とぼとぼと自宅に帰ると、玄関にパンプスがあった。

 ――あっ、そうか。姉ちゃん帰ってるんだった。

 リビングに入ると、ふわりといい匂いがしていた。姉はキッチンに立っていた。

「おかえり千歳! お父さんとお母さん、今日は遅いんだって。だから二人でご飯食べよう。千歳の好きなクリームシチュー作った!」
「ありがとう、姉ちゃん……」

 僕は制服のまま席についた。すぐに姉がクリームシチューを持ってきてくれた。

「どう? 美味しい?」
「美味しいよ」
「その割には浮かない顔してるね。やっぱり明日の文化祭、緊張してる?」
「それが……その……」

 一人じゃ抱えきれない。僕は言った。

「軽音部に誘ってくれた陽希の話したじゃん。そいつ、僕のこと好きだったらしくて……どうしたらいいのかわかんなくて……」
「えっ……ええー?」

 僕は今日起こったことを全て姉に話した。リハーサルが上手くいかなかったこと。八つ当たりのようなことを陽希にしてしまったこと。陽希に告白されたということ。姉は茶化さず真面目に聞いてくれていた。

「うん……そっかぁ。千歳、月嶺山までドライブしよう。そこで続き聞いてあげる」
「えっ、今から?」
「だって、お父さんとお母さんには言いにくいでしょ? ほらほら、さっさと食べて着替える!」

 確かに車の中なら姉と二人きりになれる。僕は着替えて車の助手席に乗り込んだ。

「はい、シートベルトしめてね。出発!」

 辺りはすでに真っ暗だ。姉はおそらく展望台を目指すのだろう。山道に入るまでに、陽希が僕のことを小学生の時から好きだったらしい、ということの説明を済ませた。

「じゃあ、最初は陽希くんのこと嫌いだったんだ?」
「嫌いとまではいかないけど、苦手だった。でも、色々あって。親友になれたと僕は思ってて」
「陽希くんにとっては……そうじゃなかったんだね」

 山道に入ると、対向車は少なくなり、曲がりくねる道の先だけがライトで照らされていた。

「千歳は陽希くんのこと、気持ち悪いとか思った?」
「それはない。まあ、僕と居たいから軽音部作った、っていう理由にはびっくりしたけど」
「千歳はこの先どうしたいの? 陽希くんと一緒に音楽やりたい?」
「それは……やりたい。軽音部は僕の居場所だし。あの四人で演奏するのは楽しいし」
「ふんふん……そっか。さっ、そろそろ展望台だよ」

 展望台に着き、車から出ると、冷たい風が吹き付けた。先に自販機に行き、砂糖とミルク入りのホットコーヒーを姉に買ってもらった。ここは観光スポットとなっているのだが、他に人はいなかった。僕と姉は、湊市を一望できる位置にあったベンチに座った。

「姉ちゃん。恋愛って……何?」

 そもそものところから確認したくて、そう質問した。

「そうだねぇ。お姉ちゃんはね、恋愛って、綺麗なだけのものじゃないと思ってるんだ」
「どういうこと?」
「好きな人ができて。その人が、他の人と仲良くしてたりして、憎らしくなって。要するに嫉妬だね。そういう汚い感情も恋愛には入るんじゃないかな」

 思い当たる節があった。陽希が実行委員で僕に構ってくれなくなったことだ。あの時、僕は……嫉妬していた?

「お姉ちゃんもさ。彼のこと、二十四時間独り占めしたい! とか思うけど、そうはいかないわけよ。仕事だってある。友達付き合いもある」
「ケンカとかもしたの?」
「多少ね。でも、プロポーズしてくれて。一生を共にしたいって言ってくれて。ほら……病める時も健やかなる時も、ってあるじゃない?」
「死が二人を分かつまで……?」
「そう、それ」

 姉は夜空に両腕を突き出し、伸びをしてから聞いてきた。

「どう? 千歳は陽希くんと、一生一緒に居たいと思う? どんな時もだよ?」
「僕は……そこまではまだ、わからない。でも、離れたくない。陽希はさ、僕が熱中症で倒れた時も、側にいてくれたから。仮に陽希が病気になったら、僕が支えたい……かも」

 遠くで船の汽笛の音が聞こえた。僕はきらびやかな街の明かりを見つめ、ため息をついた。

「僕、一つはハッキリした。陽希の気持ち、嬉しい。そういう風に想ってくれてるってこと、凄く嬉しい。打算とか妥協とかじゃなくて、好きだから一緒に居たいって言ってくれたの、素直に嬉しい」
「……お姉ちゃんは、応援するよ。千歳がどんな決断をしたとしても。そろそろ帰ろうか、怒られちゃう」

 帰宅して、熱いシャワーを浴び、ベッドに寝転んだ。姉と話したことでスッキリした。お陰でこれから陽希とどうしていきたいのかが決まった。

 ――僕は歌うよ。想いを込めて。

 こわいものはもう何もない。明日のステージに、僕は懸ける。