「大学の進路こっちにするのは、さすがに俺のこと好きすぎやろ」

『うっさい。やりたい学部がそっちにあんだわ』


電話越しに聞こえる声が、少しだけ上擦った。

電子音に変換されても聞き慣れたその音に、懐かしくて笑った。


「お前、俳優とかスカウトあったやん。ええんか?そっちのほうが活動しやすいやろ」

『別にいいよ。そっちでも活動できるし。新幹線で移動したら大丈夫』


「そうか。こっちで住む家、決まったん?」

まだ、雪が降るこの街。
雪は音がしない。あの結晶が吸音するからだと言われている。
晴れ間から射す光が雪に反射して、世界が眩しい。

雪が積もるのは数年ぶりで、ミシミシ、と庭にある雑木の枝から小さな雪の塊が滑り落ちていった。
机から離れたくて、赤本を閉じる。
地頭が良いのと、お勉強ができるというのはまた別で、共通テストが迫ってきてもなお、俺は現代文に苦しめられていた。
環は見た目だけじゃなく、頭も普通に良かったから推薦で大学入学を手に入れていた。
まさか関西の学校を選ぶとは思わなかった。
久しぶりに会ったときは、ヘラヘラふわふわした愛想のいいイケメンだった。何がやりたいか何になりたいかが分からない不安さから流されて生きているだけだ、なんて自分を笑う環を、捕まえていたい一心で、無理に文化祭実行委員にさせてしまった。
すぐに俺が消えることが分かっていたのに。

でも、それを酷く悲しみ、怒ってくれた事実だけで、
俺はお腹いっぱいになれた。
嫌なこと言われたときの呆れ顔も、
俺がバカなことをいって、こらえきれなかった笑顔も、
全部の顔の始まりが俺であってくれた。
小学生の時の、泥まみれの頬を拭うことなく、俺を睨みつけてきたあの日から、環の感情を動かす存在でありたいと願い続けていた。
その願いを叶えるために、夏休みを全て費やした。後悔なんかない。

『そうだ。その話なんだけどさ』

ピーン、ポーンと間延びした音が彼の背後から聞こえる。
駅の中で聞いたことあるその音。

「まって、環。今どこにおるん?」

雑踏が急に大きくなった。
声が遠くなって、
電波が途切れた。


すぐにSNSのメッセージが届く。

『ごめん。〇〇』

「は!?〇〇!?なんで!?」

電話なんかとっくに切れているのに、大声で返事してしまう。

何故、彼が俺の地元にいると言うんだろうか。

『今日、内見の日なんだよ。一輝、迎えに来てよ。なるべく早く』

『関西はナンパの勢いもすごいね。とりあえず、交わしながら待ってるから』

ポンポンと送られる通知を尻目に、俺はマフラーを巻いた。

「ちょっと、一輝!あんた、どこ行くんや!この雪が降る中!勉強は!?」


母親が玄関に座って靴を履く俺に声をかける。
俺が高校とサッカー辞めた事を責めずに見守ってくれた親には本当に感謝している。
小学生の頃から、俺の『好き』を守り、金と時間を惜しまずに使い続けてくれた。
サッカーをやめられない理由にもなりかけた。

心配そうな母親を安心させるために、
とびっきりの笑顔でちゃんと用件を伝えた。

「母さんごめん!ちゃんと帰ってくるから!」


玄関ドアを開ける。

まだ春は先。

でも、次は一ヶ月限定なんかじゃない。

俺は、駅に向かって走っていった。