「…あら、若王子くんやん。膝に手を当ててどした?」

ぬるり、と背後から声をかけてきた田島くんの声に安堵する。
振り返ると、まだ、5時間目だというのに、すでにリュックサックを背負っている田島くんがいた。

かなり大きめのリュックサックは、うちのサッカー部の刺繍が施されていて、確かに彼は、サッカー部だったんだと気付かされた。
フェルトで作られたサッカーボール型のキーホルダーはすでにくすんだ白黒になっていたり、ほつれが出ていた。
長い、長い歴史を感じられるそれは大事にされているから今までカバンにつけられているんだろう。


「…いや?ちょっと早歩きをして疲れただけ」

素直に言えない自分。中身を悟られたくなくて笑った。

「え?早歩き?謎やな」

「ていうか、もうかえんの?」

「ん?ああ、実行委員、俺等がやる分の仕事は終わったし。用事があるねん。ごめんやけど早退します」

ドロン、と人差し指を忍者みたいに口元によせて俺に言った田島くんはすぐに俺の横を通り抜けて、玄関の方へ歩いていった。

「…っあのさ!」

俺はとっさに声をあげた。
文化祭準備で賑やかなこの校舎の中で
俺の声はちょっと聞こえにくいかもしれない。

もし、聞こえていたら、
聞こえていなかったら、

ルート分岐をぐるぐる考える間が欲しかったのに、
田島くんは、俺の声を見つけてくれる。

「何?若王子くん」

「じ、ジュースじゃんけん、する?」

「…あー、ごめん。また明日!明日やろ!」

歯切れの悪い返事なんか、聞きたくなかった。

歯切れの悪い別れ話は何度聞いても慣れてしまったのか、すきま風がスカスカと吹き抜けていくだけなのに、
田島くんのその言葉は、ぺしゃん、と俺を頭から潰してしまうような勢いがあった。

明日、明日やろう。

そう約束してくれているじゃないか。

それでも、なぜか宇宙に放り出されて、もう連れ戻してはくれないんじゃないかと思わせるような拒絶を感じてしまった。

「明日、ね。わかった。じゃあね、田島くん。また明日」

俺は、また、いつもの、『優しくて人形みたいな』笑顔で田島くんに手を振った。

田島くんも笑って振り返してくれた。


でも、田島くんは次の日学校に来なかった。