自分の家に自転車を置いてから叶人の家のドアの前に立つと、すぐにドアは開いた。
「陽向くん、バイトお疲れ様でした」
ニコッと微笑む叶人。
「叶人、これ渡しに来た」
小さな紙袋を渡すと、叶人は袋の中を覗き白いプリンを確認する。
「やった! ありがとう!」
喜んでくれて、嬉しい――。
「あと、ちょっと部屋に上がらせてもらっていい?」
「もちろん、いいよ! 明日は学校休みだし、ゆっくり起きてられるよね。うさぎのもっふんちゃまやる?」
「やろっかな? 実は鞄に入ってる」
「陽向くん、さすがだね!」
そうして叶人の部屋の中に入ったはいいが、どう聞けばいいのか? 俺はしばらく作業をせずに、羊毛をチクチクしている叶人をじっと見つめていた。
「陽向くん、どうしたの?」
しばらくすると、叶人は眉を寄せて困ったような表情で質問してきた。なんて答えようか――。俺のことが好きか嫌いか、直接聞いちゃうか? でもやっぱり傷つく返事をされる可能性もあるわけだし、怖いな。多分、嫌いって言われたら、俺の心の中が一瞬で灰になってしまうと思う。
ふと、さっきの先輩の言葉が頭の中にふわふわと浮かんできた。
『陽向、恋してるか確認する方法はハグをしてみるんだ。恋をしていれば陽向も相手もドキドキする。恋の一歩手前で、あともう少しの場合もハグによって相手を意識させることができる可能性もある。まぁ、それは確実ではなくて、俺の経験からのアドバイスだけどな』
試しにハグをしてみようか――。
「ねぇ叶人、今から叶人をハグしてみて、いい?」
「どうしたの急に」
「ちょっと、確認したいことがあって……」
「いいけど……」
ハグができるように、叶人の目の前に移動した。いざハグしようとすると、心臓が爆発しそうな程にドキドキしてきた。
――なんだ、これ。まだハグしてないのに、もうドキドキしてるじゃん。心臓がバグってる。
動かずじっと俺を見つめる叶人は今、何を考えているんだろう。
「で、では、いきますよ」
「は、はい。どうぞ」
ぎこちない俺の言葉につられて叶人もぎこちなくなる。大切な宝物を包み込むように、俺よりもひと回り小さい叶人を優しくハグした。
叶人の抱き心地は気持ちよく、すごくふわっとした。なんだろう、本当に羊毛みたいだ。そして俺の心臓の早さは更に――。
「わっ、なんでだろう。めちゃくちゃ僕の心臓がドキドキ早くてうるさくなった!」
「俺も同じく……すごい」
「やばい。僕、倒れそう」
倒れそう?
叶人の言葉を聞いて、慌てて離れた。
「ごめん、叶人。大丈夫か?」
叶人は目を見開き、胸の辺りを両手でおさえている。
「な、なんかね、すごいの、おさまらないの。ドキドキが――」
〝恋をしていれば陽向も相手もドキドキする〟
再び隼人先輩の言葉が脳裏によぎる。
これはもう、確定かもしれない。
「叶人、驚かないで聞いてくれ」
「な、何? あらたまってどうしたの?」
「もしかしたら、俺らは……恋をしているかもしれない」
「こ、こひ?」
「そう、恋……らしい。さっき先輩が言ってたんだけど、ハグをした時にドキドキしたら恋をしているらしい」
「えっ、じゃあ僕たちは恋を――?」
胸から離れた両手を小刻みに震わす叶人は、続けて聞いてきた。
「じゃあ、僕たちはこれからどうすればいいの?」
「……いつも通りに過ごしていいと、思う」
自分にも言い聞かすように、俺は叶人にそう言った。
「普段通りに……だよねっ、だよね! じゃあさ陽向くん、うさぎのもっふんちゃま土日で仕上げちゃお? あ、バイト明日は夕方からだっけ? 今日泊まっていく? そしたら朝からまた一緒に作業できるよね?」
「全部まとめて、そうしようかな」
「じゃあ、お風呂入っちゃう? 僕はさっき入ったからね」
叶人の部屋にある、俺専用の引き出しに常備してあるお泊まりセットを、いつもは自分で準備しているのに。今日は叶人が引き出しを開けてパジャマや歯磨きセットを出して準備してくれた。
あきらかに動揺している叶人。
「はい、これ。お風呂いってらっしゃい! 僕はお母さんたちに陽向くんが泊まること言っておくからね」
「あ、あぁ、ありがとう」
てんやわんやしている叶人をじっと見つめた。
そんな姿も可愛い。
ハグしたらドキドキした様子だったし、俺のこと、好きなのか嫌いなのか――。この際、はっきりさせたくなってきた。
「なぁ叶人、聞きたいことあるんだけど、聞いていい?」
「な、何?」
「叶人、俺のこと好き?」
「えっ? いや、学校でも言ったけど……陽向くんのことは大好きだけど、そんな恋人として好きではないよ……って思っていたけど」
叶人が話す言葉の語尾が、小さくなってくる。
大好きだけど、恋人として好きでは、ない?
「お、俺のことは結局大好きなのか?」
「うん、大好きだよ」
大好きだけど、恋人として好きでは、ない……。あれ、俺、叶人のどんな言葉に傷ついていたんだっけ?
「とりあえず頭の中、風呂の中で整理してくるわ」
「僕も、なんか頭の中がぐるぐるしてワケわからなくなってきたから、陽向くんがお風呂入っている時にひとりで考えてみる」
「じゃあ、また後で!」
俺は一階にある風呂に向かった。
俺が泊まることを親に伝えておくと叶人は言っていたけれど、多分叶人は頭の中が忙しくて忘れていそうだから、途中、リビングを通り直接叶人の両親に泊まるのを伝えた。そしたらいつものように優しい叶人の両親は、笑顔で受け入れてくれた。
浴室に行くと全身を洗い、湯船に浸かる。
この家の湯船の中には、いつも俺の好きな森の香りと色がする入浴剤が入っている。思いきり香りを吸い込んだ。
答えはほぼ見つかったけれど、頭の中を整理してみよう。
「そんな好きではないし」
俺の頭の中を悩ませていた言葉はこれだ。
たしか、その前に「お前ら恋人みたいだな」とクラスメイトの夏樹の言葉もあった。
『恋人としての、好きではない』
――はぁ、そういうことかよ!
叶人から嫌われたら、もう何もやる気しない。想像しただけでしんどい。お湯の中に顔を沈めた。
嫌われていなくて、よかった!
だけど、叶人は恋人としての好きではないって言っていたけど、叶人もドキドキしていたし。
ハグした時の感触を思い出して、お湯の中から顔を出した。緊張感と叶人を愛おしいと感じた気持ち。それに、俺も先輩が教えてくれたドキドキ、かなりした。
――俺は、叶人を恋の人として好き、かもしれない可能性もある。
いつも通りに過ごせばいいと、叶人には言ったものの、どうすればいいのか。
風呂から上がると叶人の部屋に戻った。
「おかえり!」
「ただいま」
「うさぎのもっふんちゃま、多分明日で完成できそうだよ」
俺の予想では、さっき起きたドキドキについて叶人はずっと考え、何も手につかないと思っていたのに。ウサギ制作作業を進めていた。
俺も何事もなかったかのように、ウサギの足をチクチクし、作業をする。そうだよな、特に何か関係が変わるわけでもないし、叶人のように、いつもと変わらない気持ちで過ごしていけばいいんだよな――。さっきはなんであんなに悩んでたんだ?とも思えてきた。
そうして寝る時間がやってきた。
叶人はベットの上に、俺は床に布団を敷いていつも寝ている。今日もふたり並んで横になり、部屋の灯りを常夜灯にした。
目を閉じてしばらくすると「ねぇ」と小声で俺を呼ぶ声がした。この時間が久しぶりに来たか。
叶人は、叶人の〝起きてる〟と〝眠ってる〟の狭間の時間に、本音を話してくれる時がある。寝ぼけているのだろうと思う。しかも翌日はあんまり話した内容を覚えていないらしい。
「叶人、どうした?」
ほわんとしている表情の叶人と目が合った。
「僕ね、ハグしてからずっと陽向くんを意識しちゃってる」
「意識?」
「うん、恋人としての意識」
さっきまでは何事もなく過ごしている様子だったのに。頑張って気持ちを隠していたのか?
「僕ね、陽向くんとだったら、恋人になってもいいと、おも……」
話の途中で叶人は完全に眠りの世界へ行った。
俺は話の続きが気になって、しばらく眠れなかった。
――俺も、叶人となら恋人になってもいい。
ふと、何故か他の人と叶人が恋人になっている景色を想像してしまった。それは完全に嫌だな。俺はずっと、叶人の一番でありたいし隣にいたい。
「可愛い!」
僕は完成したうさぎのもっふんちゃまと目が合った瞬間、叫んだ。
陽向くんが家に泊まってくれて、朝からも一緒に制作作業をしていた。昼が過ぎた頃、ついにうさぎのもっふんちゃまは完成した。「顔を可愛くできる自信がないから、やってほしい」と陽向くんがお願いをしてきた。鼻と口と頬、そしてつぶらな目はうさぎのもっふんちゃまの顔を何回もネットで確認しながら、僕が作った。
「叶人は、可愛くするのも上手だな」
「顔は大事だからね、可愛くできてよかった! 陽葵ちゃん、喜んでくれるかな?」
「想像以上に上手く可愛くできたし、陽葵の反応が楽しみだ。叶人、ありがとな!」
陽葵ちゃんが喜んでくれるのも嬉しいし、陽葵ちゃんが喜ぶと陽向くんも嬉しくなる。そしたら僕も嬉しくなって、幸せな気持ちになれるんだ――。
どうか喜んでくれますように!
「ラッピングはうちで、こそっとやるわ」
「うん、分かった」
うさぎのもっふんちゃまを陽向くんに渡す時、陽向くんの手と僕の手が触れて、僕の全身がビクッとなった。
「「あっ、ごめん――」」
ふたり同時に謝った。
またドキドキしてきてしまった。
僕は昨日の夜から、陽向くんをとても意識してしまっている。
陽向くんとハグをした時のドキドキは、本当に凄かった。陽向くんがお風呂に入ってからもしばらくずっと「これは恋なのかな?」って考えていた。けれど、もうすぐ完成するうさぎのもっふんちゃまが目に入って、僕は今、恋について考えている場合ではない。やらなければならない使命があるのだと思い出して、作業を再開させた。それからは表面では何事もなかったかのように今、この時まで過ごしてきた。
「か、叶人は、次、何を作るの?」
「小鳥かな? 陽向くんは?」
顔を見るともっとドキドキしそうだけど、目をそらしすぎたら陽向くんが悲しい気持ちになってしまうかもしれない……僕は頑張って、陽向くんと目を合わせた。
「どうしよう……叶人と作るの楽しかったから、また何か作りたい気がするけれど」
――僕と一緒に作るの、楽しいって思ってくれたんだ。嬉しいな!
「陽向くんが一番好きなものを作るとか? そしたら完成させるのがもっと楽しみになって、楽しくなるよ」
陽向くんは僕の顔をじっと見てきた。
「じゃあ、叶人を作ってみようかな――」
「ぼ、僕ですか?」
「うん、だって、ほら……いや、うん」
「じゃあ……僕も陽向くん作ってみようかな」
今の話の流れって、一番好きなのは僕って意味だよね? だから僕も一番好きな陽向くんを作ってみようかな?って思った。
その気持ちをそのまま陽向くんに伝えたいけど、なんか恥ずかしくて言えない。昨日までは素直に好きって気持ちを伝えられていたのに。
――恋の好きを意識しちゃうと、どうしてだろう。上手く伝えられなくなっちゃう。
***
連休が過ぎて、さらに暖かい季節になった。
何故かお互いのキャラを羊毛で作ることになったから、学校か家で少しずつ作業を一緒に進めた。まずは二頭身ぐらいのキャラにした僕たちのイラストを描いた。陽向くんは実はあんまり絵を描くのが得意ではなく。陽向くんの数少ない弱点かな? 〝陽向くんが作る僕〟も、僕が描くことに。
イラストが描けたら、それを参考にしながら各パーツを型紙に、羊毛を直接重ねて大きさが確認できるように、実物の大きさにして描く。
作りたいイメージのイラストは毎回簡単に描いていたけれど、こんな感じかなと、いつもは感覚だけで羊毛フェルトをやっていた。こんな丁寧に型紙に描いたりするのは初めて。
陽向くんを作るのだから、多分過去最高に丁寧に作る予感がする。今回は期限がないから、羊毛フェルトの陽向くんにスズメのショルダーバッグを持たせたいなとか、追加でアイディアが浮かんでくる。
チクチクチク……。
僕たちの羊毛フェルト制作作業は進んでいく。本当に一緒に作業をする時間が幸せ――。
ちなみに陽向くんは無事にうさぎのもっふんちゃまを渡せたみたい。「予想以上に喜んでくれた」って言いながら、陽向くんはニコニコして嬉しそうで、僕も幸せな気持ちになれた。
陽向くんは僕にたくさんの幸せをくれる。
ずっとずっと、陽向くんと一緒にいたい。もしも恋人になったら、その願いは叶うのかな?
陽向くんには内緒だけど、僕はハグしてからずっと陽向くんを恋の人として意識をしているし、恋人になっても良いと思っている。前よりも陽向くんがキラキラしてみえるし、一緒にいてドキドキすることも増えた。それと、もしかしたらだけど、ハグをしたから僕の中で眠っていた陽向くんへの恋心が覚醒し、今の気持ちになったのかもしれなくて。実は昔から陽向くんのことを恋の人として好きだったのかもしれないとも考えた。
だけど恥ずかしいから、陽向くんには何も伝えられなさそう――。