遠くで、(だれ)かが叫んでいるのが聞こえる。
 瞼が酷く重くて、なかなか目を開くことが出来なかった。
 そんなことは今まで体験したことが無い。
 アークは聞こえている音のほうに、ようやくの思いで顔を向けた。
 叫んでいるのは、ファルサーだった。
 彼は、ドラゴンの上顎を両手で掴み、下顎に右足を掛けている。
 そのまま、少年が小動物を興味本位で引き裂くように、ファルサーはドラゴンの身体を引き裂いた。

「君は、本当に神話の英雄のようだ」

 自分に駆け寄ってくるファルサーに、アークはそう言葉を掛けた。
 けれどその言葉は頭の中に響いただけで、声にはならなかった。
 身体にほとんど感覚が無い。
 駆け寄ってきたファルサーに抱き起こされた時、もしかしたら自分は下肢を欠損したのかもしれないと、ぼんやりと、しかし酷く冷静に考えていた。

「ああ、君は酷い姿をしているな、全身がドラゴンの血まみれだ。早く此処を出て、身体を清めたまえ。嘆く必要は無い。君は凱旋し、再びルナテミスを訪れてくれるのだろう?」

 手を伸ばしてファルサーの頬に触れながら、そう言った。
 つもりだった。
 だが、それを言葉に出来たのかどうか解らない。
 スウッと意識が、遠のいていく。
 それもやはり、今まで体験したことの無い感覚だった。
 自分の体が、大きく開いた深淵の穴に落ちていくような気がした。


     §


 突然、アークは意識を取り戻した。
 見慣れた床と、見慣れた家具、見慣れた部屋。
 此処は長年自分が暮らしてきた、ルナテミスの中央にある "中央居室(シュープリーム)" の中だ。
 身体を起こして辺りを見回す。
 なぜか自分は素裸だった。
 何の物音もしない。
 アークは立ち上がると、奥の部屋へ行き、キャビネットを開いて、とりあえず着衣を整えた。
 そしてもう一度キャビネットの中身を確かめて、ファルサーと共に出掛けた折に身につけた服が無いことを確認した。
 ルナテミスの外に出る。
 麓の町から湖とその中央にある島、更にその向こうに広がる山並みなどを一望して、アークは確信した。
 今までの総てが、現実だったことを。
 自分の身に何が起きたのか解らない。
 だがファルサーがルナテミスを訪れてから、自分がドラゴンの一撃を受け止めて死に至るまでの事柄は、間違いなく現実に起こったことだ。
 湖の島からは、ドラゴンの気配が消えている。
 そしてドラゴンとは違う、別の妖魔(モンスター)…むしろドラゴンだった時よりも大きくなった魔気(ガルドレート)を感じる。
 アークはルナテミスに戻った。
 自分が死に至ったあと、意識を取り戻すまでの間に何があったのか、たぶん自分だけの知識では解明出来ないだろう。
 だがファルサーの身に何が起こったのかは、自分だけでも調べることができる。
 だから自分は、自分にできる最大の範囲で、今後どうすべきかを考えなければならない。
 アークは身支度を整えると、湖畔に向かって歩き出した。



*剣闘士の男:おわり*