昼休みは陽希と弁当を食べるようになってしまった。二人きりで。陽希はチャイムが鳴るとすぐに、弁当箱を持って僕の席にやってくるのだ。まあ、一人でいて悪目立ちするよりマシか、と好きにさせていた。

「ごめん千歳、今日は爆速で食うわ! メンバー探しするから!」
「うん……ご自由に……」

 陽希の弁当箱はデカくて中身は茶色い。僕は食が細いから米は少なめにしてもらっているのだが、総量でいうと倍くらい違いそうだ。陽希がここまで背が伸びたのもこんなに食べるせいだろう。
 食べ終わった陽希が教室を飛び出したのを見送って、僕は席に座ってオリエンテーションの冊子を見るフリをしながら音楽を聴いていた。
 しばらくして。

「千歳! 見つかった! メンバー見つかった!」

 そう言って陽希がバシバシ肩を叩いてくるので、僕は払いのけた。

「えっ、あっ、そうなの?」
「放課後顔合わせしよう。一組に来てくれるように頼んでる」
「いや、僕は入るなんて一言も」

 チャイムが鳴った。

「じゃあ千歳、放課後な!」
「ええ……」

 そして放課後、一組の教室で。僕と陽希、それから長髪を一つに束ねた男と、見覚えのあるメガネの男が集結してしまった。陽希が言った。

「この二人も軽音部作りたいって思ってたんだって!」
「そ……そうなんだ」

 陽希は声かけだけでなく、書類仕事も早かった。部活設立届を入手していたのである。そこにはすでに三人分の名前が書かれていた。
 長髪でギターの方が黄静人(こうしずと)
 メガネでベースの方が常磐大我(ときわたいが)というらしい。
 大我が言った。

「静人とは中学の時からバンド組んでたんだ。高校でもできないかどうか話してたんだよ。なっ、静人!」

 にこやかに笑う大我とは対照的に、静人は仏頂面だ。

「……うん」

 それだけである。名前の通り静かな奴らしい。
 そして、僕は思い出した。大我は入学式の時、新入生代表挨拶をした生徒だ。あれは入試の成績がトップだった者が選ばれると聞いたことがある。
 陽希がどんどん話を進めた。

「俺はドラムやる! ゲーセンでならよくやってたから自信ある。そんで、千歳はボーカル。どうよ?」
「どうよ、って言われても……」

 まさか、こんなに早く、ガッチリと脇を固められるとは思わなかった。僕は陽希の行動力をなめていたようだ。僕は精一杯のあがきをした。

「ソロとかやってたけどそれは小学生の時。中学では何もやってない。歌下手だよ? とてもボーカルなんてできない」

 しかし、陽希は引かなかった。

「俺、千歳の声好きなんだって! 多少のことは練習すればいいんだしさ。頼むよ」
「無理だって。恥かくのは陽希たちだと思うよ?」
「じゃあ何か歌ってみ? それでド下手くそなら俺も諦めるからさ!」

 僕は周りを見渡した。一組の教室には僕たち四人以外は誰もいなかった。

「わかったよ……」

 仕方ない。本当に下手だというのを証明することにした。選んだのは「サクラナミキ」だ。わざわざ難しい曲にした。カラオケ音源の動画を探して再生し、それに合わせて歌う。

 ――グラウンドを駆ける君を見た

 そんな歌い出しだ。「僕」は「君」に想いを伝えることができず、思い出を大切にしていくという歌。歌詞は覚えていなかったから、スマホの画面を見ながらだ。

 ――桜舞う季節は君を想うから

 そう締めくくる。動画を止め、スマホから目を離すと、僕以外の三人は呆けた顔をしていた。どういう意味かはわからないのだが、とりあえず僕は手をひらひらさせた。

「ねっ? ほら、下手でしょ……」

 すると、陽希が僕の肩をつかんでガタガタと揺らした。

「すげぇ! すげぇよ千歳! めっちゃすげぇよ!」
「えっ……」

 静人が冷静に分析してくれた。

「グレキャはサビの高音が難易度高いんだよ。それをあっさり歌い上げてみせた。音程も完璧。ここまで歌える高校生はいないよ」

 大我もこう言った。

「自信持ってよ。千歳は上手い。オレ、千歳となら一緒にやってみたい」
「みんな、そこまで……」

 こんな風に、誰かに褒めてもらうのなんか初めてのことだった。いや、違う。音楽会でソロパートを任された時以来だった、というのが正しい。
 たたみかけるように陽希が言った。

「千歳の歌声、眠らせておくのは絶対勿体ない。バンド組んで、練習して、文化祭でやろう! なっ!」

 いいのだろうか。このまま勢いに押されて。
 静人と大我のことをよく知らない。というか、陽希のことだって小学生時代の情報しかない。
 歌は……嫌いではない。田舎に引っ越して、馴染めなかった僕を助けてくれたのは音楽だったから。
 そして、その音楽に、僕が求められているのだとしたら。
 僕は陽希に言った。

「……まあ、やるだけやってみるよ。気が変わったらやめさせてよね」
「よっしゃ! 千歳、名前書いて! 職員室に出しに行く!」

 これが、運命の歯車が回り始めた瞬間だった。