***アシュトンの視点***
叔父はクローディア様の護衛騎士だった。そして当時私は見習い騎士として、オレーリア様の傍で従者の真似事をしていた。
あの頃は、宮廷内も穏やかで明るかった。側室のエリザベート様が王子たちの教育に熱心で、離宮からでなかったからでもあったのだと思う。
オレーリア様は幼い頃から魔法の才能があり、青い蝶を再現しては私に見せてくれた。愛らしくて、心優しいオレーリア様が大好きで、この方に剣も心臓も捧げると心に誓った。
結婚式ごっこで私を選んでくれたことも嬉しかった。まあライバルとは彼女の抱き枕の黒猫なのだが……。
僅差で私が勝ったらしい。お転婆で好きなことに夢中になると本人が納得いくまで調べ続けた。しかも八歳でさまざまな言語を理解して、いかなる文字も読み解ける天才だった。彼女の能力の高さが悪用されることを叔父とクローディア様は懸念していた。
「いずれこの子の能力に気づいた者が悪用しないように、アシュトン、どうかこの子を導いてあげてくださいね」
「はい。私の全身全霊をかけても、オレーリア様をお守りします」
そうクローディア様と叔父の前で、誓ったのだ。誓ったのに……っ。
クローディア様が病死して、叔父が後ろ盾になろうとした矢先に事故死。オレーリア様の傍にいるために侯爵家の力を使っても、全ての悪意から守ることはできないどころか、敵は的確に私の弱みを握り契約を持ちかけてきた。
オレーリア様に危害を加えないこと。婚約者として傍にいること、亡きクローディア様の形見を正当な所有者に返却することを条件に《隷属契約》を選んだ。
それすら現王妃の罠だったと知ったのは、しばらくした後だった。オレーリア様は私のことを覚えておらず、騎士として出会ったと思い込んでいた。
度重なる不幸に耐えきれず、記憶を消したのだろう。私のことを忘れてしまったのは悲しかったけれど、オレーリア様の生活を守ることだけに尽力した。しかし狡猾な王妃の策略に、何度もオレーリア様に悲しい顔をさせて──私は騎士失格だった。何度、叔父とクローディア様の墓標の前で謝罪の言葉を口にしただろう。私には貴女に笑いかける資格などないのに、諦めきれずに貴女を思い続けてしまった。
「オレーリア様……っ、」
私がオレーリア様を思えば思うほど現王妃が酷いことを考えて、彼女の心を抉る。本当はもっと傍で貴女を存分に甘やかしたかった。
もっと笑って、怯えも苦しみも悲しみも取り払った場所に……貴女を魔法塔に連れ出したいと言ったら、受け入れてくれるだろうか?
あそこならオレーリア様の能力を生かしつつ、庇護下に入ることだってできる。推薦状を用意して、あと私にできることはあるだろうか。
あの方が笑えるような居場所を、私が用意できれば……あの方の逃げ道だけ。
愛している、と告げることも許されない。
脆弱で、愚かな私とは違って、オレーリア様が自分の口から魔法塔に行くと行った時、嬉しくてなんと言葉を返せば良いのか分からなくなった。「私も一緒について行きたい」とは口が裂けても言えなかった、言えるはずもない。今まで散々、オレーリア様を傷つけた私を貴女は許さないだろう。当然だ。許されるわけがない。けれど、あの方の物を返させてもらう。
***
まだ日はでているのに、王城内は闇の帷が降りたように薄暗い。澱んだ空気が充満しているようだ。別空間、いや結界の中か。発生源はおそらく……。
「お前の探し物はこれか?」
美しく煌めく空を閉じ込めたようなネックレスを見て、全身がカッとなった。それはあの方が持つに相応しい物。
「……出たな。魔術師」
闇の中から姿を見せたのは、床に付くほど長いローブを纏った男だった。影のある顔にはありありと敵意が向けられる。この男がクローディア様と叔父を呪い殺した元凶であり、王妃の剣であり盾。私に結んだ《隷属契約》もこの男の発案だったのだろう。
「契約解除おめでとう。最高に良い舞台だったよ。私の求愛を拒んだクローディアも、その騎士も、娘も不幸になる。騎士として守るはずだったお前が、あの娘を苦しめて最高だった」
「その茶番も今日までだ。契約通り、そのネックレスを返してもらおう」
「そうだな。約束通り、お前に返そう」
適当に放り投げたネックレスは弧を描き地面に落ちる。その前に両手でネックレスを受け取った。ああ、ようやくクローディア様の形見を、オレーリア様にお返しできる。
受け取った瞬間、床に数十の魔法陣が展開。
逃げる暇も、防御も間に合わず──爆音は轟いた。土煙と壁が崩れ落ちる音の中で、魔術師の高笑いが耳に届く。
「バカが! 罠に決まっているだろう! これだから脳筋の騎士は! 魔術師は術式を組み替え紡ぐ芸術品。特に人を傷つけて、壊すことこそ究極の美!」
「────っ」
「殺しはしないさ、《隷属契約》が切れた後は、お前に惚れ薬を飲ませる計画だからな!」
ポタポタと絨毯を血で汚すが、手にしていたネックレスが本物であるのを確認して、ホッとした。最初から一撃はくらうつもりだったが、思いのほか反射魔法防御が間に合ったようだ。
なるほど。一度契約を切ったのは、惚れ薬でオレーリア様への思いを上書きする気だったのか。
「くだらない」
「なっ……バカな」
魔術と魔法の違いは、体内に魔力器官があるか、ないか。内側から魔力を練り上げて解き放つ威力は、魔術の数倍。
魔法は生まれた時から神々から贈られるギフトの一つ。だからこそ魔法塔は、魔法使いを保護するため、その力の使い道を導くために設立した。
「ところで……。今のが、全力か?」
「なっ……ありえない……。直撃して五体満足でいるはずがない……」
「ああ、そういえば私の力をあまり王都では見せていなかったな。情報規制を徹底しておいて良かった」
今までは補助魔法の《肉体強化》ばかりを使っていた。それは騎士としてであって、全力ではない。魔法騎士としての力を使うのは、あの方のためだけ──。
「騎士の誓い」
だから、ようやく使うことができる。あの方のために鍛え上げた魔法武装。
背に生じる漆黒の光が三対六翼の形となって、顕現する。盾であり刃となる攻防一体型でもあり、あの方をお守りしつつ活路を見出すために代々受け継がれた魔法の一つ。
「な、なんだ、そのバカみたいな魔力の塊は! ふざけるな!! 獣よ、我の敵を食い殺せ! 漆黒の獣たち」
後ろから襲いかかってきた四足獣を素早く感知して、羽根が槍となって獣を貫く。数が増えようと、一定の距離に入った瞬間──獣は貫かれ床に転がり落ちる。
「後ろからとは本当に屑だな」
「うるさい、勝てばいいんだよ。卑怯な手を使ってクローディアも、その騎士も殺したんだ!」
本当は剣で倒したほうが手っ取り早いけれど、大事なネックレスが傷つかないように両手で包み込むほうが大事だ。正面から勝てなかったから策を弄したのは、戦術的に正しい。ただそれだけだ。
死ぬ瞬間まで、後悔させてやる。
「まずは足だな」
そう呟いた瞬間、羽根の一つが矢の如く飛び出し、魔術師の左足を貫き、床に縫い留めた。
「ヒッ、ぎゃあああああ!」と喚き声まで聞くに堪えない。あの方の痛みはもっと、苦しみはそんなものではなかった。
次々と襲いかかる四足獣を肩翼の刃が貫く。
間合に入った段階で死角からだろうと獣を感知して一撃で屠る。
獣の死体が三十を超えたところで、魔術師の顔色が土色に変わっていく。
「わ、私の結界であり、私の世界なのになぜ!?」
「お前のチープな結界の中に私の特殊結界を張っているのだが、ああ、それすら気づかなかったのか」
「なっ、魔法塔の人間でもないお前が、そんな訳──っ、ああああああ! もうそんなことはどうでもいい! お前を殺す。命令と違うがお前さえ殺せば、そのネックレスは主人の元に戻らずに済むのだからな!! 暗き闇の王よ、我を贄に捧げて世界を滅ぼしたまえ──終焉!!」
ゴオオオオオオオオ!
闇が泥として具現化することで、この空間を泥で覆うつもりなのだろう。その泥も触れるもの全てを溶かしていく。
「お前も、あの娘も、不幸に!あはははっははは」
そう言って男は泥に呑まれた。術式による簡易召喚の劣化版か。これを結界の外に出すのはまずい。最後の最後まで非常に面倒な男だ。いやそれがわかっていたのに、できるだけ時間をかけて復讐しようとした私の慢心が招いたもの。
許せなかった。叔父を、クローディア様を害した者に苦痛と凄惨な死を与えるつもりだったのに……私はどこまでも、完遂できずに……。
『アシュトン様』
私の名を呼ぶ方の声が聞こえた気がした。完遂すべきことはまだ残っている。私はどうなろうともいい。けれどこの両手にあるクローディア様の形見だけは、オレーリア様に届けなければ……。
その一心で、魔法塔まで辿り着けた。
夕暮れの闇夜が迫る中。オレンジ色の夕焼けが美しくて、最後にオレーリア様の腕の中で逝くとは贅沢なことだと、自己満足してしまった。
本当に私は騎士失格だ。
***
オレーリア様をお守りできず……本当に……申し訳ありませんでした……。心からそう思って目を閉じた。この先、オレーリア様が前を向いて進むためにも、幼かった頃の楽しい記憶だけでも取り戻して差し上げたかった。
オレーリア様……。
ふと目が覚めると私は生きながらえているだけではなく、視界いっぱいにオレーリア様のご尊顔が!
「!?」
え、な、寝顔を見るのは久し振りだけれど、もの凄く可愛い。天使? いや女神がどうしてこんな超至近距離に!?
ハッ、まさか天国!? いや、オレーリア様は生きておられる!
いや待て。全く覚えがないけれど、私は今、オレーリア様を抱きしめている?
無意識に? こ、これは事故です。事故なのですが……肌の温もりや柔らかさが伝わって……。
「愛しています、オレーリア様」
思っていたことがスッと声に出た。今まで《隷属契約》のせいで言えなかった言葉がすんなり口から零れ──胸を熱くした。
「オレーリア様、好きです、愛しています。ああ、やっぱり、オレーリア様への思いを声に出せている。ずっと、貴女様に言いたかった。貴女と藤の花を見に行く約束も、誕生日に一緒にダンスをする約束も、市井でデートする約束も全部、覚えています。何一つ叶えられず、貴女の全てを取り戻せるように奮闘したのに、居場所を作ることすらできませんでした。……本当に申し訳ありません」
すうすう、と眠っている愛おしい人。
こんなに近くにいるのは、いつぶりだろう。睫毛も長くて、長い髪に触れたらサラサラして、愛おしくてたまらない。キスしたいが、さすがに寝込みを襲うなど恐れ多い。いや、この状況がすでに死罪にあたる。しかし死ぬ前に、オレーリア様を別のベッドで寝かせるべきだ。でないと私の理性が蒸発するまでそう長くは保たない。オレーリア様を抱き上げて……。
「むうっ……!」
「──っ!?」
起き上がってオレーリア様を抱き上げようとしたが、寝ぼけていたのか私に抱きついて離れない。なんですか、そのあざとさ! 可愛い。
どこで覚えたんです!!? ハッ、あれですか、黒猫のぬいぐるみを抱き枕にして眠っているのですね。わかりますよ、アレは私の生涯のライバルでしたから!
それともあの留学生──。
「アシュトン様……」
私!? 私を思って?
あの留学生でも、黒猫のぬいぐるみでもない!?
勝った! そう思うと口元が緩んでしまう。
ぎゅっと、抱きついてくる。良い香りがするし、想像以上に柔らかい。抱きしめ返しても? いや、しかし……。幸せ過ぎる悩みに、理性もすり切れ寸前だった。
「おいて……いかないで……」
「──っ」
そんな切ない声で言われたら、もう騎士の矜持などどうでもいい。オレーリア様を抱きしめて、「大丈夫、私は何処にも行きませんよ」から、「愛しています」とか「好き、可愛い」と愛も囁く。
さすがにキスは我慢したが。そんなことをしていればオレーリア様が目覚めないわけもなく……。目覚めたオレーリア様は声にならない声を上げて、目を白黒させていた。
「あ、アシュトン様が壊れてしまった?」
「オレーリア様、狼狽する姿も実に愛らしい。愛しています。愛おしくて言語化が難しい。……貴女に触れても良いでしょうか?」
「……すでに触れています……よ」
「では、口づけまでは許して頂けますか」
「くち……くちづけ!?」
野いちごのように顔を真っ赤にして、なんて愛くるしいのだろう。もう何も我慢しなくていいということが嬉しくて、口元が緩んだ。
叔父はクローディア様の護衛騎士だった。そして当時私は見習い騎士として、オレーリア様の傍で従者の真似事をしていた。
あの頃は、宮廷内も穏やかで明るかった。側室のエリザベート様が王子たちの教育に熱心で、離宮からでなかったからでもあったのだと思う。
オレーリア様は幼い頃から魔法の才能があり、青い蝶を再現しては私に見せてくれた。愛らしくて、心優しいオレーリア様が大好きで、この方に剣も心臓も捧げると心に誓った。
結婚式ごっこで私を選んでくれたことも嬉しかった。まあライバルとは彼女の抱き枕の黒猫なのだが……。
僅差で私が勝ったらしい。お転婆で好きなことに夢中になると本人が納得いくまで調べ続けた。しかも八歳でさまざまな言語を理解して、いかなる文字も読み解ける天才だった。彼女の能力の高さが悪用されることを叔父とクローディア様は懸念していた。
「いずれこの子の能力に気づいた者が悪用しないように、アシュトン、どうかこの子を導いてあげてくださいね」
「はい。私の全身全霊をかけても、オレーリア様をお守りします」
そうクローディア様と叔父の前で、誓ったのだ。誓ったのに……っ。
クローディア様が病死して、叔父が後ろ盾になろうとした矢先に事故死。オレーリア様の傍にいるために侯爵家の力を使っても、全ての悪意から守ることはできないどころか、敵は的確に私の弱みを握り契約を持ちかけてきた。
オレーリア様に危害を加えないこと。婚約者として傍にいること、亡きクローディア様の形見を正当な所有者に返却することを条件に《隷属契約》を選んだ。
それすら現王妃の罠だったと知ったのは、しばらくした後だった。オレーリア様は私のことを覚えておらず、騎士として出会ったと思い込んでいた。
度重なる不幸に耐えきれず、記憶を消したのだろう。私のことを忘れてしまったのは悲しかったけれど、オレーリア様の生活を守ることだけに尽力した。しかし狡猾な王妃の策略に、何度もオレーリア様に悲しい顔をさせて──私は騎士失格だった。何度、叔父とクローディア様の墓標の前で謝罪の言葉を口にしただろう。私には貴女に笑いかける資格などないのに、諦めきれずに貴女を思い続けてしまった。
「オレーリア様……っ、」
私がオレーリア様を思えば思うほど現王妃が酷いことを考えて、彼女の心を抉る。本当はもっと傍で貴女を存分に甘やかしたかった。
もっと笑って、怯えも苦しみも悲しみも取り払った場所に……貴女を魔法塔に連れ出したいと言ったら、受け入れてくれるだろうか?
あそこならオレーリア様の能力を生かしつつ、庇護下に入ることだってできる。推薦状を用意して、あと私にできることはあるだろうか。
あの方が笑えるような居場所を、私が用意できれば……あの方の逃げ道だけ。
愛している、と告げることも許されない。
脆弱で、愚かな私とは違って、オレーリア様が自分の口から魔法塔に行くと行った時、嬉しくてなんと言葉を返せば良いのか分からなくなった。「私も一緒について行きたい」とは口が裂けても言えなかった、言えるはずもない。今まで散々、オレーリア様を傷つけた私を貴女は許さないだろう。当然だ。許されるわけがない。けれど、あの方の物を返させてもらう。
***
まだ日はでているのに、王城内は闇の帷が降りたように薄暗い。澱んだ空気が充満しているようだ。別空間、いや結界の中か。発生源はおそらく……。
「お前の探し物はこれか?」
美しく煌めく空を閉じ込めたようなネックレスを見て、全身がカッとなった。それはあの方が持つに相応しい物。
「……出たな。魔術師」
闇の中から姿を見せたのは、床に付くほど長いローブを纏った男だった。影のある顔にはありありと敵意が向けられる。この男がクローディア様と叔父を呪い殺した元凶であり、王妃の剣であり盾。私に結んだ《隷属契約》もこの男の発案だったのだろう。
「契約解除おめでとう。最高に良い舞台だったよ。私の求愛を拒んだクローディアも、その騎士も、娘も不幸になる。騎士として守るはずだったお前が、あの娘を苦しめて最高だった」
「その茶番も今日までだ。契約通り、そのネックレスを返してもらおう」
「そうだな。約束通り、お前に返そう」
適当に放り投げたネックレスは弧を描き地面に落ちる。その前に両手でネックレスを受け取った。ああ、ようやくクローディア様の形見を、オレーリア様にお返しできる。
受け取った瞬間、床に数十の魔法陣が展開。
逃げる暇も、防御も間に合わず──爆音は轟いた。土煙と壁が崩れ落ちる音の中で、魔術師の高笑いが耳に届く。
「バカが! 罠に決まっているだろう! これだから脳筋の騎士は! 魔術師は術式を組み替え紡ぐ芸術品。特に人を傷つけて、壊すことこそ究極の美!」
「────っ」
「殺しはしないさ、《隷属契約》が切れた後は、お前に惚れ薬を飲ませる計画だからな!」
ポタポタと絨毯を血で汚すが、手にしていたネックレスが本物であるのを確認して、ホッとした。最初から一撃はくらうつもりだったが、思いのほか反射魔法防御が間に合ったようだ。
なるほど。一度契約を切ったのは、惚れ薬でオレーリア様への思いを上書きする気だったのか。
「くだらない」
「なっ……バカな」
魔術と魔法の違いは、体内に魔力器官があるか、ないか。内側から魔力を練り上げて解き放つ威力は、魔術の数倍。
魔法は生まれた時から神々から贈られるギフトの一つ。だからこそ魔法塔は、魔法使いを保護するため、その力の使い道を導くために設立した。
「ところで……。今のが、全力か?」
「なっ……ありえない……。直撃して五体満足でいるはずがない……」
「ああ、そういえば私の力をあまり王都では見せていなかったな。情報規制を徹底しておいて良かった」
今までは補助魔法の《肉体強化》ばかりを使っていた。それは騎士としてであって、全力ではない。魔法騎士としての力を使うのは、あの方のためだけ──。
「騎士の誓い」
だから、ようやく使うことができる。あの方のために鍛え上げた魔法武装。
背に生じる漆黒の光が三対六翼の形となって、顕現する。盾であり刃となる攻防一体型でもあり、あの方をお守りしつつ活路を見出すために代々受け継がれた魔法の一つ。
「な、なんだ、そのバカみたいな魔力の塊は! ふざけるな!! 獣よ、我の敵を食い殺せ! 漆黒の獣たち」
後ろから襲いかかってきた四足獣を素早く感知して、羽根が槍となって獣を貫く。数が増えようと、一定の距離に入った瞬間──獣は貫かれ床に転がり落ちる。
「後ろからとは本当に屑だな」
「うるさい、勝てばいいんだよ。卑怯な手を使ってクローディアも、その騎士も殺したんだ!」
本当は剣で倒したほうが手っ取り早いけれど、大事なネックレスが傷つかないように両手で包み込むほうが大事だ。正面から勝てなかったから策を弄したのは、戦術的に正しい。ただそれだけだ。
死ぬ瞬間まで、後悔させてやる。
「まずは足だな」
そう呟いた瞬間、羽根の一つが矢の如く飛び出し、魔術師の左足を貫き、床に縫い留めた。
「ヒッ、ぎゃあああああ!」と喚き声まで聞くに堪えない。あの方の痛みはもっと、苦しみはそんなものではなかった。
次々と襲いかかる四足獣を肩翼の刃が貫く。
間合に入った段階で死角からだろうと獣を感知して一撃で屠る。
獣の死体が三十を超えたところで、魔術師の顔色が土色に変わっていく。
「わ、私の結界であり、私の世界なのになぜ!?」
「お前のチープな結界の中に私の特殊結界を張っているのだが、ああ、それすら気づかなかったのか」
「なっ、魔法塔の人間でもないお前が、そんな訳──っ、ああああああ! もうそんなことはどうでもいい! お前を殺す。命令と違うがお前さえ殺せば、そのネックレスは主人の元に戻らずに済むのだからな!! 暗き闇の王よ、我を贄に捧げて世界を滅ぼしたまえ──終焉!!」
ゴオオオオオオオオ!
闇が泥として具現化することで、この空間を泥で覆うつもりなのだろう。その泥も触れるもの全てを溶かしていく。
「お前も、あの娘も、不幸に!あはははっははは」
そう言って男は泥に呑まれた。術式による簡易召喚の劣化版か。これを結界の外に出すのはまずい。最後の最後まで非常に面倒な男だ。いやそれがわかっていたのに、できるだけ時間をかけて復讐しようとした私の慢心が招いたもの。
許せなかった。叔父を、クローディア様を害した者に苦痛と凄惨な死を与えるつもりだったのに……私はどこまでも、完遂できずに……。
『アシュトン様』
私の名を呼ぶ方の声が聞こえた気がした。完遂すべきことはまだ残っている。私はどうなろうともいい。けれどこの両手にあるクローディア様の形見だけは、オレーリア様に届けなければ……。
その一心で、魔法塔まで辿り着けた。
夕暮れの闇夜が迫る中。オレンジ色の夕焼けが美しくて、最後にオレーリア様の腕の中で逝くとは贅沢なことだと、自己満足してしまった。
本当に私は騎士失格だ。
***
オレーリア様をお守りできず……本当に……申し訳ありませんでした……。心からそう思って目を閉じた。この先、オレーリア様が前を向いて進むためにも、幼かった頃の楽しい記憶だけでも取り戻して差し上げたかった。
オレーリア様……。
ふと目が覚めると私は生きながらえているだけではなく、視界いっぱいにオレーリア様のご尊顔が!
「!?」
え、な、寝顔を見るのは久し振りだけれど、もの凄く可愛い。天使? いや女神がどうしてこんな超至近距離に!?
ハッ、まさか天国!? いや、オレーリア様は生きておられる!
いや待て。全く覚えがないけれど、私は今、オレーリア様を抱きしめている?
無意識に? こ、これは事故です。事故なのですが……肌の温もりや柔らかさが伝わって……。
「愛しています、オレーリア様」
思っていたことがスッと声に出た。今まで《隷属契約》のせいで言えなかった言葉がすんなり口から零れ──胸を熱くした。
「オレーリア様、好きです、愛しています。ああ、やっぱり、オレーリア様への思いを声に出せている。ずっと、貴女様に言いたかった。貴女と藤の花を見に行く約束も、誕生日に一緒にダンスをする約束も、市井でデートする約束も全部、覚えています。何一つ叶えられず、貴女の全てを取り戻せるように奮闘したのに、居場所を作ることすらできませんでした。……本当に申し訳ありません」
すうすう、と眠っている愛おしい人。
こんなに近くにいるのは、いつぶりだろう。睫毛も長くて、長い髪に触れたらサラサラして、愛おしくてたまらない。キスしたいが、さすがに寝込みを襲うなど恐れ多い。いや、この状況がすでに死罪にあたる。しかし死ぬ前に、オレーリア様を別のベッドで寝かせるべきだ。でないと私の理性が蒸発するまでそう長くは保たない。オレーリア様を抱き上げて……。
「むうっ……!」
「──っ!?」
起き上がってオレーリア様を抱き上げようとしたが、寝ぼけていたのか私に抱きついて離れない。なんですか、そのあざとさ! 可愛い。
どこで覚えたんです!!? ハッ、あれですか、黒猫のぬいぐるみを抱き枕にして眠っているのですね。わかりますよ、アレは私の生涯のライバルでしたから!
それともあの留学生──。
「アシュトン様……」
私!? 私を思って?
あの留学生でも、黒猫のぬいぐるみでもない!?
勝った! そう思うと口元が緩んでしまう。
ぎゅっと、抱きついてくる。良い香りがするし、想像以上に柔らかい。抱きしめ返しても? いや、しかし……。幸せ過ぎる悩みに、理性もすり切れ寸前だった。
「おいて……いかないで……」
「──っ」
そんな切ない声で言われたら、もう騎士の矜持などどうでもいい。オレーリア様を抱きしめて、「大丈夫、私は何処にも行きませんよ」から、「愛しています」とか「好き、可愛い」と愛も囁く。
さすがにキスは我慢したが。そんなことをしていればオレーリア様が目覚めないわけもなく……。目覚めたオレーリア様は声にならない声を上げて、目を白黒させていた。
「あ、アシュトン様が壊れてしまった?」
「オレーリア様、狼狽する姿も実に愛らしい。愛しています。愛おしくて言語化が難しい。……貴女に触れても良いでしょうか?」
「……すでに触れています……よ」
「では、口づけまでは許して頂けますか」
「くち……くちづけ!?」
野いちごのように顔を真っ赤にして、なんて愛くるしいのだろう。もう何も我慢しなくていいということが嬉しくて、口元が緩んだ。