「兄上。俺ね、前世の記憶があるんだよ」
「……あ?」

 夕食の時である。
 野菜をさけて肉だけもぐもぐする俺は、ふと思い出して兄上に前世の件を教えてあげた。ガラの悪い声を発した兄上は、ぽかんとしている。けれども、すぐに険しい顔を作り、「ところで」と露骨に話題を逸らしてくる。

「屋敷を抜け出したそうじゃないか。どういうつもりだ」
「ねぇ。前世の記憶あるんだよ、すごくない?」
「あまりオリビアに迷惑をかけるんじゃない」

 話聞かねぇな、この兄。

 俺の打ち明け話をまるっと無視する兄上は、淡々と説教を始める。こうなれば、俺だって兄上の説教を無視してやる。

「前世では俺、たくさん働いていたのかもしれない」

 いや、社会人なのか学生なのか不明だが。しかし、公園でひとり寂しくブランコをこいでいたくらいだ。きっと苦労していたのだろう。しんみりする俺をよそに、兄上の小言は続く。

 いわく、オリビアに迷惑をかけるな。余計なことをするな。勉強しろ。

 注文が多過ぎると思う。あと毎度のことだが、いつもと内容が一緒で聞き飽きた。よくもまあ面白くもない話を毎日繰り返すことができるものだな。いっそ感心する。

 肉がなくなった皿を前にして、フォークを咥える。残りは野菜のみ。これは美味しくないから食べない。料理長には野菜抜きにしろと毎日言い聞かせているのに、一向に改善する気配がない。

 前方に座る兄上の皿には、まだ肉が残っている。

「まったく。少しは落ち着いたらどうなんだ。あ、こら!」

 ぼんやりしている兄上の皿から肉を奪い取って口に放り込む。もぐもぐ咀嚼する俺を、兄上がすごい目で凝視してくる。

「行儀が悪い!」

 どっちかっていうと食事中に大声を出す兄上の方がダメだと思う。親切心から指摘してあげれば、兄上は余計に眉を吊り上げる。

「そんな怒らなくても。お詫びにこれあげる」

 残っていた野菜を差し出すが、兄上の眉は元に戻らない。おかしい。大人は野菜が好きなはずである。もしかして俺の兄、まだ大人じゃない?

「おまえが嫌いなだけだろ!」
「兄上。好き嫌いはよくないよ。大人になれないよ」
「うるさい!」

 フォークを置いて、素早く逃げる。肉がなくなった以上、もはやテーブルについておく意味はなかった。

 怒鳴り声をあげる兄上に背を向けて、急いで自室に駆け込んだ。

「猫!」
『またなにかやらかしたな』

 床で丸くなっていたユナを抱き上げて、ベッドにダイブする。そのままムギュッと猫を抱きしめれば、『く、苦しいぃ』と呻き声が聞こえてきたため慌てて力を緩めた。

「猫! 兄上に勝ったぞ!」
『なんの勝負だよ。どうせくだらないことでしょ』
「兄上の肉を奪ってやった」
『くだらねぇ』

 ふわぁっと欠伸する猫をぺしぺし叩いて抗議する。『やめてよ』とふにゃふにゃ言う猫に布団をかけて、包み込む。

『なにこれ。いじめ?』
「眠いんだろ? 布団貸してあげる」
『ど、どうも?』

 なぜか疑問系の猫をベッドに残して、俺は部屋をうろうろする。オリビアは不在だが、侍従の若い男がいる。

 清潔感のある短髪に、キリッとした眉。黒髪黒目という日本人っぽい容貌がなんとなく落ち着く雰囲気を漂わせる若い男だ。名前はケイリー。確か歳は十八だったような気がする。オリビアと同い年だ。

「ケイリー」
「はい。なんでしょうか、テオ様」

 落ち着き払った声音と、柔らかい微笑。完璧執事っぽい見た目のケイリーは、最近俺の侍従になったばかりだ。初めこそ、お目付役が増えるのはごめんだとお断りしたのだが、ケイリーは物静かであった。オリビアみたいに口うるさくない。これならそばに置いてやってもいいと妥協した俺は偉い。ものすごく。

「網がほしい。虫取り網みたいなやつ。こうやって棒が付いてて高いところのやつをガバって感じで捕まえられるやつ」

 前世の知識をぼんやり思い浮かべながら問い掛ければ、ケイリーはにこりと笑う。虫取り網くらいはありそうとの期待を持っていた俺は安心する。どうやら通じたらしい。

「承知いたしました。明日の朝までにはご用意しておきます」
「うん」

 本当は今すぐにでも持ってきて欲しいのだが、ケイリーは動かない。今から俺に虫取り網を渡して、夜更かしでもされたら大変とか考えているのだろう。ケイリーは、口うるさくはないが仕事のできる男である。こんなふうに、しれっと俺のことを誘導してしまう。文句を言ってもいいのだが、彼はきっと困ったように苦笑するだけで改めはしないだろう。なんかそんな感じの男なのだ。こいつは。オリビアとは違う意味で厄介だ。

 風呂も済ませて寝巻きに着替えた俺は、うんうん唸りながら部屋をうろうろしていた。

 先程、俺が猫を包んでぐちゃぐちゃにしたベッドを、手際よく整えるケイリー。なにも言わないが、はよ寝ろとの圧を感じる。

 就寝準備はバッチリだ。猫を端っこに押しやって、ベッドに転がり込む。

「寝るぞ、猫」
『はいはい』
「静かにしろ!」
『なにこの理不尽』

 文句ばっかりの猫を抱き枕にしてやる。『暑苦しいんだけど』と地味に暴れる猫を押さえて、目を閉じる。

「おやすみ、ケイリー」
「おやすみなさいませ」

 静かに出て行くケイリーを見送って、猫を撫でる。頭の中では、これからやるべきことを色々と考えていた。

 でっかい魔獣をペットにしたい。どうしても。

 そのためには、オリビアが邪魔である。たとえオリビアが側を離れていても、あの使い魔であるちっこい鳥がいる。

 あのちっこい鳥を、早急にどうにかしなければならなかった。