俊はバスを降りて集合住宅地を歩く
同じ形の家が何軒もあるが家族の形は様々で、バスの乗客達はそれぞれの居場所へ戻る
俊が家の前に着くと、目の前にクラシックカーが停められていた
兄貴の車だ
収入に反した趣味は呆れるが、洋画に出て来るような車は良いなと思う

「ただいま」

玄関扉を開くと、鍋が煮える音と海鮮の匂いが伝わって来る

「あら俊お帰りなさい」
「母さんこの時期に鍋」
「福井のおばさんが蟹送ってくれたの」
「よぉ俊元気か」
「元気だよ兄貴」

兄の敏(トシ)は酔っているらしく顔を真っ赤にしている
俊は机の上にコンビニの袋を置く

「デザート買って来てくれたのか
 えぇ」

敏は構わず袋を漁り、シュークリームを取り出す

「あげるかよ」
「8個入なら皆で分けられるよな」

そう言われると断れない

「あぁ食べて」

敏は壺から泡盛をグラスに注ぐ

「今日は良い日だ」
「明日オフなの」
「朝の5時から練習」

敏の所属するチームは宮崎県に拠点を構えている
誰が送り届けるのかと思ったら、廊下の奥からSatoshiが出て来る
御手洗いから出て来たのだろう

「よぉ久し振り」
「先生」
「今日は運転代行頼まれちまった」
「兄貴が迷惑掛けてすいません」
「いいってことよ」

Satoshiは万札を2枚ひらつかせる
全く兄貴の金の使い方といったら

「せっかくですし泡盛持って帰ったら
 余り物で申し訳ないですが」
「いいんですか」

母親は壺に蓋をする
敏は母親の手を掴む

「だめだぁこれは俺のだぁ」
「なにがお土産なのかしら」

大体、兄貴はいつもそうだ
お土産として持って来た酒を一口呑むと続けて吞んでしまう
俊は手洗いをして席に座ると早速鍋を突っついた
天草家の鍋は変わっていてスパムが入っている
俊はスパムを一切れ食べる

「おいおい蟹より先にスパムかよ」
「どれを先に食べたって胃の中じゃ同じだろう」
「ったく可愛げのない弟に育っちまった」

母親はご飯ののった茶碗を俊の前に置く
Satoshiは俊に感心した目を向ける

「俊は相変わらずサッカー続けているようだな」
「はい
 大学は兄と同じところに行ってサッカー部に所属します」
「そうか」
「兄想いの良い弟だよな」
「違うよ
 学費が安くなるから」
「はっはっ
 家族想いの良い息子じゃないか」
「父さん・・・」
「それで大学に進学したら」
「地域サッカーリーグのトライアウトを受けます
 東北の」

日本のサッカーリーグの頂点がJ1だとしたら下から2番目が地域サッカーリーグである

「東北?
 それは随分遠いな」
「面白い選手が多いんで」
「そっか
 いつかは兄さんと戦えるといいな」
「そうですね」

地域サッカーリーグからJ3以上の選手になるのは滅多にない
俊は兄と戦うのは想像つかなかった
母親は思い出したと大きな声を出す

「そうそうー1はインディーズ・デビューなんだって」
「これも先生のお陰です」
「俺はなにもしていねぇよ」
「一年前の部のライブで
 打ち上げ呼んでくれたじゃないですか」
「そんなこともあったな」

軽音楽部のホール公演は福岡県小倉市内のホールで行われる
去年のライブでは、同じ日に、隣の福岡市内でとあるバンドのライブが行われた
先生はサポートで参加していたのだが、バンドメンバーを連れて、楽屋を訪れてくれたのだ
お互いのライブが終わった後に落ちあい、打ち上げに参加させていただいたのだ

「そういやあいつらも下北沢レコードと契約していたな」
「そうです
 スタッフの方がコネクションを持っていて
 もし、プロになりたいなら話を通してくれるって」
「そっか
 よく頑張ったな」

居酒屋でバンドのマネージャーから名刺を手渡された

「今日のライブ凄かったわ」
「えっ観てたんですか」
「私はステージに立つわけじゃないですし
 開場までにはいればいいので」
「そうなんですか」

奏は嬉しそうに言う

「それで私達ってデビュー出来ますか」
「うーんそうね
 まずはインディーズってところかしら
 見極める時間が欲しいから」
「インディーズってなんだ」

蓮児の突っ込みに2人はずごっと前に倒れる

「そこから」
「大抵のバンドはインディーズからメジャーに段階踏むわけさ」
「なるほど」
「私の知っているところだといくつかあるけど
 そうね
 下北沢レコードってところがいいかしら」

マネージャーは話をしておくからと言った
今すぐにもデモを送りたい気持であったが、奏は冷静で年内の活動を経てからと方針を決めた
あの夜は眠れなかった
打ち上げが終わった後、円先生がビジネス・ホテルを予約してくれて、1泊して帰ることになった
興奮冷めやらぬと3人はチェック・インの後外へ飛び出して、レンタサイクルで走っていた
行き先も決めずに

「ねえどこまで走るの」
「東京」
「えっ」
「東京!!!」
「なら下北沢まで行ってライブして帰るか」
「楽器ホテルにあるのに」
「借りればいいだろう」

3人は繁華街からはずれの港まで走り自転車を停める
対岸には博多ポートタワーが煌々と輝いてる

「今の俺達ならライブハウスだって武道館だってアリーナだって埋められる
 この先ずっと俺達が先頭を走り続ける
 黒紅梅が最高のロックン・ロールだって言わせて見せる」

俊は右腕を上げ人差し指を立てる
奏と蓮も続いて右腕を上げ人差し指を立てる

「「「俺達がナンバーワン」」」



鍋にシメのうどんが投下される頃、敏はSatoshiに連れてかれて寮へ帰った
俊は食事を終え部屋に戻る
バケツとユニフォームを持って階下に降りる
水を汲んだバケツに洗剤を落としユニフォームを浸す
手で水を掻くとピリッとした痛みが伝わる
ユニフォームをつけ置きにして部屋に戻る
今日はどうも疲れた
午後9時、俊はベッドに倒れるようにして眠る
母親は風呂に入らずにとやれやれとした顔で部屋の電気を消す