話は奏が中学3年生の頃に遡る
夏休みを利用しての家族旅行。今年の行き先は北海道の札幌であった
ホテルの地下駐車場。レンタカーを前にして、奏は両親と話す

「夜になったら帰るから」
「せっかくの家族旅行なのに」
「いいじゃん新婚旅行みたいで」
「奏がいるから家族旅行なんだ」
「「まったく子供がいないと休む暇もない」と言ったのはお父さんでしょ」

母親は父親を厳しい目で見る

「お父さん言ったの」

父親は気まずそうに言う

「確かに言った」
「ちょっとあなたが余計な事言うから」
「別にここも田舎だし
 一人で出歩いていてもなにも危険じゃないでしょ」
「だがな――」

奏は両親の声を聞かずそくさくとエレベーターに向かう
父親は肩を落とし母親を見る

「とりあえず2人で周ろうか」

母親はため息をつき、静かに頷く



それから奏は札幌駅に向かい、途中、音楽フェスの会場行のバスに乗った
奏はもう家族旅行を素直に楽しむ年ではない
ホテルに泊まれば同じベッドの上で寝る
それが当たり前だと思う両親にはうんざりしていた
夜更かしを許さない旅行に羽を伸ばす目的でフェスのチケットを手に入れたのだ
もちろん、チケットは両親のクレジットカードを無断で使用した
バスが会場に到着し、奏は小走りで入場ゲートをくぐる
会場には大小合わせて5つのステージがある
目当てのステージは奥にあり、人混みの中では迷いそうだ
すぐ目の前のステージではアキノヨナガというバンドがパフォーマンスをしている
スクリーンには奏とそう変わらぬ年齢の少女が映っている
音楽はチル・アウト・ミュージックで、奏が好きなイギリスのハード・ロックからは遠く離れている
耳には入るが興味がないと通り過ぎようとしたとき、足が止まった
確かに彼女達の曲は起伏がなく、サビも単調だ
しかし、歌詞の中には小さな怒りの粒が込められており、心が抉られる
悲しい曲で泣きたくなるのは当たり前
別に悲しくもない曲で泣きたくなるのはボーカルの持つ才能だ
奏は群衆の中の僅かな隙間に身をねじ込み、曲を聴いた
頬を伝う涙が冷たいと知ったのはこの時であった



札幌旅行からほどなくして10月
奏は受験会場で面接を受ける
面接官は奏に問い掛ける

「あなたの尊敬している音楽家は誰ですか?」
「東雲鶴美さんです」
「理由は?」
「曲を聴けば分かります」



奏は今も鶴美を尊敬している
それはきっとこれからも変わらないだろう