいる。

動揺してるのがバレないように、本を凝視してめくっていく。

ぜんっっぜん内容入ってこねぇ。
てかこれ何の本だっけ。

『大学3年生からはじめる! 就活のすべて』

……あ〜〜。
そうだ。バイト仲間の隆太に渡されたやつ。
てか就活、やべーよな。もう7月だもんな。

「3年生、ですか?」

女の人の、きれいな声。
驚いて顔を上げると、すぐ近くにあの人の顔があった。

「え、や、えっ……」

まともに返事もできず、本がひざから転がっていく。
まじかっこわりぃ、おれ……。

「3年、です」
「ごめん、驚かせちゃったよね。その本みて、あ、同じ大学生だ〜ってなっちゃって」
「いやぜんぜん」

え、てか、え?
同じ? 大学生?
まじか嬉しすぎ。

「私は4年。あと半年で卒業なんだよね」

先輩だった!!
おれ年下じゃん。
年下の男って、需要あんの……?って、なに考えてんだ。早まりすぎだって。

「そう、すか」
「あ、邪魔しちゃったよね。ごめん」

離れていこうとする背中に、思わず声をかける。

「や、ジャマじゃない、です。よかったらその、就活のこととか、教えてください」

パッと華やかな笑顔で、横に座り直す。

乙葉さん、って名前らしい。
雨宮乙葉。きれいな名前。

就活の話をポツポツとしてくれる。
乙葉さんはもう、内定が決まってるそうだ。

「え。乙葉さん、来週から来ないんですか」
「うん。家が居心地悪いから、シフト増やそーと思って変えてもらっちゃったんだ。せっかく(あおい)くんと仲良くなれたのに、タイミング悪かったな〜」

カレシ、いんのかな。乙葉さん。
聞きたい。けど無理だ。
今日初めて話せたのに、こんなの聞けねー……。

「あ、もう16時30分だ。このあと予定あるから行かないと」

もう終わんのか、この時間。
乙葉さん、来週から来ないのか。

ポケットのスマホを探る。
連絡先……あ、充電切れてたんだった。
こんな日に限って。

「あの!」
「ん?」

いつだったら、会えますか。……そう聞こうとして、口をつぐんだ。

前の恋でもそうだった。
おれがグイグイ行きすぎて、嫌われたんだった。

制服を着たあの子の、冷たい視線がよみがえる。
「正直、うざい。気持ち悪い」
あ〜〜おれほんっと。なにやってんだろ。

「なんでもないっす。気をつけて」

ちょっとでも良く見えるように、微笑んでみる。
ダメだ、ぜったい引きつってる。普段笑わなすぎて。

「ありがとね。碧くんも、熱中症なんないようにね」

結局、聞けなかった。
連絡先も。いつここに来るのかも。

たぶん、もう会えない。しゃーねーよな。
恋なんてそんなもんだ。
そんなことより、就活しないと。
夏のインターンが山場らしいけど、どこの業界行きたいかとかも決まってない。
だいぶやべーな、おれ。
隆太はどうしてんだろ。