少女は駅から高校へ向けて歩く
駅からすぐの所に少女が通う高校と別の県立高校がある
一週間後に入学式があるせいか、騒がしいが五月蠅いほどではなかった
正門前のグラウンドでは、野球部がランニングをしている
フェンスに括りつけられた「新入部員募集」の看板が風ではためいている
少女は看板をちらりと見る

「部活か…」

少女は軽音楽部に入部するつもりであった
バンドをやりたい熱い気持ちはなくただ高校生らしい自分を演出するために入部を希望していた
少女にとってバンドを組むのは初めてである
しかし、ギターの演奏の実力は折り紙付きであった
中学入学と同時に始めたギターはめきめきと実力をつけ、卒業間近には小さなカフェで見知らぬ誰かとセッションをするようになった
高校3年間、波風を立てずバンド活動を続ければ、自然と友達が出来るだろう
この退屈した日常も少しは色彩を取り戻すに違いない
少女はにわかに確信していた



他校の正門を通り過ぎると人通りは少なくなり、住宅地を蛇行するように歩く
しばらくすると大学が見える
正門は大学と共有であり、縦並びに配置されたプレートは、「大分県立音楽大学」と「上野ヶ丘音楽高等学校」とある
少女は敷地内に足を踏み入れる
大学の中にポツンとある高校は、まるでミニチュアセットだ
昇降口で靴を履き替えると、遠くから微かに楽器の音が聴こえる
少女は入学式の為に敷かれた赤い絨毯の上を歩き教室へ向かった
ここまでで午前7時を過ぎる。始業開始の8時20分までかなりの余裕がある
少女は教室で吹奏楽部の奏でる未完成な音をBGMに静かに時間が過ぎるのを待った



入学式は大学のホールで行われた
学生オーケストラがエドワード・エルガーの「序奏とアレグロ」を演奏する
新入生は1クラスずつ入場し、座席の前に立ったら後ろを向き一礼し、着席する
体育館で軽く行進の練習をしたかいもあって、新入生は列を乱すことなく、綺麗に等間隔で階段を降りる
少女は3組だ
1クラス30名以下の為、すぐに少女たちのクラスの番になった
3年生が2人、扉を開く
まるで異国の地に来たかのような黄金の世界は少女の目を輝かさせた
両親が来ていないからか、1ミリも緊張せず、リラックスとした顔で前を歩く
少女が席に座り、十数分後、最後の4組が着席する
入場を終えても、演奏は続く
最後の一音、指揮者は指揮棒を振り下ろし、ポンと音が鳴る
司会は待っていましたというようにすぐに声を出す

「ただいまより第68期入学式を始めます」

指揮者は指揮台を降りて、新入生に優しく微笑みかける
演奏者も立ち上がり、真っ直ぐに前を見る

「一同、起立・・・礼」

少女は割れるばかりの拍手を背中に浴び、にわかに緊張し始めた



入学式は滞りなく進行する
音楽系の高校とあって、パフォーマンスは多い
吹奏楽部、合唱部、軽音楽部に、昭和歌謡曲愛好会――
終いには実技科目成績上位者による合唱が行われる

「それではお待たせ致しました
 軽音楽部による歓迎演奏です」

七人の生徒がぞろぞろとステージに上る
四人組ロックバンドにキーボード、トランペット、サックス、バスフルートが加わる編成だ
各々、チューニングを始める
いまいちぱっとしない組み合わせだなと八子は内心思う
チューニングを終えると、小柄でリスのように眼光の鋭い女子生徒が出てくる
瞬間、会場内にいる誰もが、空気の変化を感じた
圧倒的存在感、リーダーとして無言の説得力があった
諫早奏(イサハヤカナデ)は冷たい声を出す

「-1(マイナー・ファースト)です
 バンドメンバー紹介します
 ドラム、五十嵐リッサ(イガラシリッサ)」

五十嵐リッサは4拍子のリズムを刻む

「ベース、斎藤蓮児(サイトウレンジ)」

斎藤蓮児はベシベシと低音を奏でる

「キーボード、田中美音(タナカミオ)」

田中美音はポロロンと軽やかな音を鳴らす

「トランペット、児玉星(コダマホシ)
 サックス、金松遊学(カナマツユウガ)
 バスフルート、日勤(ヒツトム)」

3人は踊るように音を転がす

「ギター・ボーカル、日比谷双馬(ヒビヤソウマ)」

日比谷双馬はクラシックな雰囲気を一気にロックへ変える

「私、同じくギター・ボーカル、諫早奏(いさはやかなで)です」

7人はアイコンタクトを取り、一度、音を区切る
奏はギターを肩に掛け、遅れてチューニングを始める
静寂が緊張感に変わる
リッサはタイミングを見図りスティックを鳴らす
一曲目はベースとドラムから始まる
奏は静かにAメロを歌い上げる
サビ手前、怒りが沸点に達したかのように奏はシャウトを響かせる
サビは大団円だ
キーボード以外の楽器が音を鳴らし、客席の高揚感は最高潮に達する
ここで生徒達は立ち上がり、曲に身を任せ揺れる
Cメロでキーボードが加わるとがらっとメロディーが変わり、アウトロで再び、盛り上がりに達する
8人は視線を合わせると、強烈な一音を鳴らす
1曲目の余韻も作らず、2曲目が始まる
リッサはツーバスを惹き立てる様にさらに激しく両足を動かす
八子は先輩達の演奏をまるで足し算のようだと思う
縦ノリを重視するロックで音の横の広がりを意識するのは特徴的である
心地の良いグルーヴ感のある演奏が楽器本来の音を引き摺り出す
まるで音の粒が宝石のように輝くようだ
客席はしばらくのあいだ式典の雰囲気にないような酔狂にまみれた
₋1は3曲を終えると袖に戻る
続いて現れた昭和歌謡曲愛好会が消火器の役割を果たし、厳かに式は続けられた



約2時間半、待ちかねた退場の時間になる

「これにて、第68回入学式を閉会します
 一同起立・・・礼
 新入生退場」

再び、学生オーケストラの演奏が始まる
退場曲はヨハネス・ブラームスの「悲劇的序曲」
新入生はほとほとに疲れた顔で階段を上がっていく



入学式を終えると、午後1時を過ぎた
新入生は保護者と合流し、写真を撮りに行く
少女は周囲を気にせず、机の上に弁当箱を広げる
すると、楽器ケースを背負った少女が声を掛ける

「北谷さんだっけ」
「そう」

鬼怒川しほり(キヌガワシホリ)は机を指差す

「そこ空いてる」
「うん」

しほりは机の向きを変え椅子に座る
リュックサックから弁当箱を取り出し机の上に広げる
2段重ねの1段目は豚骨スープとなっており、2段目に中華麺がぎっしりと詰め込まれている
北谷八子(きたたにようこ)は唖然とした顔で弁当箱を見る

「凄いねその弁当」
「家がラーメン屋だから
 お弁当はいつも豚骨ラーメン」
「普通、から揚げとか卵焼きとかだよね」
「鳴子、今日は丼ものは付けてないなぁ
 授業が長いと量多くしてるんだけどね」

しほりは中華麺をスープに入れ、手早く搔き混ぜる

「うーんいい香り」

しほりは麵をすする

「うんまい」

しほりは箸を止め八子を見る

「そういえば部活何にするか決めた?」
「軽音楽部」
「そっか吹奏楽部じゃないんだ」
「残念だった」
「いいや
 うちは春休みから練習始めているから、今からだと孤島だよ
 初心者の子達なんて委縮して先輩の荷物持ち始めてるもん」
「大変だね」

しほりはにやりと笑う

「軽音楽部も中々にやるね」

八子の耳を強烈なバス・ドラムの音がツンと刺激する

「8人制メタル・ジャズバンド・-1
 今日はメタル一色だったけど」
「ツーバスの」

ドラマーの足元にある大きな太鼓をバス・ドラムという
バス・ドラムが2個付いている状態がダブル・ベース・ドラム、通称・ツーバスである

「やっぱドラムに注目するよね
 正確なリズムキープに音量調整
 どちらかというと打楽器奏者だね」
「しほりは誰が一番良かった?」
「キーボードかな
 さりげなくクラシックの曲を入れている
 相当ピアノ弾けるよ」
「私ピアノてんで駄目だから気付かなかった」
「受験で練習していたから気付いただけだよ」

八子の脳内に苦い記憶が蘇る
受験の実技試験の一つにピアノ演奏があった
課題曲のショパン作曲「子犬のワルツ」10点満点中4点
素人が半年間の練習で得たものとしては上出来であった
しかし、八子にとっては、屈辱的な思い出である

「そうだライン交換しよ」

しほりはスマホを取り出し操作する
八子としほりはラインを交換する

「私サックス吹いているから
 サポートで必要だったら呼んでね」
「考えておく」
「そういえば来週の土曜日って暇?」
「特に予定ないけど」
「じゃあさ北九州のイオン行かない?」
「でも遠くない?
 往復で1万は掛かるでしょ」
「事務に申請すれば電車賃学割効くっしょ」
「そうなんだ
 まぁ考えておく」
「よろしくね」

八子としほりは弁当を食べ終えると別れた
しほりはもうすでに大会のメンバーに選ばれているらしく、毎日部活で3時間以上練習をしているようだ
束の間の休息を初対面の八子と過ごすとは意外であり、食事が二人を近づけたのかもしれない