長い梅雨がようやく明けて、今年も茹だるような夏が始まった。
「陽ちゃん、ペンちゃん動かして?」
「琴ちゃん、久しぶりに会えて嬉しいよ。僕の名前は、ペンギーヌ・エジソン・エリーゼタルト・ホリゾンブルー」
琴ちゃんがほわわんと話す。お決まりの言葉に、僕は今年も夏が来たなと思いながら琴ちゃんと僕がつけたペンギンかき氷機の名前を口にした。
「陽ちゃん、よく長いのにペンちゃんの名前覚えてるよね」
長い名前を言い終えると、琴ちゃんは幸せそうに笑う。琴ちゃんがくふくふ笑うから、僕はどんなに長くなってもペンギンの名前を覚えられる自信があるよ。
◇◇◇
僕と琴ちゃんは幼馴染。物心ついた時には、いつもどちらかの家に遊びに行っていた。
小学生になった夏休み。琴ちゃんが買ってもらったペンギンのかき氷機でかき氷を作って食べるのが日課になっていた。青色のペンギンかき氷機の最初の名前は『ペンギーヌ』
「ねえ、陽ちゃん。ペンギーヌに名前つけよう?」
「ペンギーヌが名前じゃないの?」
「うーんとね、ペンギーヌをもっとステキな名前にしたいの」
僕たちは毎日ペンギーヌにお世話になっていたから、ステキな名前にするために二人で考えた。
「そうだな、ペンギーヌ・エジソンっていうのはどうかな?」
「わあ、それってステキだね」
僕は最近読んだ伝記の発明家エジソンの名前を言ってみたら、琴ちゃんがほわわんと笑って喜んでくれた。琴ちゃんにステキだねって言われて、頬が少しだけ熱くなる。
「陽ちゃん、エリーゼタルトはどうかな?」
「うん、可愛くてステキだと思うな」
琴ちゃんはピアノで『エリーゼのために』を練習しているし、イチゴタルトが大好きだからエリーゼタルトって名前を考えたと教えてくれた。
「じゃあ、これからペンギーヌは、『ペンギーヌ・エジソン・エリーゼタルト』だね」
小学生の琴ちゃんがくふくふ笑いながらそう言った。
◇◇◇
「ペンちゃん、お腹あけてくれる?」
「もちろんだよ! 琴ちゃんに、この夏最高の一杯を作るよ」
やっぱり大人になっても、くふくふ笑う琴ちゃんがペンギーヌ・エジソン・エリーゼタルト・ホリゾンブルーにガラガラと氷をたっぷり詰め込んだ。
「ペンちゃん、頑張って」
「琴ちゃん、任せておいて!」
ほわわんと応援する琴ちゃん。僕がガラガラとハンドルを回すと、氷の山があっという間にふたつ出来上がる。
「ペンちゃん、ありがとう」
「琴ちゃん、どういたしまして」
「青い色で美味しそうにみえるのってステキだね」
琴ちゃんは僕から氷の山の入ったガラスの器を受け取ってブルーハワイをたっぷりかけた。ほわわんと言う琴ちゃんは、小学生の頃からずっとブルーハワイがお気に入り。
「ねえ陽ちゃん、ベランダで食べよう」
ベランダに出ると夏の日差しが眩しくて、一気に汗が噴き出す。空はスカッと青くて、白い雲が目に鮮やか。ミンミン蝉が近くで鳴いている。
「かき氷溶けちゃうね」
ほわわんとスプーンですくって食べる琴ちゃんの横顔で、ピアスがゆらりと揺れて、夏のかけらみたいにキラキラ光る。
「あのね、下のお庭にひまわりが咲いてるんだよ」
「そうなんだ。知らなかったな」
ほらって指差した先に、ひまわりが咲いていた。三階のベランダから一階の庭が小さく見える。
「陽ちゃん、覚えてる? あの時のお母さん、怖かったよね」
思い出したみたいに、くふくふ笑う琴ちゃんは、小学生みたいな顔になった。
◇◇◇
小学生の夏休み。琴ちゃんの家の庭いっぱいに咲いていたひまわり。
「ねえ、陽ちゃん、ひまわりが家にも咲いていたらステキだと思わない?」
琴ちゃんと僕でひまわりを全部刈り取って大きなバケツに生けたら、買い物から帰ってきたおばさんに鬼みたいな顔で叱られたんだ。
「「ごめんなさい」」
「もう、二人でちゃんと責任取りなさい」
おばさんにクレヨンと沢山の画用紙を渡されて、二人で何枚何枚もひまわりを描いたんだよね。琴ちゃんは一生懸命ひまわりを描いてて、僕は琴ちゃんの真剣な横顔を見たら胸がドキドキした。
大人になった琴ちゃんは、イラストレーターになってステキな絵を描いてみんなに幸せを届けている。
◇◇◇
ブルーハワイのかき氷を掬って口に運ぶ。琴ちゃんと作って食べるかき氷は、あっという間に時間を昔に引き戻してしまう。
「陽ちゃんのお母さんにも怒られたことあったよね?」
「うん、あったね。あれは怖かった」
ふたりで大きなしゃぼん玉を作ろうとして、家にあった洗剤をまるまる使って大実験をした。家中が泡だらけになって、母さんに大きな雷を落とされたんだよね。
責任取りなさいって、バケツとぞうきんを渡されて、ふたりで家の中をぴかぴかに磨いたんだよね。僕は虹色にきらめくしゃぼん玉を見て、目をキラキラさせる琴ちゃんに恋をしたと思う。
大人になった僕は、洗剤メーカーの研究者としてみんなの暮らしをほんの少しだけ支えている。
琴ちゃんに恋をした僕とほわわんとした琴ちゃんは、なにも変わらないまま小学生を卒業して、中学生になった。
「ねえ、陽ちゃん。お庭で虹を作ったらステキだと思わない?」
「いいね。琴ちゃん、今から作ってみようか」
ふたりで庭のホースを引っ張って、夏の眩しい光をキラキラ浴びるような虹を作った。だけど、琴ちゃんがびしょ濡れになってから、僕は琴ちゃんをまっすぐ見れなくなって。
少しずつ気まずくなって話すきっかけも上手く見つけられないまま、僕と琴ちゃんは別の高校に行ったんだ——。
◇◇◇
「陽ちゃん、見てみて!」
「琴ちゃん、どうしたの?」
「おばけだよ。べえ……っ!」
「ふふっ、青色おばけだね」
「うん!」
僕は琴ちゃんと離れてしまった時間を思い出すと、今でも胸が苦しくなる。それなのに、おばけだよって真っ青な舌をべーって出す琴ちゃんは昔のままで、思わず笑ってしまう。
高校生になった夏休み。いつも行く河原に自転車を走らせて、買ったばかりの本を読んでいた。
「陽ちゃん」
「えっ、琴ちゃん……?」
「陽ちゃんのお母さんから、陽ちゃんがいつもここで本を読んでるって聞いて来たんだ」
「そ、そうなんだ……?」
「うん! 陽ちゃんに大事な話があって……」
琴ちゃんの言葉にゴクリと喉が鳴った。虹を作って以来、ほとんど話をしていなかった琴ちゃんの大事な話ってなんだろう……? 胸がドキドキして落ち着かない。
「陽ちゃん、見てみて!」
「琴ちゃん、どうしたの?」
「あのね、ペンちゃんの色、ホリゾンブルーっていう色なんだよ!」
ドヤ顔で色の名前辞典を広げてくる琴ちゃんにズッコケた。ああ、もう。ほわわんと笑う琴ちゃんに敵うわけなかったんだと思う。
「琴ちゃん、好きです。僕と付き合ってください」
「…………え?」
「琴ちゃん、僕、久しぶりにペンギーヌ・エジソン・エリーゼタルトのかき氷食べたいな」
「ええ!? ふふっ、陽ちゃんよく長いのにペンちゃんの名前覚えてるよね」
それから、わりとすぐに琴ちゃんは僕の彼女になって、地平線の際の空色みたいに淡い水色のペンギンかき氷機は『ペンギーヌ・エジソン・エリーゼタルト・ホリゾンブルー』になった。
◇◇◇
「ねえ、陽ちゃん、ハワイの海みたいになっちゃった」
かき氷の溶けた青い液体に光が反射する。器を持つ琴ちゃんの指には、僕とお揃いの真新しい銀色がキラキラに光っていて。先々週、琴ちゃんは僕の彼女から奥さんになって、新婚旅行のハワイから帰ってきたばかり。
「ねえ、琴ちゃん、ペンギンかき氷機のもっとステキな名前を思いついたんだけど」
「もっとステキな名前?」
「うん。ペンギーヌ・エジソン・エリーゼタルト・ホリゾンブルー・ブルーハワイなんてどうかな?」
琴ちゃんは、くふくふ笑ってきらめくようなハワイの海をぷはっと飲み干して、ほわわんとこう言った。
「それってステキだね」
ねえ、琴ちゃん。
僕はエジソンみたいな偉大な発明家にはなれなかったけど、琴ちゃんが僕の作った洗剤をステキだねって言ってくれた。琴ちゃんはピアニストにはならなかったけど、エリーゼのためにを弾けるようになって、大好きなイチゴタルト特集のページをイラストレーターとして担当させてもらったよね。
ホリゾンブルー色のかき氷機は僕たちを繋いで、僕と琴ちゃんにとってはじめてのブルーハワイ味のキスも見届けた——。
これからいくつもの夏が訪れるけど、
「陽ちゃん、ペンちゃん動かして?」
「琴ちゃん、また会えて嬉しいよ。僕の名前は、ペンギーヌ・エジソン・エリーゼタルト・ホリゾンブルー・ブルーハワイだよ」
「陽ちゃん、よく長いのにペンちゃんの名前覚えてるよね」
これから先、僕はどんなに長い名前になっても覚えている自信があるよ。だから、琴ちゃんは幸せそうにくふくふ笑いながら、僕の隣にずっとずっといて欲しい——。
おしまい