ライブ当日の日、少し秋めいた風が街に吹いた。
 近くの公園で開催される野外フェスは、地元のラジオ局が開催する恒例のもので、ボクは3年連続の出演となる。
 プロのバンドやミュージシャンはステージの持ち時間が1時間ほどあるが、アマチュアのボクには20分しかない。せいぜい唄えて5曲くらいだ。
 この最後の曲を、「チャンス」にするつもりだ。

「あ、ギター持ってる!」
 待ち合わせ場所の駅前に、好美さんはやってくるなり、手に抱えているギターケースを指差して言った。
 今日は白のワンピースを着ていて、かわいい。何を着ても似合う。
「そう、これで今日は『チャンス』を演奏するよ」
「カッコいい。ギターを持ってると、やっぱりミュージシャンって感じする」
「そう?」
 野外フェスでは会場でマルシェも行われていて、出番までは自由にできる。ボクらは一緒に店をめぐったり、先に出演しているアーティストのステージを見たりした。

 会場を歩いている時、ボクは何度も、好美さんの顔を見た。
 そうだよな。
 生きている。当たり前だけど。

 日が暮れて、いよいよステージに照明が付いた。
 ボクの出番が近づいてくると、ボクは好美さんと別れ、控室に入る。好美さんは観客席に行った。
 張り替えた弦の音が狂っていないか、確認しているとドアをノックする音が聞こえた。
「久しぶりだな」と言いながら入ってきたのは、ボクの担当となってくれている大手CDレーベル北川さんだ。
「お久しぶりです! 来てくれたんですか?」
「ああ。どの程度、パフォーマンスがよくなってるかチェックしないといけないからな」と笑いながら言う
「そんな怖いこと言わないでくださいよ」
「冗談だ。それより、さっき会場を歩いているお前を見かけたけど、ずい分独り言を言っていたな。何かの世界に入っているみたいだったから話しかけなかったけど」
「独り言ですか? ボクは女の子と喋っていただけですよ」
「女の子?」
「一緒にいましたよね。好美さんっていう幼馴染なんです」
「え? ……いなかったけどな」
 どういうことだ?
「まさか。今も観客席にいますよ」
 うーん、と北川さんはリアクションに困っている。
 もう、やめてくれ。大人は、すぐにあり得もしないことを言う。実際に好美さんはいるじゃないか。

「ん? お前、最近寝不足か? 目にクマができてる」
「はい、ちょっと思い悩むこともあって」
「そうか。とりあえず、今は大学受験だけを考えればいいんだぞ。ま、こんな小さいステージに時々出るのは悪くないがな」
「はい」
「じゃあ、観客席にオレも行ってるな」
 そして、北川さんは控室を出て行った。

 出演までのわずかな時間に、ボクは慌てて観客席を確認した。
 大丈夫だ。
 ちゃんと、好美さんはいる。
 目が合って、手を振ってくれたから振り返した。

「お願いします」
 ボランティア・スタッフが控室にやってきて、ステージに上がるよう伝えにきた。
 ステージにはライトが煌めいている。

 この光景、……最高だ!

 好美さんは最前列にいる。ボクには好美さんしか目に入らない。

 シールドをつないで簡単に音を出し、手短にリハーサルを行う。もう、準備は完了だ。
 音響スタッフにアイコンタクトを取る。

 いよいよ、始まる。

 SNSで一番評判のいいエレクトロな楽曲「lazy」のトラックを音響スタッフがスタートさせ、ボクはギターを弾きながら唄い出した。
 観客は立ち上がってくれている。
 唄っている最中、ボクは何度も好美さんを見た。
 喜んでくれている。よかった。

 2曲目のキーは、E。
 ボクはタッピングとピッキングを織り交ぜて、開放弦のプレーを多用し、まずは観客の心を掴む。
 いい。
 ステージには魔物がよくいるが、ここの魔物はボクらに優しいに違いない。

 完璧なパフォーマンスで次々と唄い終えると、ついに、最後の曲「チャンス」を演奏するタイミングがやってきた。
 ボクは好美さんにウインクする。

「最後の曲は、このギター1本だけの演奏で唄います。聴いてください。『チャンス』」

 ボクはピックを片付け、指でイントロを演奏し出した。アルペジオといわれるスローバラッドに向いた奏法だ。

 スポットライトがボクに当たる。その光が眩しすぎて、観客席が見えなくなった。
 さあ、力の限り、唄おう。

  静かな夜に
  君の声が響く
  遠く離れても
  心は君を探してる

  思い出の中で
  君の笑顔が揺れる
  触れられない距離が
  胸を締め付ける

  君の影を追いかけて
  夜空に願いをかけた
  また君に会いたい
  ずっと一緒にいたい
  チャンスをください

  強く願ったからきっと
  ボクらは再会できた
  つないだ手 もう話さない
  未来を一緒に歩きたい
  チャンスをください

 唄い続けていると、スポットライトの明るさに眩しさに慣れてきて、観客席がうっすらと見える。
 ふと、その中に、好美さんがいて、ボクと目が合った。

 泣いているのか?
 この曲には、キミに会いたくて会いたくて仕方がなかった10年分の気持ちが詰まってる。
 再会できてボクはどんなに嬉しかったことか。
 
 これは、キミのためだけに、唄っているんだよ。
 これはキミだけのための曲だ。
 どうか、未来もずっと、一緒にいてほしい。

 パフォーマンスすべてが終わると、一瞬、会場は沈黙に包まれる。
 しかし、その直後、割れんばかりの拍手が巻き起こった。

 そして、ボクと好美さんを置いて、時間が止まった。

 ステージを降りたボクは、好美さんのいる観客席へ駆け寄る。
 いた!
 まだ、泣いていた。
 一体、どうしたんだろう?

「豐樹くん、すごくよかったよ」
「ありがとう」
「もう、困るよ。あんなに、カッコよすぎるステージを見たら、豐樹くんに未練が残ってしまうじゃん」
「未練? どういう意味?」
「私もどうしても豊樹くんに会いたくて、こっちに来たんだけど、そろそろタイムオーバーみたい」
「嫌だ!」
「私も、つらい。こんなつらくなる時がやってくるって知っていたのに、再会しちゃった。ごめんね」
「ダメだって!」
「豊樹くんも、知ってるでしょ? 私、ホントはもうこの世にいないもん」
「そんなのウソだ。好美さんは生きてる。ほら、こうして、手をつないだら温もりが……」
 ボクは好美さんの手を強引に握ろうとする。すると、ボクの手は好美さんの手を素通りして、つかめなくなっていた。
 しかも、好美さんの姿が、透け始めている。

「10年前の約束が果たせてよかった」
「そんな……。ボクは好美さんがいないと、もう生きていけないよ」
「大丈夫。私がいなくてもやっていける。それにこの先、きっと豊樹くんは大学にも合格するし、ちゃんとデビューして売れるよ」
「そんな」

 ボクは、無力だ。
 逆らえるものなら逆らいたい。
 再会してから、あんなに毎日が幸せだったのに……。

「ねえ。お互い生まれ変わったら、また、あの河川敷で七夕の日に会わない?
「生まれ変わったら?」
「そう、もう一回、約束。織姫と彦星みたいでいいでしょ? その時、この恋の続きをしようよ」
 10年前の約束をリフレインしているようだ。

「生まれ変わったら、ボクらは何をしてるか、さっぱり分からないね」
「私は豊樹くんのことを、絶対覚えているから。必ずあの河川敷に行くね」
「分かった! ボクも絶対、あの再会の場所に行くよ! 絶対に絶対」
「約束ね。だから、……」
「だから?」
「サヨナラは言わない。豊樹くん、またね!」


 ────うん。またね! 約束だよー!

 気が付いたら、ボクは好美さんと再会した河川敷にいた。
 目が涙で濡れている。
 また、約束してしまった。

 チャンスは来世に持ち越しだ。
 ボクは、今を生きよう。

 好美さん、ボクも忘れないよ。
 恋の続きを、楽しみにしてる。(了)