人が嘘をつく時、すぐに気づけてしまう。
人間関係において嘘を見抜けるかどうかでその先の人生に変化が生まれる。
昔からずっと嘘に気づけるなら、信頼できる相手さえ見極められる。
デリカシーのない坂口や、一人でこそこそやって隠し事する里中から信用されるのもそう言った嘘に気づけるから。
今、目の前にいる彼に私は何を言えばいいのだろうか。
洋馬は今、嘘をついていない。
人を殺したと言った彼の目や仕草にそれと言った変化はない。
突然休校になった理由を理路整然と伝えられたのは、彼が殺したという事実が当然ながら事前に知っていたため。
彼は、突然のことにすぐに対応する能力は低い。
私とした時、彼は私の一言で動かなくなった。
ちょっとした言葉に弱い彼だ。
人が死んだという事実を今日伝えられて、私と普通にデートをするだなんて異常だ。
でも、そんなのおかしい。彼に人を殺すほどの度胸があるとは思えない。
大多数の人間は人を殺せないし、殺さない。何があってもどんな目に遭っても。
彼にはそれができたというのか。
二人も殺せる?
彼は確か教材室で二人の遺体があったと言っていた。
二人も同じ場所で殺すとなると彼にはそれだけの体力が必要だ。一人に羽交締めされたら凶器の一つや二つ没収されるはず。
殺すにはリスクが大きいはず。
学校で殺した後、彼はどうやってその遺体を処分するつもりだったのか。警察に見つかってしまったからには、もう処分もできないけれど。
一体どんな理由で二人も人を殺したのだろうか。
そして、彼はこの場でどうしてそんな告白をしようと思ったのか。
先に里中に連絡しておこう。
『直人君がクラスメイトが二人殺されたって』
『誰もそんな話してないけど』
『でも、直人君が』
『今どこ?警察に連れて行った方がいいよ』
『でも』
『悩んでる暇なくない?自白させた方が罪は軽くなるし』
『直人君が、何に悩んでてなんで殺したのか。私は知りたいよ』
里中は既読をつけたっきり連絡を返してくれなかった。
「もう帰りますね」
洋馬は、腰を上げた。
「ちょっと待って!」
彼の手首を掴み引き止める。
「それ、本当?嘘だよ、そんなの。だって、直人君、殺す動機ないでしょ?」
「……やっぱ、頼ろうとしたのは、間違いだった。許されないや」
「……え?どういうこと?」
「別に」
窓の先に見えるなんてことない風景を見やる彼。虚を見つめる彼に私は何を言えばいいのだろう。
嘘ではないとわかっているのに、嘘だと思いたい。
そんな矛盾を彼にわかってもらいたいのに、言葉にするには何もかもが足りなかった。
彼の学校生活を知らないこと、友人関係を知らないこと、部活動を知らないこと。
「何それ、ひどいよ……。初めてだよ、私……、人から頼られたことないの……」
坂口の言いたいこと言って勝手にスッキリする感じも里中の不満や葛藤にアドバイスをすることも。
全部、助かったよ、ありがとうってみんな返してくれるのに。
彼だけは、初めから信じてくれていなかった。
思えば、彼は私とした後、距離を置いてきた。
既読をつけるくせに連絡は一切返さない。
バイトのない日に学校に向かって真意を聞きたかった。だけど、彼は一向に振り向いてくれない。距離を取り続けるばかり。
明るく振る舞ってみてもダメだった。その日は、泣いてしまって疲れて眠った。
目の前にいる彼は、どうでもいい相手だから私にそんなひどい言葉をぶつけられるのだろう。
散々ひどいことされたのだから、私も距離を置いておくべきだった。
ずっとスタバに来る頃の彼のまま、店に来て軽く会話して礼を言って、礼を返されて。
勝手に勘違いして、里中にお願いして、連絡先をもらった。
うまくいけば、付き合えるかもなんて思ってた。
あの時から一歩も距離を近づけなければ、こんなことにはならなかった。
少し大胆すぎたのかもしれない。
あれを見せれば、男なんて簡単に抱けるのに。抱きたかっただけじゃない。先にしても付き合えるってどっかで思っていた。
順序を間違えたのだ。私が良くても彼は、気にしたのかもしれない。
彼はピュアだった。丁寧にデートを重ねていけばよかった。
少し大人になった私の環境で丁寧さなんてどこにもないけれど。
彼の前では……。
「でも、だったらなんで……?なんで、今日、きてくれたの?いつもみたいに既読無視したらよかったじゃん……」
涙が溢れそう。
でも彼の前では泣かない。きっと愛想尽かされる。
警察に捕まるのも時間の問題。
私は、ただ永遠が欲しいだけなのに。彼は永遠をくれると思ったのに。
頼れる相手、文句を言える相手、不満を言える相手、褒めてくれる相手、慰めてくれる相手、癒してくれる相手、全部が欲しい。
彼なら全部をくれると思った。
見た目も言葉も大人っぽかったから。
今、目の前にいるのは高校生の洋馬。
高校生の洋馬でいい。全部が欲しい。あなたがそばにいて欲しい。
抱きしめてほしい、優しく笑ってほしい、隣にいてほしい。
それが叶わないのなら。
「ねぇ、一緒に考えよ……。一緒にいられる、永遠でいられる場所を探そう」
彼の目が揺らぐ。彼の欲しい言葉がこれだったのかはわからない。
だけれど、今はまだ一緒にいられる喜びを噛み締めておこう。
「これで私たち、共犯だね」
ふふっと悪い笑みを浮かべてみる。
彼は肩の荷が降りたような緩んだ笑みを見せてくれた。
恋愛がうまくいく気はしない。
沈んでいく船の中でできることをしたい。
カフェを出ると、家きてよと誘う。
歩いて向かう道中、ほとんど会話はなかった。
それでも心地よかった。
彼が隣にいる。
一生、一緒にいようね。
心の中で伝える。
想いが溢れて手を繋いだ。
彼は呆気に取られていたが、笑みを見せると許してくれた。
家に到着すると彼は、オロオロした姿で部屋に入った。
「どうしたの?」
ちょっとおかしく思えて、そう聞いてみる。
「なんか甘い匂いするなぁって」
「へへ、いいでしょ。この香水好きなんだぁ」
「なんの匂い?」
「秘密だよ」
すぐに気づいて欲しいものだけれど、そんな我儘は今はいい。
部屋のベッドを促すと彼は隣に座ってくれた。
まだ緊張しているみたいで目を泳がせている。
膝に置かれた手の甲を指で撫でる。
彼の大きく硬い手。
前回は全くと言っていいほど撫でることもできなかったので今回は堪能したい。
なのに。
「ごめん、電話」
バイト先からだったら大変だと急いでスマホの画面をタップする。
そこにはバイト先からではなく里中から着信が来ていた。
「ちょっと、ごめん」
ベッドから少し離れて電話をとる。
「ねぇ、今、忙しいの」
「真波さん、警察から連絡があったみたいで洋馬を逮捕するみたいです」
「え?」
なんで?と疑問が浮かぶ。どうしてこんなにも早く船は沈んでしまうのだろう。
「証拠が出たの?」
「教材室で亡くなっていた三森のスマホの録画から三木谷を殺したのかって問いに答えていたみたいです。スマホに映像が残ってました」
「……どういうこと?その二人が死んだの?」
二人だけって聞いてた。でもそれは教材室だけの話。
もしかして彼は他にも人を殺めていた?
「他の情報はわからないですけど、証拠映像が残っているってことらしくて」
「でも……、それは、今日亡くなった二人の話じゃない」
「真波さん、なんの話してるんですか?」
ハッとする。里中の言葉は、とても静かで淡々としている。
きっと彼は今は、あまり状況を飲み込めていない中伝えているのだ。
「何を庇ってるんですか?共犯の扱い受けて逮捕されたらなりたいものにもなれなくなりますよ?」
「それは……」
「今、もしも洋馬と一緒にいるのなら、教えてください。場所はどこですか」
「……」
スマホのマイクを切る。これで里中には聞こえない。
「あのさ、直人君……、警察が来るんだって」
彼を見やると、目を閉じて息を吐いて、立ち上がった。
「やっぱり、潮時ですね……」
「ねぇ、本当だったの?」
「……真波さん、ごめんなさい」
何かを言いかけてやめて、謝る彼。
「なんで謝るの?」
「もう限界ですよ……。頭のキレる殺人鬼じゃない。きっと、三森のスマホからばれたんだ。あのスマホちゃんと捨てておけばよかった」
「何言ってるの……」
「もう少し、あなたといたかった」
「ねぇ……」
「僕とあなたは会ってはいけなかった。ごめんなさい。もう帰ります」
「なんで?いいじゃん、警察が来るまで一緒にいよ」
「ダメですよ。共犯になる」
玄関の先に行こうとする彼の道を阻む。
両腕を掴んで、必死に止めた。
「知らなかったことにしちゃえばいい。やだ。行かせない。あなたが嘘をついていないのなら、もうこれ以上罪を背負う必要はない。ここにいよう」
眉間に皺を寄せた彼は、私を突き飛ばした。尻餅をついた私は彼の言葉に釘付けにされた。
「もう遅いんだ……。もう、十分だ!いらない、何もかもいらない!全部が遅い!僕はもう……普通じゃない……。正しいやつじゃない……。まともなんかじゃない……。人を殺めたんだ……、殺したんだ……こんな汚い手で君を抱きしめることはできない……。この先何人殺しても、殺さなくても、罪は消えない」
だったら、と言い聞かせる。
「僕が生きやすくなるために邪魔者は排除するべきだ」
憎しみ、恨み、怒り、負の感情が彼の眼光を濁らせる。
鋭く虚を見つめる彼の頭にはどんな思想があるのだろう。どんな考えがあるのだろう。
「この先、逃げ切って僕は平穏の中を生きるんだ。学校という世界はあまりにも僕には合わなかった」
引き返せなくなった人は、我が道を行かんと進みだす。
いつかどこかで歴史の教科書などで見たことのあるストーリー。
罪悪感と共にひた走ることになる。この先一生。
そんなの絶対にダメだ。
「待って」
腰を上げてタックルする勢いで彼にぶつかりにいく。が、彼はひょいと避けて背中を押し壁に激突した。その衝撃で頭を角にぶつけた。
小さく悲鳴を上げる。ぶつけた頭を両手で押さえる。
何かが顔をつたる。右手で拭うとそこには血があった。
「あ……」
必死に拭っても止めどなく血が流れる。
「ほら、やっぱり僕は人を殺す定め。真波さん、もう関わらないほうがいいですよ」
「だめ、待って」
もうそれ以上罪を背負わないで。
死んじゃだめ。殺すのもだめ。
生きて警察に行こう。
思いとは裏腹に玄関を開ける彼。
止めるために立ち上がるけれど、ふらついて床に倒れた。
手元にスマホがある。スピーカーにして、マイクを入れた。
「行っちゃった……」
「真波さん?洋馬はどこですか!?今、大丈夫ですか?」
「頭から血が出ちゃって……動けそうにないや……」
「血を!?救急車を呼びます。その場にいてください。できれば、頭を冷やして」
「ねぇ、里中君……、彼はどうしてあんなにも独りよがりなの……?」
「喋らないで!今は、救急車が来ることだけをまちましょう」
「答えて、里中君!どうして、彼は独りなの?」
いつか私と同じ決断をしている洋馬。
誰も頼らず自分で進路を決め続けた私。専門学校に通うことだって私自身が決めたことだ。
全部自分で決めてきた人にありがちな判断。それは、他者を頼らないということ。
決して一人ぼっちではないはずなのに、人に相談ができず、悩んで、苦しむ。
人と距離を置いて会話を断り目を逸らし続ける。
気がつけば、決めなければならない時期が来ていて怒られたりもする。
自業自得なのに、そういう人に限って人のせいにする。
私もそうだ。
専門学校に通うことは、自分で決めたことなのに人のせいにすることもある。
何もかも自分で決めたはずなのに自分以外の誰かを責める。
私が彼ほど落ちることがなかったのは、カウンセラーの存在だ。
専門学校にはカウンセラーがいて、悩みを聞いてくれたり、不満をぶつけたり、時にアドバイスをくれる。
自分が思っているほど自立していない私には必要な機関だった。
彼の学校には、なかったのだろうか。
彼が一人にならないために誰かついてやれなかったのだろうか。
「友達はいなかったの?部長のあなたは何をしていたの?クラスメイトは殺されるほどの恨みを買うようなことしていたの?」
「それは……」
「ねぇ、答えてよ、里中君!」
怒鳴ってしまって、意識が朦朧とする。
助けてもらわないと死んでしまうというのに、なんて馬鹿なことをしてしまったのだろう。
スマホを持つ力もない。床に落としてしまう。
もう目を開けている力もない。
死んじゃうのかな……。
洋馬君、ダメだよ。あなたにはいたはずでしょ?よく一緒にスタバに来てくれてたあの男の子。
相談くらい乗ってくれると思う。
だから、これ以上独りよがりに走っていかないで。
何かを残すこともできないまま、私は瞳を閉じた。
人間関係において嘘を見抜けるかどうかでその先の人生に変化が生まれる。
昔からずっと嘘に気づけるなら、信頼できる相手さえ見極められる。
デリカシーのない坂口や、一人でこそこそやって隠し事する里中から信用されるのもそう言った嘘に気づけるから。
今、目の前にいる彼に私は何を言えばいいのだろうか。
洋馬は今、嘘をついていない。
人を殺したと言った彼の目や仕草にそれと言った変化はない。
突然休校になった理由を理路整然と伝えられたのは、彼が殺したという事実が当然ながら事前に知っていたため。
彼は、突然のことにすぐに対応する能力は低い。
私とした時、彼は私の一言で動かなくなった。
ちょっとした言葉に弱い彼だ。
人が死んだという事実を今日伝えられて、私と普通にデートをするだなんて異常だ。
でも、そんなのおかしい。彼に人を殺すほどの度胸があるとは思えない。
大多数の人間は人を殺せないし、殺さない。何があってもどんな目に遭っても。
彼にはそれができたというのか。
二人も殺せる?
彼は確か教材室で二人の遺体があったと言っていた。
二人も同じ場所で殺すとなると彼にはそれだけの体力が必要だ。一人に羽交締めされたら凶器の一つや二つ没収されるはず。
殺すにはリスクが大きいはず。
学校で殺した後、彼はどうやってその遺体を処分するつもりだったのか。警察に見つかってしまったからには、もう処分もできないけれど。
一体どんな理由で二人も人を殺したのだろうか。
そして、彼はこの場でどうしてそんな告白をしようと思ったのか。
先に里中に連絡しておこう。
『直人君がクラスメイトが二人殺されたって』
『誰もそんな話してないけど』
『でも、直人君が』
『今どこ?警察に連れて行った方がいいよ』
『でも』
『悩んでる暇なくない?自白させた方が罪は軽くなるし』
『直人君が、何に悩んでてなんで殺したのか。私は知りたいよ』
里中は既読をつけたっきり連絡を返してくれなかった。
「もう帰りますね」
洋馬は、腰を上げた。
「ちょっと待って!」
彼の手首を掴み引き止める。
「それ、本当?嘘だよ、そんなの。だって、直人君、殺す動機ないでしょ?」
「……やっぱ、頼ろうとしたのは、間違いだった。許されないや」
「……え?どういうこと?」
「別に」
窓の先に見えるなんてことない風景を見やる彼。虚を見つめる彼に私は何を言えばいいのだろう。
嘘ではないとわかっているのに、嘘だと思いたい。
そんな矛盾を彼にわかってもらいたいのに、言葉にするには何もかもが足りなかった。
彼の学校生活を知らないこと、友人関係を知らないこと、部活動を知らないこと。
「何それ、ひどいよ……。初めてだよ、私……、人から頼られたことないの……」
坂口の言いたいこと言って勝手にスッキリする感じも里中の不満や葛藤にアドバイスをすることも。
全部、助かったよ、ありがとうってみんな返してくれるのに。
彼だけは、初めから信じてくれていなかった。
思えば、彼は私とした後、距離を置いてきた。
既読をつけるくせに連絡は一切返さない。
バイトのない日に学校に向かって真意を聞きたかった。だけど、彼は一向に振り向いてくれない。距離を取り続けるばかり。
明るく振る舞ってみてもダメだった。その日は、泣いてしまって疲れて眠った。
目の前にいる彼は、どうでもいい相手だから私にそんなひどい言葉をぶつけられるのだろう。
散々ひどいことされたのだから、私も距離を置いておくべきだった。
ずっとスタバに来る頃の彼のまま、店に来て軽く会話して礼を言って、礼を返されて。
勝手に勘違いして、里中にお願いして、連絡先をもらった。
うまくいけば、付き合えるかもなんて思ってた。
あの時から一歩も距離を近づけなければ、こんなことにはならなかった。
少し大胆すぎたのかもしれない。
あれを見せれば、男なんて簡単に抱けるのに。抱きたかっただけじゃない。先にしても付き合えるってどっかで思っていた。
順序を間違えたのだ。私が良くても彼は、気にしたのかもしれない。
彼はピュアだった。丁寧にデートを重ねていけばよかった。
少し大人になった私の環境で丁寧さなんてどこにもないけれど。
彼の前では……。
「でも、だったらなんで……?なんで、今日、きてくれたの?いつもみたいに既読無視したらよかったじゃん……」
涙が溢れそう。
でも彼の前では泣かない。きっと愛想尽かされる。
警察に捕まるのも時間の問題。
私は、ただ永遠が欲しいだけなのに。彼は永遠をくれると思ったのに。
頼れる相手、文句を言える相手、不満を言える相手、褒めてくれる相手、慰めてくれる相手、癒してくれる相手、全部が欲しい。
彼なら全部をくれると思った。
見た目も言葉も大人っぽかったから。
今、目の前にいるのは高校生の洋馬。
高校生の洋馬でいい。全部が欲しい。あなたがそばにいて欲しい。
抱きしめてほしい、優しく笑ってほしい、隣にいてほしい。
それが叶わないのなら。
「ねぇ、一緒に考えよ……。一緒にいられる、永遠でいられる場所を探そう」
彼の目が揺らぐ。彼の欲しい言葉がこれだったのかはわからない。
だけれど、今はまだ一緒にいられる喜びを噛み締めておこう。
「これで私たち、共犯だね」
ふふっと悪い笑みを浮かべてみる。
彼は肩の荷が降りたような緩んだ笑みを見せてくれた。
恋愛がうまくいく気はしない。
沈んでいく船の中でできることをしたい。
カフェを出ると、家きてよと誘う。
歩いて向かう道中、ほとんど会話はなかった。
それでも心地よかった。
彼が隣にいる。
一生、一緒にいようね。
心の中で伝える。
想いが溢れて手を繋いだ。
彼は呆気に取られていたが、笑みを見せると許してくれた。
家に到着すると彼は、オロオロした姿で部屋に入った。
「どうしたの?」
ちょっとおかしく思えて、そう聞いてみる。
「なんか甘い匂いするなぁって」
「へへ、いいでしょ。この香水好きなんだぁ」
「なんの匂い?」
「秘密だよ」
すぐに気づいて欲しいものだけれど、そんな我儘は今はいい。
部屋のベッドを促すと彼は隣に座ってくれた。
まだ緊張しているみたいで目を泳がせている。
膝に置かれた手の甲を指で撫でる。
彼の大きく硬い手。
前回は全くと言っていいほど撫でることもできなかったので今回は堪能したい。
なのに。
「ごめん、電話」
バイト先からだったら大変だと急いでスマホの画面をタップする。
そこにはバイト先からではなく里中から着信が来ていた。
「ちょっと、ごめん」
ベッドから少し離れて電話をとる。
「ねぇ、今、忙しいの」
「真波さん、警察から連絡があったみたいで洋馬を逮捕するみたいです」
「え?」
なんで?と疑問が浮かぶ。どうしてこんなにも早く船は沈んでしまうのだろう。
「証拠が出たの?」
「教材室で亡くなっていた三森のスマホの録画から三木谷を殺したのかって問いに答えていたみたいです。スマホに映像が残ってました」
「……どういうこと?その二人が死んだの?」
二人だけって聞いてた。でもそれは教材室だけの話。
もしかして彼は他にも人を殺めていた?
「他の情報はわからないですけど、証拠映像が残っているってことらしくて」
「でも……、それは、今日亡くなった二人の話じゃない」
「真波さん、なんの話してるんですか?」
ハッとする。里中の言葉は、とても静かで淡々としている。
きっと彼は今は、あまり状況を飲み込めていない中伝えているのだ。
「何を庇ってるんですか?共犯の扱い受けて逮捕されたらなりたいものにもなれなくなりますよ?」
「それは……」
「今、もしも洋馬と一緒にいるのなら、教えてください。場所はどこですか」
「……」
スマホのマイクを切る。これで里中には聞こえない。
「あのさ、直人君……、警察が来るんだって」
彼を見やると、目を閉じて息を吐いて、立ち上がった。
「やっぱり、潮時ですね……」
「ねぇ、本当だったの?」
「……真波さん、ごめんなさい」
何かを言いかけてやめて、謝る彼。
「なんで謝るの?」
「もう限界ですよ……。頭のキレる殺人鬼じゃない。きっと、三森のスマホからばれたんだ。あのスマホちゃんと捨てておけばよかった」
「何言ってるの……」
「もう少し、あなたといたかった」
「ねぇ……」
「僕とあなたは会ってはいけなかった。ごめんなさい。もう帰ります」
「なんで?いいじゃん、警察が来るまで一緒にいよ」
「ダメですよ。共犯になる」
玄関の先に行こうとする彼の道を阻む。
両腕を掴んで、必死に止めた。
「知らなかったことにしちゃえばいい。やだ。行かせない。あなたが嘘をついていないのなら、もうこれ以上罪を背負う必要はない。ここにいよう」
眉間に皺を寄せた彼は、私を突き飛ばした。尻餅をついた私は彼の言葉に釘付けにされた。
「もう遅いんだ……。もう、十分だ!いらない、何もかもいらない!全部が遅い!僕はもう……普通じゃない……。正しいやつじゃない……。まともなんかじゃない……。人を殺めたんだ……、殺したんだ……こんな汚い手で君を抱きしめることはできない……。この先何人殺しても、殺さなくても、罪は消えない」
だったら、と言い聞かせる。
「僕が生きやすくなるために邪魔者は排除するべきだ」
憎しみ、恨み、怒り、負の感情が彼の眼光を濁らせる。
鋭く虚を見つめる彼の頭にはどんな思想があるのだろう。どんな考えがあるのだろう。
「この先、逃げ切って僕は平穏の中を生きるんだ。学校という世界はあまりにも僕には合わなかった」
引き返せなくなった人は、我が道を行かんと進みだす。
いつかどこかで歴史の教科書などで見たことのあるストーリー。
罪悪感と共にひた走ることになる。この先一生。
そんなの絶対にダメだ。
「待って」
腰を上げてタックルする勢いで彼にぶつかりにいく。が、彼はひょいと避けて背中を押し壁に激突した。その衝撃で頭を角にぶつけた。
小さく悲鳴を上げる。ぶつけた頭を両手で押さえる。
何かが顔をつたる。右手で拭うとそこには血があった。
「あ……」
必死に拭っても止めどなく血が流れる。
「ほら、やっぱり僕は人を殺す定め。真波さん、もう関わらないほうがいいですよ」
「だめ、待って」
もうそれ以上罪を背負わないで。
死んじゃだめ。殺すのもだめ。
生きて警察に行こう。
思いとは裏腹に玄関を開ける彼。
止めるために立ち上がるけれど、ふらついて床に倒れた。
手元にスマホがある。スピーカーにして、マイクを入れた。
「行っちゃった……」
「真波さん?洋馬はどこですか!?今、大丈夫ですか?」
「頭から血が出ちゃって……動けそうにないや……」
「血を!?救急車を呼びます。その場にいてください。できれば、頭を冷やして」
「ねぇ、里中君……、彼はどうしてあんなにも独りよがりなの……?」
「喋らないで!今は、救急車が来ることだけをまちましょう」
「答えて、里中君!どうして、彼は独りなの?」
いつか私と同じ決断をしている洋馬。
誰も頼らず自分で進路を決め続けた私。専門学校に通うことだって私自身が決めたことだ。
全部自分で決めてきた人にありがちな判断。それは、他者を頼らないということ。
決して一人ぼっちではないはずなのに、人に相談ができず、悩んで、苦しむ。
人と距離を置いて会話を断り目を逸らし続ける。
気がつけば、決めなければならない時期が来ていて怒られたりもする。
自業自得なのに、そういう人に限って人のせいにする。
私もそうだ。
専門学校に通うことは、自分で決めたことなのに人のせいにすることもある。
何もかも自分で決めたはずなのに自分以外の誰かを責める。
私が彼ほど落ちることがなかったのは、カウンセラーの存在だ。
専門学校にはカウンセラーがいて、悩みを聞いてくれたり、不満をぶつけたり、時にアドバイスをくれる。
自分が思っているほど自立していない私には必要な機関だった。
彼の学校には、なかったのだろうか。
彼が一人にならないために誰かついてやれなかったのだろうか。
「友達はいなかったの?部長のあなたは何をしていたの?クラスメイトは殺されるほどの恨みを買うようなことしていたの?」
「それは……」
「ねぇ、答えてよ、里中君!」
怒鳴ってしまって、意識が朦朧とする。
助けてもらわないと死んでしまうというのに、なんて馬鹿なことをしてしまったのだろう。
スマホを持つ力もない。床に落としてしまう。
もう目を開けている力もない。
死んじゃうのかな……。
洋馬君、ダメだよ。あなたにはいたはずでしょ?よく一緒にスタバに来てくれてたあの男の子。
相談くらい乗ってくれると思う。
だから、これ以上独りよがりに走っていかないで。
何かを残すこともできないまま、私は瞳を閉じた。