1年4組副担任の跡見ミナカ(アトミミナカ)は靴音を鳴らし音楽室に向かっている
音楽室の扉を開くと、南火花(ミナミヒバナ)がギターを弾いていた
ミナカは拳でコツコツと黒板を叩く
数秒の間の後、火花はゆっくり顔を上げる

「ちゃんと課題はやったの」

火花はピーンと背筋を伸ばし、慌ててギターを壁に立て掛ける。そして、机の上に置いてある紙の束をミナカに渡す
ミナカは紙の束を受け取り、パラパラとめくる

「どうやらやっているようね」

火花は大げさに首を縦に振る
ミナカはたどたどしい手話をする

「じゃあ今日は帰りましょう」

火花は慣れたように手話を返す

「分かりました」

火花は帰る準備を始めた
火花は耳が聞こえないため、教室を授業で受けることはない
登校すると普通教科の課題が手渡され、放課後までに取り組み提出をする。翌日、採点されたものが返却され、添えられた解説文を元に復習をする。そして、今日一日分の課題に取り組むのだ
通例であれば養護学校に通学するはずだ
しかし、両親の仕事の都合で、養護学校より通いやすい高校をとこの学校に通うようになった
火花はギターケースを背負い、肩にリュックを掛ける
また2人は手話で会話をする

「昇降口へ行きましょう」
「はい」

廊下を歩く途中、火花は窓の外に八子を見つける
火花は声を出そうとするが止める
耳が聴こえないとどうしても素っ頓狂な声になる
彼女にとってそれがコンプレックスであり、声を出すのが億劫になっていた



昇降口に着くと、白髪の男性が待っていた
ジャック・シモーネは火花に手を振る
彼は火花の両親が勤める会社の研究員だ
フランスのとある企業の跡取り息子であったが、両親が死亡し、南家に引き取られた
会社の買収があった矢先の事故であり、まこと南家には黒い噂が絶えない

「ではまた明日もよろしくお願いします」
「ありがとうございます」

火花とシモーネはすぐ傍に停められたスカイラインに乗り込む
赤い艶のあるボディに傷一つなく、まるで新車同様のようだ
車は優しく走り出し、潮風の香る国道10号線へ走り出した



車内、火花はチョーカーを付ける
ジャックも同じ物を身に着けている

「入学して初めての授業はどうでしたか」

火花は頭の中で言葉を紡ぐ

「どうってことはないわ
 私一人だから」
「お友達が出来るといいですね」
「そうね」

火花の頭の中には特殊なチップが埋め込まれている
チョーカーから拾った音を脳内に伝えているのだ
チョーカーを付けている人同士、通信を行うこともできる
心の中が透けて見えてしまうというデメリットはあるものの、健常者と変わらず、音を感じ伝えることができるのだ
これも両親の研究の賜物だ

「ねぇ私カスタードプディングが食べたいの」
「分かりました
 食後に用意しましょう」
「食前に用意して」
「それが今日の夕飯は麻婆豆腐なのです」
「関係ないわ
 辛さが引き立つじゃない」
「ごもっともです」
「もちろんサクランボと生クリームもね
 天井まで届くくらいのモコモコ雲」
「分かりました」

車は赤信号で停まる
ジャックはスマホを操作しシェフに伝える
「今日の娘様は上機嫌」と



八子と響は部活の見学が終わり帰路に就く
結局、耳の聴こえない少女とは会うことはできず
軽音楽部の部員は首を横に振り、彼女を知らないと言った
二人は鬼瀬駅からタクシーに乗る

「キョウは将来の事考えている」
「会社員じゃない」
「そっか」
「世間体的には軽音楽部でプロ目指しています
 ってことにしておこうかな」
「もし私がプロを目指していると言ったら」
「上書きします
 本当の夢としてプロを目指します」
「まぁプロになるなんて気さらさらにないんだけどね」
「な~んだ」

車は駅を南下し山あいを走る
ぽつりぽつりと対向車とすれ違う

「ハチコもどうせ会社員なんだろう」
「母親のことがあるから
 ずっとこの町にいると思う」

響は八子の手を握る

「私と逃げればいいじゃん」

八子の鼓動が早くなる
いくら女といえども男と引けを取らない体格で真面目に言われれば、王子様の誘いだ
響は八子の赤面した顔を見て、手を離しキャッキャと体を揺らす

「ねぇ今凄い恋愛ドラマみたいだよね」
「バカ」

響は八子にぐいぐい身を寄せる

「でもハチコとなら、一緒に住んでもいいかな」
「ルームシェア」
「同棲だね」

八子は頭を抱える

「もぉすぐに変なこと言う」

八子は響の肩を叩く

「私はね
 人は簡単に変われると思うんだよ」
「うん」
「1日1個新しいことを始めればいい
 例えば、明日の朝からコンビニで駄菓子を買うとか
 明後日からは教科書を置いて帰らないとか」
「うん」
「そしたら1年後は去年の自分とは違う人になっているじゃん」
「そうだね」

タクシーは休憩施設の前で停まる
響は車を降りる

「じゃあ」
「また」

響はタクシーが見えなくなるまで手を振った
八子は自分の家が見える頃になって、響に励まされたと気付いた



タクシーは八子の家の前に着く
八子は玄関ドアを開く
母親は今日も変わらず、リビングでテレビを見ている

「ただいま」
「おかえりなさい」
「お母さん明日から部活で遅くなる」
「何部に入部するの?」
「軽音楽部」
「ギター好きだものね」
「あと、部費、銀行から降ろしていい」
「いいわよ
 払う前に明細をちょうだい」
「わかった」

八子は慌しく階段を駆け上がり、自室に荷物を置き、階下へ戻った
洗面所に立ち手洗いを済ませると、夕飯の支度を始めた
夕飯はレトルトカレーにコンビニで買ったフライドチキンを添えた
八子は明日以降、夕食をどうすべきか悩むのであった