「気を抜かず、ね」

帰り道。いつか雨にびしょ濡れになりながら帰った道を2人横並びで帰る、あのときはドギマギしていたけどいつの間にか慣れてしまった。
もう“止まれ”なくてもいい。
秋風が、服の隙間に流れ込んで体を底から冷やしていく。
去年は、この道を一人で歩いて帰っていた。
告白してくる女の子たちに、ちゃんと断りを入れて、ずっと一人で帰った。
一人がいいのに、一人が嫌だ。
一輝。今頃は何をしているんだろう。なんてリピートしながら帰る通学路は、とてつもなく長かった。

たった一ヶ月だけの関係。でも、一人に慣れることはもうないんだろうな。

学生服じゃなくて、濃紺のロングコートが似合う一輝の横顔はあの時よりも、痩せて凛々しい。

栄養学を学んでスポーツ少年たちをサポートしたい、

そんな目標を打ち明けてくれたのは、俺が関西に来てからだった。
多分、俺がこっちに残っていたら目標を達成するまで絶対口を割らなかっただろう。
一輝は、そういう人間だ。
毎日化学式とにらめっこしているからか、目の下の隈は少し濃くなっていった。

「せやな。気を抜かず。慢心せず。忘れそうになってたわ」

あの、離れ離れになる時の、必死さを、懐かしいと思う。つまりもう過去のことだと処理している。

今は会おうと思えば会える。時間も気にしないで、隣で眠
って朝焼けを一緒に見ることもできる。

夕焼けを見るので精一杯だった俺たちは、もういない。

夏休み特有の、不安定さがある非日常的関係性がなければ、今の俺たちは、存在していないのに。

「俺、一輝置いていったりするつもりはないよ」

「何、急に」

「いや、なんとなく。宣言?みたいな」

「…モテるやん。環。優しいし。カッコいいし」

「いや、逆に何?急に」

「なんとなく。

俺は多分このまま一般人やけど、環は違うやん。おんなじ家で住んで、同じ時間にご飯食べて、寝て。とか絶対いつかできなくなるやん。
俺の存在が環の行く先の邪魔になるなら、自分から姿消すよ」

彼のその言葉は、説得力があった。
実際に消えようとしていたから。
一輝がマフラーを巻きなおす。
街灯が灯りだした。
もうすぐ17時。辺りはすでにマジックアワーを迎えていて、濃紺とオレンジが入り混じった空を、見ていた。

帰り道を急ぐ車。家を灯す明かり。冷たい風は家路を急かす。でもこの街に2人で帰る場所なんかなくて、ただ歩くしかなかった。

「でもな、そうならんために俺は今めちゃめちゃ勉強とか頑張ってるねんな」

自分に言い聞かせるように、一輝は前を向いた。

「どんだけ頑張っても、もし、そうなっちゃったら仕方ない。でも、今は環のその言葉を信じて頑張るしか、方法を知らんねん」

高校生のころ、一輝がかなり達観しているように見えていた。周りを俯瞰して、上手に立ち回る。
でもそれは多分たまたま一輝が周囲より判断を迫られた環境にいたから、精神年齢が高くならざるを得なかったからで。
今は、俺と同じ、それなりに悩む大学生なんだと知る。