三十歳くらいに見える彼女の服装は宿の名前が入った紺のトレーナーにGパンと、極めえてシンプルだった。背中の真ん中辺りまで伸びた美しい黒髪は後ろで一本に束ねられていた。見栄えよりも働き易さを優先しているようだった。
 僕の身長は百七十四センチだったが、彼女の身長は僕より五センチくらい低い程度だったので、女性としてはかなり背が高い方だった。細身の体はスタイルが良く、手も足もすらりと長かった。
 男の僕から見れば、化粧など何もしていないように見えたが、それがかえって彼女の顔立ちの美しさを際立たせていた。
 大げさに言えば、人生に疲れ、何かを求めて八重山に来た僕は、出会った瞬間に既に彼女に魅入られていた。

「こちらに荷物を入れてください」
彼女はミニバンの後部のハッチを開いた。言われた通り僕はそこに自分のリュックを置いた。次に彼女は後部座席のスライド式のドアを開いた。
「こちらにお座りください」 
僕は黙ってシートに腰を下した。彼女は運転席に着くとエンジンを掛け、とても慎重に車をバックさせた。そして、静かに前進すると駐車場の出口で緩やかなカーブを描いて左折した。

車はすぐにのむら荘に到着した。石垣に囲まれた母屋は伝統的な赤瓦の家だった。母屋の脇には、食堂と宿主一家の住居を兼ねた建物があった。その建物の軒先にはテーブルと椅子が置かれた談話スペースが設けられていた。
僕は彼女に導かれるまま談話スペースに腰を下した。彼女は僕の向かいに座るとテーブル越しに宿帳を差し出した。
「これに、ご記入をお願いします」
彼女に言われて僕は必要事項を記入した。
「山崎さんは東京からですか?」
「はい」
 僕が答えると彼女は少し嬉しそうな顔をした。
「私も東京出身なんですよ」
言われてみれば、確かに彼女は沖縄の人らしい顔立ちではなかった。
「そうですか。こちらの方ではなかったんですね」
「はい、ただのスタッフというか、居候のようなもんですね。ああ、申し遅れました。私は柏木奈々、奈々って呼んでください」
 その後、彼女は業務的な仮面をさらりと外した。
「あの、山崎さんじゃなくて、純君って呼んでいい?」
「はい、そうしてください」
「じゃあ、純君よろしく」
「はい、奈々さん、こちらこそよろしく」
 奈々さんと少し距離が縮まったような気がして僕は嬉しかった。

「じゃあ、部屋はこっちね」
奈々さんが案内してくれた母屋の部屋に僕は荷物を運び込んだ。そして、畳の上に寝転んで天井を見上げた。旅に出てから初めて落ち着いた気分になった。