◇
スマホでSNSを開けば、そこは未だに燃え盛っている。昨晩よりは勢いが衰えたものの、相変わらず次から次へと憂-yu-に対するネガティブな意見が飛び交っている。
律希は暗い気持ちを引きずったまま、校舎裏のベンチで昼休みを過ごしていた。
胃に何かを入れる気が起きない。とはいえ低血糖なんかで倒れるわけにもいかない。念のために買っておいた栄養補助食品のゼリーをかろうじて流し込む。
深いため息と共に背中を丸め、地面に目を伏せる。これからどうしよう。憂-yu-としてのクリエイター人生はもう終わった……かもしれない。
そもそもは天ノ啓示にメッセージを返したりした自分が悪かったのだから、炎上したことは甘んじて受け入れるべきなのだろうか。あんな些細なことがきっかけで、あれだけ熱を注いだ目標を諦めなければいけないのだろうか。
KINGのせいで始めた夢を、KINGのせいで諦めるのか。──なんて滑稽なんだろう。
律希は、強く握りしめた右手を自分の膝に勢いよく振り下ろす。
「くっそ……」
「おやおや、どうしたのかな」
不意に律希の頭上から降ってきた軽やかな声は、どこか聞き覚えがある響きだった。律希が顔を上げると、ベンチの後ろに立っていた人物が瞳を覗き込んできた。
「久しぶり、成沢律希くん」
……運命か、これは。色々な感情で頭の中がごちゃ混ぜになって、律希はうまく言葉が出ない。
「ね、運命かも、って思った?」
律希の通う高校の制服を身にまとった心海が、無邪気に笑う。いつだかに廊下で見た人影は、律希の気のせいなんかではなかったようだ。
「え、同じ学校だったの──っていうか、もしかして初めから知ってた?」
「もちろん」
律希の質問にうなずく心海を見て、彼女に成沢という苗字を知られていた理由に納得がいく。ちょっとしたドッキリに引っかかったような気分だ。
「なんでそれ、最初に教えてくれなかったの」
「自力で気づいてほしかったんだもん。それなのにさぁ、律希ったら隣のクラスだっていうのに全然気づいてくれなかったね?」
律希の学年は全部で八クラス。三百人近くの同級生をみんな把握しようだなんて考えたこともない。
とはいえ隣のクラスだったのには驚いた。自分はそんなに周りが見えていなかったのだろうかと、律希は少し落ち込んだ。
「実は意外とドライでしょ、律希って。他人にあんまり興味がない。どう? 当たってる?」
「……エスパーなんだな、やっぱり」
「ふふふ。それで、そんなドライな君がそんなにへこんでるなんて、余程のことがあったのかな?」
律希は答えない。話してしまおうかなんて迷いは一ミリたりとも湧かないが、関係ないからと心海を突き放すような真似はしたくない。
それに、彼女に対してうまく嘘をつける気もしなかった。ここまで言葉選びを悩むのは、心海を前にしたときと歌詞を考えるときくらいだ。
「……秘密なの? それなら私、当てちゃおうかな。エスパーだし」
「いいよ、当ててみて」
律希の中で、当てられるわけはないだろうという気持ちと、いっそ当ててくれれば楽になれるかもしれないという気持ちがせめぎ合う。
「炎上したから、でしょ」
──まさかそんなことがあるだろうか。いよいよ本当にエスパーじみてきた。
律希が目を見開いて心海を見ると、彼女は得意気に微笑んでいた。答えに窮する律希に向けて、心海が続けて口を開く。
「ね、ユウさん」
疑問が溢れる頭で律希が絞り出したのは「なんで」のたった一言だった。
「だってバレバレだったもん。ザ・パルスを好きな人に、あんなふうに偶然会えるわけない。ユウさんが隣のクラスの成沢律希くんだったのにはびっくりしたけどね。それにユウさんは甘い飲み物が苦手だってSNSで投稿してたし、実際律希もそうだったでしょ」
言われてみれば確かに、憂-yu-は以前にSNSでそんな内容のポストを投稿したかもしれない。ラズベリーカフェで律希が心海に注文を合わせようとして、心海の頼んだメニューは甘いと教えてくれたのは、実はかまをかけられていたのか。
運命みたいだったけれど、運命なんかじゃなかった。いや、これはこれで運命的ではあるのかもしれない。
律希は観念して肩を落としながら、呟くように言った。
「……呆れた?」
「へ、何に?」
「ユウじゃないとか嘘ついて、それもバレてるし。ネットでは炎上してるし。なんか、ダサいじゃん。俺」
「ふはっ」
「……笑っちゃうよな、そりゃ」
『俺のこと、嫌いになった?』──そう訊ねてしまいそうになるのをこらえて、自嘲する。なんかもう、何もかもダメかもしれない。
そんな律希の横に当然のように座る心海は、これまた当然のように言い放った。
「別に呆れたりしないよ」
「なんで……」
律希はつい疑問をこぼしたが、すぐにそれを後悔する。ここで理由を訊ねるなんて一番格好がつかないと思ったからだ。まるで慰められるのを待っているようではないか。
しかしすでに心海は、無邪気に微笑んで口を開いていた。
「な、ん、で、も! それよりいいこと教えてあげよっか?」
「え……なに?」
心海から提供されそうな情報でいいことといえば、ザ・パルスの話題くらいだろうか。しかし今の律希は、どんなことがあっても喜んだりする余裕なんてないと思っていた。
それでも自分のためを思ってくれている心海にどんな反応をすればいいだろう。律希がそう思案し始めた頃、もったいぶっていた心海がスマホの画面を見せつけてきた。
そこにはKINGの、憂-yu-をけなしているいつも通りのポストが表示されている。しかしよく見るとそれはポストをタップした先の詳細画面で、そこには位置情報が記載されていた。
「これって──」
「このキングって人、ご近所さんみたいだね」
SNSで表示される位置情報は、市町村までだ。KINGのポストに載っているのは、確かに律希の住む市の名称だった。
「……近所で投稿してるって、まさかストーカーじゃないよな……?」
「それか、リアルの知り合いとかじゃない? 律希、心当たりないの? こんなにいちゃもんばっかりつけて叩くなんて、もしかしたらなにか恨みがあるのかもしれないよ」
恨まれるようなことをした覚えはない──と言いたいところだが、律希の頭には蜂喪のことが浮かんでいた。
とはいえ、憂-yu-か律希に恨みを持った人間がいたとしても、二人が同一人物だと知っているはずがない。誰にも話したことはないし、ネットの人間にもリアルの人間にもバレるはずがないのだ。
それはまさに今律希の真横に座っているたった一人を除いて、の話になるが。
「心当たりは──ないといえばないけど、あるといえばあるかも」
「なにそれ、結局わかんないってこと?」
心海が小さく笑ったところで、昼休み終了を知らせるチャイムの音が鳴り響く。彼女は立ち上がって、励ますように律希の肩を軽く叩いた。
「ま、あんまり気にしない方がいいんじゃない? やっぱりこういうときはさ、ザ・パルスの歌を聴いたり歌ったり弾いたりすれば、ちょっとは元気出るかもよ!」
◇
恨まれているとしたら、誰からだろう。もしかすると自分の知らない間になにかしてしまったのだろうか。逆恨みなんかもあり得るかもしれない。
律希は帰り道でずっと考えていたが、やはりその答えは出なかった。
玄関に入ると、家の中がやけに静かに感じた。比喩ではなく、リビングからいつもの母親の声もテレビの音も聞こえてこないのだ。ふと律希は、母親から今晩も実家へ泊まると連絡があったことを思い出す。
母親がいないということは、いつもより自由ということだ。昨晩は炎上のことで頭がいっぱいだったが、今は慣れと心海のおかげでほんの少しだけ余裕がある。
心海が提案してくれた気晴らしの方法のうち、聴くのはもうやった。歌うのは気分じゃない。弾くのは──最近はめっきりやっていない。そもそも自分の楽器すら持っていない。
けれど律希は知っていた。幼い頃に憧れた父のギターは、きっと捨てられてはいないはずだということを。
夜の七時過ぎ、仕事から帰った父親が靴を脱ぐのも待たずに、律希は声を弾ませながら訊ねる。
「おかえり! あのさ、父さんのギターって今どこにあるの?」
父親は、疲れが滲む低い声で軽い相づちを打ちながら革靴を脱ぐ。
ずいぶんと遅い返事は、おそらく質問の答えを考えているからだ。父親の性格からして思い出すのに時間がかかっているのだろうという予測をするのは簡単だが、律希は待ち遠しくて仕方がなかった。
ずっとあのギターを弾いてみたかった。父親の宝物は、律希にとっても特別だった。
ザ・パルスを知った頃に、ギターを貸してくれと父親に頼んだことがある。そうしたら断られて、代わりにくれたものはある約束だった。
『俺より音楽が好きになったら、このギターはあげるよ』
今の父親よりも自分の方が音楽が好きに決まっている。あの頃の父親よりも音楽が好きだという自信すらある。
とはいえ、何がどのくらい好きかなんて本来比べるものではない。そのことは律希も理解していたし、父親だってきっとそうだ。
それでも父親があんな約束をしたのは、きっと律希にも自分と同じように音楽を好きになってほしかったからなのだろう。だから、律希はそれに応えたかった。音楽が本当に好きなんだと、そう伝えるつもりだった。
ようやく思い出したのであろう父親が、ギターの在りかを口にするまでは。
「ああ、あれなぁ、ずっと前に、あげたよ」
「──はぁ? だ、誰に」
律希の心には怒りと戸惑いに似た気持ちが、一瞬にして渦巻いた。そんなことをよそに父親は、まったく悪びれる様子もなく、あっけらかんとした調子で言う。
「正臣に」
律希の心の中では戸惑いが多くを占めていたのに、それらを怒りが覆っていく。
どうしてあんな奴に。なんでいつも先に奪っていくんだ。憧れだった防音室に、宝物だったギターまで。
「律希、あのギターが欲しかったのか?」
父親はまるで初耳だとでも言わんばかりの表情で、それが余計に律希の神経を逆撫でる。そうだ、と答えるのが馬鹿らしくて、かといって父親のことを罵るような気も起きない。
唇を噛んで黙ったままの律希に、父親はまたなんの悪意もこもっていないような口ぶりで言う。
「でもお前、別に音楽とか好きじゃないだろ」
◇
怒り、戸惑い、悲しみ、呆れ、それらのどれにも形容しがたいやり場のない感情を抱えて、律希はしばらく玄関で立ち尽くしていた。それで気が晴れるわけもなく、律希はついに歩き出す。
破れそうなくらいの、ノックというよりは殴るといった強さで叩いたドアの向こうに、声をかける。胸に詰まった感情や、うるさい鼓動の心臓や、理由のわからない涙が、震える声と一緒に溢れてしまいそうだった。
「おい、開けろよ」
ドアの向こうから返事はない。律希はドアノブに手をかける。
どうせ鍵がかかっているだろう。そう思ったのに、意外にも、ドアはすんなりと開いた。開いてしまった。
その部屋は──かつて父親が趣味で使っていた防音室には、律希がこの世で一番嫌いな相手がいた。
そいつは部屋に引きこもって、関わりを拒んで、そのくせに親の哀れみだけは受け入れて、ただただ落ちぶれているはずだった。窓もない部屋で、不健康な生活をして、自堕落で、きっとKINGや天ノ啓示みたいな奴の人物像のイメージ通りのはずだった。
二年近くの時を経て顔を合わせた正臣は、きちんと整えた髪型をしていて、シワのないシャツを着ていて、洒落たフレームのメガネをかけていて、どうしようもなく、ちゃんとしていた。
「……律希」
正臣は以前よりも落ち着きのある声で、弟の名を呼ぶ。その瞳には名伏しがたい感情が揺らいでいた。
律希は、戸惑い、躊躇っていた。あんなに嫌っていた兄が、想像とまったく違っていたのだ。だったら自分は何を嫌って、何を心の支えにしていたのだろう。
──ああはなりたくないと、そう思って生きてきたのに、そんなものは存在していなかった。
逃避するように正臣から視線を外し、部屋の中を見回す。きちんと整理整頓された部屋は、やはり律希の想像とはかけ離れていて、見れば見るほど心が乱される。
父親のギターはしっかりとスタンドに置かれていて、大切に扱われている様子だった。ギターがあるのは正臣の座っているデスクチェアのすぐそばで、それはいつでも手に取って弾けるように選ばれた場所だということを感じさせた。
背の高い棚にはびっしりと音楽関係の本が並び、壁面にはコレクションのようにCDが飾られている。机にはデスクトップのパソコンが置かれ、さらにはモニターも二台並んでいる。
モニターの中で開きっぱなしのブラウザには閃火コンのランキングが表示されていて、別のタブはSNSの投稿画面のようだった。
そこに書かれているユーザーネームを見て、律希は目を疑った。受け入れがたい現実が次々と立ちはだかるせいで、実はぜんぶ夢なのではないかとすら思ってしまう。
「お前……お前が、そうだったのか」
その言葉に正臣はハッとして、律希の視線を追った先のモニターを見つめる。それからなにかを考えるように視線を伏せて、数秒経ってからおもむろに口を開いた。
「ああ……そうだよ。『KING』は俺なんだ」
どうしてそんなことを。なんでお前が。律希はこみ上げてくる感情を抑えて、なんとか言葉を紡ぎ出す。
「や、やっぱりな。そうだと思った。どうせお前みたいな奴だと思ってたよ!」
元から、KINGはきっと現実でもどうしようもない奴なのだろうと想像していた。王の名の通りに自分の城に引きこもっているのだろうと。まるで正臣のような奴なのだろうと。
その正体が、本当に正臣本人だったなんて。やっぱりそうだった。思った通りじゃないか。
けれど綺麗に腑に落ちたわけではない。正臣の方は律希の想像と何もかもが違っていたのだから。
「……そう。俺みたいな奴か。律希がイメージしていた俺は、一体どんな姿だった?」
皮肉めいた正臣の物言いに律希は口をつぐみかけて、しかしここでそうしたらなんだか負けたみたいではないかと悔しさに肩を震わせる。それから律希は整理できないままの頭の中をそのまま出力し始めた。
「かっ、関係ないだろ、俺がお前をどう思ってたかとか──大体、お前は引きこもりでどうしようもない奴で、しかもキングとか名乗って実の弟のアンチをしてて……それは全部事実だろ!」
律希は言い切ったところで、ふと気づく。そうだ、そもそもおかしいじゃないか。そのことは、誰も知らないはずなのに。
「お前、ユウのこと……俺がユウって、知ってたの?」
正臣はパソコンの画面を見つめたまま、答えない。律希は返事を待ちながら視線を泳がせた先で、モニターに映るもうひとつのタブを見つける。
そこにはココが映っている。リビングのペットカメラの映像だ。ココはおもちゃのぬいぐるみを口にくわえたまま振り回して、それがサークルに当たったことで音が鳴る。
その瞬間、律希の中で結び付いた。無関心な父親や機械に疎い母親が、ペットカメラの導入なんてできるわけがない。やったのは正臣だったんだ。
それで、部屋から出ないまま一方的に会話を聞いて家族みんなのことを把握して──そんなのまるで監視ではないか。やっていることはストーカーと変わらない。
そこで律希が思い出したのは、昨晩の自室で炎上のことを知る前に、デスクの物の配置に違和感があったことだ。
KINGはどうやって憂-yu-のDM画面のスクショを入手したのか。今となっては、その答えは明白だった。
「俺のパソコン……見てたんだろ」
律希は何も言わない正臣に近づき、胸ぐらを掴む。
「お前、何がしたいんだよ。何のためにこんな──」
そうしたことで、正臣の後ろで何かを隠すように覆っていた布が床に落ちる。それであらわになったのは、MIDIキーボードだった。
まただ。また理解不能なことが起きた。どうしてこいつがそんなものを持っている。律希が幼い頃から憧れていた防音室とギターを父親から譲り受けて、さらには律希がずっと欲しかったMIDIキーボードまで手に入れているなんて。
譲ってもらったものはまだ理解できる。けれど、MIDIキーボードは父親のものではない。パソコンすら持っていない父親が使うわけがない。それは譜面の打ち込みをするものだ。
それをどうして正臣が持っている。
律希は正臣から手を放して、MIDIキーボードに近づく。すると、その下に数枚のメモ用紙が挟まっていることに気がついた。
メモ用紙を引き抜くと、見覚えのある言葉が羅列している。連なる言葉たちには丸やバツが重ねてあって、それらが採用か不採用かを示しているのだとすぐにわかった。
──ツミの曲の、歌詞だ。
防音室にギター、音楽関係の本、閃火コンの画面、MIDIキーボードと、明らかに歌詞を練っていたと思われるメモ。律希の脳内では、すでに最悪の答えが弾き出されていた。
けれど口に出したくない。言えば、正臣に答えを確かめれば、それが真実であることを信じざるを得なくなってしまう。
メモ用紙を握りしめたまま立ち尽くす律希に、正臣はぼそりと呟くように言った。
「全部、俺だよ」
律希はゆっくりと正臣を見る。律希の頭の中には絶望が満ちていて、今にも耳を塞いで部屋を飛び出してしまいそうな衝動に抗っていた。
正臣はそんな律希のことを、観念したような、悟ったような、冷静な瞳で見つめ返す。
「キングは俺。天ノ啓示にユウとの接触を頼んだのも俺。それから……ツミも、俺」
わけがわからなかった。あんな最低なKINGと神様であるツミが同一人物で、さらにその正体が正臣だなんて。
何が起きればそんなことになるのかわからない。正臣が何の目的でそんなことをしたのかも、まったく見当がつかなかった。
「な」
律希はなにか言ってやろうと口を開いたが、言葉に詰まる。ひゅう、と喉が鳴る。まるで息の仕方を忘れてしまったかのように苦しくて、言うべき言葉が見つからない。
「なん、なんなんだよ、お前、本当に……」
絞り出した声はしんとした部屋に消えていって、正臣がそれを拾い上げたのは数秒の沈黙の後だった。
「律希。……お前が悪いんだ」
「は、はぁ?」
こちらが正臣を責めることはあっても、責められる覚えはない。確かに律希は正臣のことを嫌っていたし、反面教師にして生きてはきたが、それらを悟られるようなことはしていないはずだ。
「お前がいつまでも、しょうもないことしてるからだ」
「しょうもないって……なんだよ。そんなこと、お前に言われる筋合いないだろ。お前なんか──」
お前なんか、ただ引きこもって何もしてないくせに。頭に浮かんだ反論は、もうすでに正臣には通らない。
ツミは、素晴らしい音楽たちを生み出してくれている。たとえその正体が正臣であっても、それを無意味なことであるかのような言い方はできなかった。
「俺に言われる筋合いがない? 違う、俺が言うべきなんだよ。お前の、ユウの作る音楽は全部俺の──ツミの下位互換ばっかりなんだから」
KINGの投稿が、頭の中でよみがえる。確かに今正臣が言ったような内容のポストも多かった。あれはひたすらに憂-yu-をけなしたかったわけじゃなくて、本当に心の底からそう思っていたのか。
だからといって納得なんてできない。ツミのようになりたかったのは確かだけれど、真似ばかりしていたわけではない。
何も知らないくせに。どんなふうにツミに憧れて、どんなふうに悩んで、どんなふうに音楽を作ってきたか。それなのにどうして、すべてを踏みにじるようなことを言えるのだろう。
「ふざけんな、俺のこと何も知らないくせに──勝手なこと言って決めつけんなよ……!」
律希が憧れたものは、全部正臣のところにあった。受け入れたくない。信じたくない。
それなのに、それらはぜんぶ真実で、それを知らしめるかのようにギターの青は鮮やかなままでMIDIキーボードは輝いて見える。
律希はもう立っているのも嫌になって、だからといって正臣の前で弱みなんて見せたくなくて、部屋を飛び出した。そのまま玄関の外へ出て、あてもなく走る。
──神様なんかいない。きっとそうなんだ。
努力は報われなくて、努力していないと思っていた奴がすべてを持っていて、ツミという神様は、神様なんかじゃなかった。
ほとんどが夜に染まった空の遠くが赤く燃えていて、律希に炎上騒動のことを連想させた。
いっそこのままぜんぶ焼き尽くされてしまえばいい。憂-yu-も、律希も、もう、これからどうすればいいかわからないから。
ツミという神様は、もう神様じゃなくなった。正臣という道しるべは、もう間違った道を示してくれない。
だったらもう、信じるべきものも進むべき道もわからない。律希はひたすらに走った。この先に何があるかも、行くべき方向もわからないまま──ただ、なにかから逃げるように。