「一応聞くけど、あれ……オレの夢じゃない……んだよ、な?」
「2人して同じ夢見るってあんの?」
「――ざけんな。テキトー言ってはぐらかすなよ」

離せ、と絞り出したような声で聡が俺の腕を払う。

照れ隠しじゃないのは一目瞭然だった。着替え始めた聡が、あからさまにこちらを見ようとしない。

「寝てる聡にキスした。中3の、夏休み」

あのときの聡は、名前を呼んでも起きなかった。
なぜ気づいたのか? そんな些細な質問ですらいまは躊躇ってしまう。適正温度に保たれ続けている空気も、沈黙を埋めるには頼りない雨音も、慣れ親しみすぎたこの景色も、全てが聡の味方みたいだ。

一向に視線を合わせようとしない聡が、ローテーブルとベッドの間に腰をおろす。

「ごめん……わかんねぇよ」

耳のふちを紅く染めていても、俺と並んでベッドには座らない。それでも手を伸ばせば届く位置に留まっている聡は、心のあり様をまんま体現しているようだった。

「好きだって一言で伝わるなら、寝込み襲ったり、弱ってるときにつけ込んだりしてない。片想いは慣れてるし、俺はゆっくり待つよ」
「待てるならこんな事態になってないだろ」

思わず情けない笑いが零れる。まさにそのとおりだ。

「……それに、じいちゃんになるまで答え出ないかも」

意外な発言に面食らっていると、聡がこちらを振り返った。

口元を隠すように手を添えていた俺を見て、整えられた眉の間にシワが寄る。

「なにその反応」
「いや、俺よりずっと先のことまで考えてんのが――」

嬉しくて。そう舌の上まできていたのに、ふと虚しさに遮られた。

「想像くらいするよ。だからイヤなんだろ。いつか終わるかもしれないのに、意味わかんねぇ」
「…………。帰るわ」

聡の言い分に心当たりがありすぎて、うまく言葉にできたのはそれだけだった。

雨に打たれながら歩いているとどこか悟ったような、もしくは開き直ったような、とにかく自己完結させてしまいたくなる。ただ、2年間も聡を悩ませ続けたのを思えば、今日のことを悔やむ気にはなれなかった。



翌朝も変わらず雨が続いていた。いつもなら登校ついでに3軒先の、聡の家のチャイムを押す。だが今日は、ビニール傘をさした聡が門扉の脇でしゃがみ込んでいた。

「体調は?」
「サイアクだよ。でもこうでもしなきゃオレのこと避けそうじゃん。オレはそのままでいたいのに、既に疎遠になったら意味ないだろ」

俺は性格まで女々しく映っているのか、とじんわりと笑いが込み上げてくる。

「カッコイイじゃん」
「うるせ」

このままでいたいとは思わない。でも聡には、そのままでいて欲しい。

「そーいえば姉ちゃんにブラ返した?」
「あー、洗濯機に突っ込んでたらクソ怒られた」
「なんで?」
「知るかよ」

不機嫌そうな横顔に、頬を引きつらせながら意味ありげな視線を送る。

「ば――ッ! ……キモイこと言うなよ? 姉ちゃんのだそ」

耳が紅い。ただの冗談でこうもウブな反応をされると、精一杯普通を装っているのがわかる。

「聡」

半ば無意識に名前を呼ぶと、聡の傘がピクッと震えた。

「……その……下心透けてる感じで呼ぶの、マジでやめて」

雨をまとったビニール傘に遮られて、はにかんだ聡の横顔がゆらゆらと滲む。

今日が雨でよかった。濡れないように、傘がぶつからないように、聡の理想どおりの距離を保って並んで歩ける。いまは。



―fin―