あれから俺は笙真を避けまくっていた。
 あんな醜態を晒してしまって合わせる顔がなかった。というか、ひとりでいてもふとしたときに思い出しては「わー!」と叫び出しそうになるのに、アイツを前にして平静を保っていられる自信がなかった。
 部活にも全然顔を出せていなくて、そろそろ鈴子がキレそうだなと思い始めた頃。

「瀬波楽斗ってテメーか?」
「あ?」

 今日も部活をサボりこそこそと校門を抜けたところで、柄の悪い見知らぬ野郎に声をかけられた。
 他校の制服を着たそいつは俺を睨みつけ顎を使って道の先を示した。

「ちょっとツラ貸せ」
「……」

 嫌な予感しかしなかったけれど、逃げたところでこういう輩はしつこくやって来そうだ。
 俺は仕方なく大人しくそいつについて行くことにした。

 ――そして、案の定。

「ってぇ……」

 ひとけのない路地裏で思いっきり殴られた俺は古ビルの壁を背にずるずると座り込んだ。
 鼻の奥がツンとして口の中に鉄の味が広がる。

「アイツが、てめぇのことが忘れられねーみたいでよ」
「アイツ?」

 誰のことだか全然わからなくて血の混じった唾を地面に吐き出して訊く。

「ミユだ!」
「ミユ? ……ああ、ミユちゃん。え、でもミユちゃんとは2、3ヶ月前くらいに一度遊んだっきりだけど」

 少し派手めの明るくて可愛い、所謂ギャルだった。
 学祭で声を掛けられて一度デートして、でもそのまま連絡が途絶えてしまって。まぁよくあることなので特に気にしていなかったのだけど。
 
「一度遊んだだぁ!? てめぇ、よくも人の彼女に手ぇ出してくれたなぁ!」
「彼女? あー、なんだ、ミユちゃん彼氏いたんだ。ごめんごめん、俺知らなかったし。でも別に殴られるようなことした覚えはねーけどな」

 言いながらゆっくりと立ち上がる。
 キスくらいはしたかもしれないけど、こんなに思いっきり殴られるほどのことをした覚えはない。

「嘘つきやがれ! ミユがな、お前の方が優しかっただのお前の方が良かっただの、いちいち比べられてムカつくんだよ!」

 それを聞いて、なんだそりゃと呆れる。

(それって俺、ただ痴話喧嘩のダシにされてるだけじゃね?)

 とばっちりにもほどがある。
 なんかもう、最近の自分のツイて無さに怒りを通り越していっそ笑えてきて、自嘲も含め鼻で笑ってやった。

「彼氏ならしっかり見ててあげなきゃ。だから俺みたいな当て馬くんにフラついちゃうんじゃねーの?」
「んだと!?」

 逆鱗に触れてしまったのか、向こうのこめかみに青筋が立つのがわかった。
 グイと胸倉を掴まれて、あーこりゃもう一発来るかと面倒に思っていると。

「当て馬なら当て馬らしく用が済んだら大人しく引っ込んでろよ」

 ――ぷちんっと、何かが切れる音がした。

「……当て馬だってなぁ」
「あぁ?」
「当て馬くんだって、ヒーローみたくハッピーエンド迎えてーんだよ!」

 気付いたら思いっきり怒鳴りつけていた。

 一度ならず二度までも当て馬くんになっていたらしい俺。
 確かにチャラいし可愛い女の子はすぐに好きになっちゃうし最低のクズかもしれないけど、それでも俺だって一度くらい物語のヒーローになってめでたしめでたしのハッピーエンドを迎えたい。

「何言ってんだ、このヤリチン野郎が!」

 もう一度奴が腕を振り被って、ぐっと歯を食いしばって目を瞑る。
 
 ドカっ!

 そんな鈍い音が聞こえて、でもこちらには衝撃も痛みもなくて不思議に思ってゆっくりと目を開ける。
 するとなぜか、男が地面に倒れていた。

(――え?)

 その男の前に立っていたのは良く見知った顔で、俺は呆然と呟く。

「笙真……?」
「何すんだテメェ!」

 そう怒鳴りながら勢いよく立ち上がった男は、しかし笙真の冷え冷えと据わった目に気圧されたのか一瞬怯んだ様子を見せた。
 笙真が口を開く。

「こいつは俺のヒーローだから、勝手されたら困る」
「はぁ? 意味がわからねーよ!」

 こればかりは俺もそいつに同意だった。

 ――俺が、ヒーロー?

 意味がわからない。

 そんな俺の前で男は笙真に向かって拳を振り上げた。
 しかし笙真の動きの方が早かった。ついでに笙真の方が腕が長かった。
 男の顎に見事な正拳突きが決まり、そのまま男は後ろに倒れていった。

「行くぞ、ガク」
「あ、あぁ」

 笙真に手を取られ、地べたに伸びている男を置いて俺はその場を後にした。



   ***



 日が短くなったせいで辺りはもう真っ暗で、点々と設置された街灯が頼りなく路地を照らしていた。
 そんな中を無言のまま手を引かれ、どうやら学校の方に向かっているらしい笙真に俺は訊ねる。

「学校戻んの?」
「鈴子がキレ散らかしてる」
「げっ」
「それでお前を探してた」
「あ~」

 笙真があの場に現れた理由がわかった。

「……ありがとな」

 やっぱりまだまともに顔が見れなくて、足元を見ながら小さくお礼を言う。

「やっと、あのときの恩返しができた」
「恩返し?」

 聞き返すと笙真は立ち止まってこちらを振り向いた。
 目が合って、思わずあからさまに逸らしてしまう。

「覚えてないか? 小2の頃、お前は今みたいに俺を助けてくれた」
「あったか? そんなこと」

 小さく息を吐いて笙真は続ける。

「公園で遊んでたら、俺の目つきが気に食わねぇって不良中学生に因縁つけられて、お前が助けに入ってくれた。ま、結局ボコボコにされてたけどな」
「あぁー! あったあった!」

 一気にそのときの記憶が蘇った。
 あの頃はまだ笙真の方が細っこくて背も低くて、そんな笙真を守ろうと助けに入ったのに結局ボコられてめちゃくちゃカッコ悪い思いをしたのだ。

 ――あ。

 その時ふと、笙真の部屋に飾られていた写真を思い出した。
 頬に大きな絆創膏を貼った俺。

(そうか、その頃の写真だったのか……)

「あのときから、お前はずっと俺のヒーローなんだ」

 顔を上げると、街灯の明かりの元で笙真が綺麗に微笑んでいて、俺は大きく目を見開く。

 ――なんだそれ。なんだその顔。
 今ちょっと、……や、かなりグっと来てしまった。
 多分これ、胸キュンとかいうやつだ。

 なのに。

「当て馬くんなんかじゃなくってな」

 その余計な一言にひくりと口元が引きつる。

「……ひょっとして、さっきの聞いてた?」
「お前がでかい声で怒鳴ってたんだろ。お蔭で見つけられたから良かったけどな」

 またこいつに恥ずかしいところを見られてしまったわけだ。
 なんだかどっと疲れて、はぁ~と長い溜息を吐いていると。

「大丈夫か?」
「!」

 いきなり頬に手が伸びてきてびくっと肩が震えてしまった。

「赤くなってる。さっきの奴に殴られたのか?」
「こ、こんなの、大したことねぇし」

 ついまた視線が泳いでしまう。
 すると笙真はそんな俺に言った。

「……この間は、悪かった」
「――っ!?」

 急な謝罪にぎくりとする。
 ほらやっぱり、あのときの事が一気に蘇って顔がどんどん熱くなっていく。

「いきなりがっつき過ぎた」
「そ、そーいう問題じゃねーし!」
「でもガク、お前も悪いんだからな」
「は!? また俺のせいかよ!?」
「お前が可愛いから止まんなくなった」
「かっ……可愛いってなんだ! 俺はヒーローなんだろーが!」
「別にヒロインでもいいぞ。ハッピーエンドならどっちでも良いだろ」
「良くねー!」

 ――というか、これは本当にハッピーエンドなのか?
 当て馬くんだった俺が親友の笙真とイイ感じになって、めでたしめでたし?
 本当にそれでいいのか俺!
 そもそも俺は笙真のことが好き、なのか……?

「そういや、ちゃんと言ってなかった」
「え……っ」

 そのときずっと繋いだままだった手をぐいと引かれて、また唇が重なった。
 ちゅ、と音を立ててそれが離れて、耳元で囁かれる。

「好きだ、ガク」

 ――!?

 こんな誰に見られているかわからない場所でやりやがってという怒りと恥ずかしさ。
 それと、不覚にも今の告白にときめいてしまった自分に気付いて。

「~~っ、だから、場所を考えろーー!」
 
 真っ赤になって繰り出した俺の拳はまたも笙真の鳩尾に決まった。
 笙真は痛がりながらも妙に嬉しそうで、それがまた癇に障った俺は学校に戻って鈴子に土下座するまでずっとグチグチ文句を言い続けたのだった。


 当て馬くんだった俺が笙真とハッピーエンドを迎えるのは、もう少しだけ先の話である。



 END.