「私、その時ね、ああ、これで私には完全に故郷がなくなったんだなと思ったの。たとえ二度と帰らなくても、自分のことを好きでいてくれる人がそこにいるかぎり、そこはまだ故郷だと思っていたの。もちろん彼が私のことを思い続けているなんて信じていたわけじゃないのよ。でも、そう思うようにしていたの。だけど、東京で彼を見かけた時、現実を突きつけられたの。自分のことを好きでいてくれた彼はもういないんだって。だから、もう自分には帰る場所はないんだって」
 僕はもう何も言うことができなかった。
「もう三十年以上も前の話なのにね」
 真澄は大きくため息をついてから更に続けた。
「でも、こんな冴えない話が歌のモチーフになるのかしら?」
 すぐには答えることができなかった。
「ごめん。頼んでおいてなんだけど。正直、今はよくわからない。でも、今の話、聞かせてもらって良かったと思っている」
「そうならいいけど」
 真澄はふっきれたように明るく笑った。
 その時、僕はまだ真澄の初恋の話をどうやって黒島の歌につなぐか、考えなどまるでなかった。しかし、今、隣にいる真澄をせめて歌の中だけでも幸せにしてあげたいと強く思っていた。