昨日、タミオスから言われていたとおり、フィアナはナシオンと一緒に巫女たちから話を聞くことになった。
隣を歩くナシオンをちらっと見上げる。
「何? 俺の顔に何かついてる?」
「いいえ」
あえて言うなら、目と鼻と口だろうか。相変わらず、悔しいくらいに整っている顔立ちだ。
王国騎士団と聖騎士団の大きな違いといえば、顔立ち、容姿だろう。がっちりと身体を鍛え上げている王国騎士団の顔は、日に焼け引き締まっている。それに引き換え聖騎士団は、線が細く顔立ちもやさしい者が多い。
そのなかでもナシオンは聖騎士よりも顔立ちをしているだろう。むしろ情報部にはそういった者が多い。
また、王国騎士団が黒い騎士服を身にまとうのならば、聖騎士団は穢れのない白の騎士服。
それだけ求められるものが違うといえば、それまでなのだが。それでも情報部の人間だけは黒い騎士服を普段は身につけない。一目見ただけでは騎士団所属とはわからないような姿である。だからフィアナとナシオンも、そういった姿で目的地に足を運んだ。
大聖堂は大きな窓と尖塔アーチを供え、白い石造りの建物をできるだけ軽く高く見せるようにと作られている。これがこの建物の特徴ともいえるだろう。
「王国騎士団情報部、フィアナ・フラシスです」
「同じく、ナシオン・ソレダー」
大聖堂の正門の両脇に立っている聖騎士に、銀プレートを見せる。これは私服で調査する情報部の人間にとって、騎士団所属であることを示す証なのだ。普段は見えない場所に身につけ、必要なときに提示する。
「今日はお二人ですか?」
門番の聖騎士からはそんな質問があがった。
「はい。今のところは……。ですが、人手が足りない場合は、応援を頼むこともあります」
「昨日のような人たちがやってくるなら、お断りしようかと思っていたのですが……」
そこまで言って、門番は口をつぐむ。
「どうぞ、中にお入りください。すぐに係の者が案内します」
「ご協力、感謝します」
「……いえ。真実を知りたいのは、私たちも同じですので」
どうやら、第一騎士団はよい印象を持たれていないようだ。
フィアナとナシオンは正門をくぐり、エントランスへと向かった。
広々としたそこには、見知った顔の聖騎士が出迎えてくれた。
「あなたに来てもらうように、私のほうからお願いしましたので」
親しげに声をかけてくる。
「第一ではダメだったのでしょうか?」
「巫女たちは、ああいった男性を見慣れておりませんので」
その言葉にナシオンが肩をすくめる。
「巫女たちは教室に集めています。ですが、どうしても手の放せない者も何人かおりまして」
そう言った彼は、フィアナに名簿を手渡してくれた。
教室とは幼い巫女や聖騎士見習いが一斉に教育を受ける部屋だ。そこに巫女たちを集め、隣の指導室で話を聞くようにと、彼が手はずを整えてくれていた。
「まずは、カリノさんと近しい者から話が聞ければと思っています」
「ああ。でしたら、カリノと同室だった者がいいですね」
「お願いします」
指導室に案内され、フィアナとナシオンは用意された椅子に座る。
「あなたは男性だから、少し離れた場所にいたほうがいいでしょう」
ここまで案内してくれた聖騎士は、ナシオンにそう言って、ニタリと笑った。
ナシオンは何か反論したそうであったが、フィアナがそれを手で制した。
聖騎士が部屋を出ていったのを見届けてから、ナシオンが苦々しく口を開く。
「なんなんだ、あいつは」
「ナシオンさん、抑えてください。すぐに巫女が来ますから。彼女たちは浮世離れしているんです。男性に慣れていない者がいるのも事実です」
トントントンと、扉が叩かれた。
フィアナはナシオンに目配せをしてから、立ち上がってその扉を開ける。
「こんにちは。よろしくお願いします」
やってきたのは、十二、三歳くらいのカリノと同年代と思われる少女だった。目線の高さはフィアナとほぼほぼ同じだから、きっと似たような背の高さなのだろう。
少女も驚いたように、目をくりっと大きく広げた。
「このような格好で申し訳ありませんが、私も騎士団に所属する騎士ですので」
門番の聖騎士に見せたように、フィアナは服の間から銀プレートを取り出し、それを巫女の前に出した。
「どうぞ、そこのお座りになってください。そんなに緊張なさらずに」
フィアナがにっこりと笑みを浮かべると、巫女の表情も少しだけ和らいだ。
「では、お名前から教えてもらえますか?」
「はい」
少女はメッサと名乗った。カリノとは四年前から同室とのこと。聖女が殺され、同室の巫女が殺人犯として拘束されているというのに、混乱している様子はない。
ただ、何が起こったのか信じられないと、そういった言葉は口にした。
「部屋は、四人くらいで一緒なんですけれども。巫女でも上の地位になれば、一人一部屋になります」
偉くなればなるほど、与えられる部屋が立派になるのは、どこの世界も同じようだ。
「カリノは夜が怖いみたいで、それに眠りも浅いから、よく毛布にくるまってうさぎのぬいぐるみを抱っこして眠っていました」
「うさぎのぬいぐるみ?」
「はい。カリノが巫女になるときに、唯一、持ち込んだものだと聞いています」
それからメッサは、カリノの普段の様子を教えてくれた。
カリノがいたって普通の巫女ということが、話を聞いてよくわかった。
突出することがない。目立たないけれども、落ちこぼれでもない。いたって普通。
「一昨日の夜から昨日の朝にかけて、何時頃、カリノさんが部屋を出たかわかりますか?」
その質問にメッサは首を横に振る。
「私はカリノと違って、一度眠ったら、朝までぐっすりなので」
「メッサさんが目覚めたとき、カリノさんはすでに部屋にはいなかったのですよね? 彼女の姿が見えないから、捜しに行こうとか、そんな話にはならなかったのでしょうか?」
「申し訳ありません……毎朝、カリノは私が起きるより先に、礼拝室で祈りを捧げているので、昨日もてっきりそう思っておりました。ですが、朝食の準備の時間になってもカリノの姿が見えなくて、もちろん朝食の時間になっても現れなくて……怖い騎士様たちがやってきて……」
次第に声と身体を震わせるメッサの姿を見ると、胸がツンと痛んだ。彼女たちは、第一騎士団の彼らを非常に怖がっているようだが、その原因がわかったような気もした。
「メッサさん。怖いことを思い出させて申し訳ありません」
メッサは黙って、ふるふると首を横に振った。
「夜中に、誰にも気づかれずに大聖堂から出ることは可能なのでしょうか?」
敷地は高い壁でぐるりと囲まれている。唯一の入り口は、先ほどフィアナも通ってきた正門であるが、あの門は夜間になれば閉ざされると、昨日、第一騎士団が報告してきた。
「それは……よくわかりません。少なくとも、私は知りません」
メッサから目を離さないフィアナだが、彼女が嘘をついているようには見えなかった。
きっとカリノしか知らないような秘密の抜け道があるのだろう。それについては、カリノから聞けばいいだろう。もう一度、話せる機会があれば、の話だが。
「では、話題を変えましょう。先ほど、四人で一部屋と言いましたが……あなたの部屋はカリノさんと二人きりのようですね」
フィアナは次の話題へとうつった。それは先ほどの聖騎士が手渡してくれた名簿からの情報だ。
「はい。他の人は部屋を出ていきました。今は二人部屋、一人部屋に移っています」
「部屋を移る条件。あなたはそれを知っていますか?」
「いいえ。詳しくは知りません。ですが、ファデル神へ祈りを捧げ、その祈りがファデル神に届いたときとも言われています」
話が抽象的すぎて、フィアナにはさっぱりわからない。
「聖女ラクリーア様について教えていただいてもよろしいですか?」
「はい。ラクリーア様の何が聞きたいのですか?」
「神聖力とは、いったいどのような力なのでしょう?」
神聖力と呼ばれる魔石のような力が使えるのであれば、殺される前に反撃ができたのではないかと、フィアナは考えていた。
「神聖力……聖女様が使える力です。私たちは湯を沸かしたり火を起こしたりするのに魔道具を使いますが、聖女様には魔道具が不要です。むしろ。聖女様の力を再現したものが魔道具であると、そう枢機卿が言っておりました」
聖女の力が魔道具になる。それはフィアナも知らなかった事実。何気なく使っていた魔道具にそんな謎が隠されていたとは。
「では、魔道具でできることは、聖女様は神聖力でできることだと?」
「そうです。そういえば次は……遠く離れた人とすぐに言葉のやりとりができるような、そんな魔道具を作りたいと枢機卿は言っておりました」
遠く離れて居る人と言葉のやりとりができる。
そんな魔道具があれば便利になるだろう。今はまだ、手紙を送ったり、急ぎであれば伝書鳩を使ったり。
「では、聖女様は、遠く離れた人と言葉のやりとりができるのですね?」
「はい、そうだと思います。詳しくはわかりませんが……」
彼女は実際の方法などは知らないにちがいない。
フィアナは話題を変える。
「聖女様がお亡くなりになられて、大聖堂は混乱しているのではありませんか?」
「はい。ですが、人とは必ず死ぬ生き物です。それが聖女様であっても同じです。聖女様も元は同じ人間ですから」
「次の聖女様は決まっているのですか? 神聖力を持っている巫女はいるのでしょうか?」
「それは、よくわかりません。神聖力は、だいたい十四歳前後までには現れるようです。残念ながら、私には神聖力がありませんでした……」
名簿を見て、フィアナは目の前の少女が十四歳であることに気づいた。
「いろいろとお話を聞かせてくださって、ありがとうございます」
メッサからは十分に話を聞き出せた。
その次も、カリノと同年代の巫女から話を聞いた。ちょうどこの年代の巫女たちは、例の神聖力が出現するかしないか、微妙な年頃らしい。
聞いたところ、この子も神聖力は目覚めなかったとのこと。これからも巫女としてファデル神の教えに従い、大聖堂に尽くすと決めたようだった。
フィアナは名簿を見ながら、話を聞いた人物を確認していく。
集められた巫女のなかでも、十八歳から二十歳くらいの人数が少ない。存在はしているものの、他の作業に従事しているのだろう。
他の巫女に確認してみると、彼女たちは別の奉仕作業があるから不在なのだと言った。
神聖力はだいたい十四歳くらいまでに出現するが、その次は十八歳のときに神託がおり、一部の巫女はファデル神に選ばれるらしい。そうなると、他の作業を与えられるのだとか。
そのような巫女を、大聖堂では上巫女と呼んでいるようだ。そして巫女でありながら、聖女と共に聖職者に分類されるらしい。
これは、大聖堂の中だけで通じる言葉や規則とのこと。もちろんフィアナは、そういった話を聞いたことがない。
チラリと顔をあげてナシオンに目で訴えると、彼も首を横に振ったから、彼も知らなかったのだろう。
五番目に話を聞いたとある巫女は、十九歳になってもファデル神に認められなかったため、これからも掃除、洗濯、料理など、聖職者たちのためにやっていかねばならないなぁ、なんて、寂しそうにぼやいていた。そう言った彼女は、年相応の女性に見えた。
「巫女として大聖堂に入ると、結婚などはできないのでしょうか?」
「いえ、できますよ。ですが、相手も聖騎士など、大聖堂と縁ある人になりますし、聖女や上巫女となると話は別です」
「結婚したら、巫女や聖騎士を辞めなければならないのですよね?」
「そうです。そういった身分は剥奪され、他の場所で一から始めなければなりません。それに、年に数回、大聖堂に寄付をする必要があると聞いております」
そういった寄付金が、大聖堂の資金源になっているにちがいない。
「今までも、結婚をして巫女や聖騎士を辞められた方はおりますか?」
「ええ、そうですね。年に一、二組は、そういう者もおります。ただ、大聖堂にいれば生活は保障されますからね。いくら好きな相手ができたとしても、いっときの感情と一生を天秤にかけて判断をする者が多いかと」
その結果、目の前の巫女は、一生、大聖堂で暮らす選択をしたにちがいない。そうやって話をしているときに、いっときの劣情が彼女の表情に表れた。
和んだところで、カリノについて質問する。
しかし、誰もが口をそろえて、カリノはよくも悪くも目立たない子だと言う。それでも仕事はしっかりとこなすから、他の巫女からも聖職者たちからも覚えはよい。真面目な子、そういった話もあった。
それにまだ十三歳というのもあって、神聖力を有することも期待されていた。
「カリノにはお兄さんがいたわよね」
「そうそう、聖騎士のキアロ様よね」
はじめは一人ずつ話を聞いていたが、何よりも人数が多すぎた。これでも全員ではないというのだから、やはりナシオンとの二人だけでは、どだい無理な話だったのだ。
カリノと近しい者の話を聞き終えてからは、こうやって一度に複数の巫女から話を聞くようにした。しかし、これが功を奏したのか、彼女たちの口は軽くなる。今、フィアナの周りには四人の巫女がいる。こうなれば、居づらいと思うのはナシオンで、彼は部屋の隅にちょこんと座っていた。
いくら巫女と呼ばれるようが、やはり年頃の娘なのだ。誰かと何かを話したくてうずうずしていたにちがいあるまい。まして、このような大きな事件が起こったのであればなおさらのこと。
だからこそ今、彼女たちはおしゃべりに花を咲かせている。
「そういえば、キアロ様はラクリーア様とも仲がよろしかったですよね」
フィアナはひくりとこめかみを動かした。むしろ、そういった話が聞きたかった。
「キアロ様が、ラクリーア様の専属護衛にという話もあったそうですよ」
「お似合いのお二人ですものね」
「それで、キアロさんは聖女様の専属護衛になられたのですか?」
きちんと聞いておきたい話には、フィアナも口を挟む。そうしなければ、彼女たちの話題はコロコロと変わるからだ。
「いいえ」
一人の巫女が首を横に振った。
「教皇様や枢機卿が反対されたと聞いております。キアロ様がまだ若いというのが理由です」
理由としておかしなところはないだろう。
「今、キアロさんはどちらにいらっしゃいますか?」
昨日の第一騎士団の報告では、キアロは大聖堂にはいないということだった。となれば、どこにいるのかまで突き止めればいいのに、彼らではそれ以上の話を聞き出せなかったのだ。
だからフィアナが今、ここにいる。
「キアロ様は、東のほうに派遣されていると聞いております。そういえば、カリノがそのようなことを言っていたような……」
「聖騎士がどこに派遣されるのかだなんて、私たちもいちいち把握していないので、それについては枢機卿か教皇様にお尋ねになったほうがよろしいかと」
それでも彼女たちは、フィアナに十分な情報を与えてくれた。
チラリと縮こまっているナシオンに顔を向けると、彼は小さく頷いた。
「今日はありがとうございました」
フィアナが礼を口にすると、巫女たちも互いに顔を合わせて「失礼します」と言い、席を立つ。
最後の背中を見送ってから、フィアナは大きく息を吐いた。
「疲れましたね」
「まあ、な。ほらよ」
ナシオンが水差しからグラスに水を注ぎ、それをフィアナに手渡した。
「ありがとうございます」
冷たい水が喉をゆっくりと通り過ぎていく。フィアナが感じていたよりも、身体は水を欲していたようだ。一口、二口だけ飲むつもりだったのに、途中でやめることができずにすべてを飲み干してしまった。
「……ふぅ」
「だけど、さすがフィアナだな。かなり情報を聞き出せただろう」
少なくとも、第一騎士団が話を聞いた昨日よりは、貴重な話を聞けたはず。
「そうですね。ここに来て、もう一人の人物が浮上しましたからね」
「聖騎士キアロか?」
ナシオンの言葉にフィアナは首肯する。
話を聞いたかぎりでは、ラクリーアは少なくともキアロに好意を寄せている。その好意がどういった種類のものであるかはわからないが、たびたび二人でいるところを目撃されているのだ。それに、専属護衛の話が出るくらいなのだから、二人の間には信頼関係も成り立っていたはずだろう。
巫女たちから話を聞き終えたフィアナとナシオンは、大聖堂を後にする。案内してくれた名も知れぬ聖騎士には感謝の気持ちを示した。
「また、お話を伺うこともあるかもしれませんが……」
フィアナの言葉に、聖騎士は「あなたが来てくださるなら、問題ありませんよ」と、意味ありげに微笑んだ。
ナシオンと並んで、本部へと足を向ける。
「なんなんだ? あいつ。フィアナの知り合いなのか?」
ナシオンの言う「あいつ」とは、先ほど大聖堂内を案内してくれたあの聖騎士のことだろう。そもそも最初に顔を合わせたときから、ナシオンは彼に対して不快感を示していた。
「知り合いと言いますか、一応、同じ騎士ですから。仕事で顔を合わせた程度です。ですから、名前は知りません」
むしろナシオンだって、顔を合わせたことがあるのではないかと思うのだが、どうやら彼にとっては初対面の相手だったようだ。
ナシオンと一緒に大聖堂関係者の捜査にあたるのは初めてのこと。フィアナがあの聖騎士と会ったのは、彼がここの本部をたまたま訪れたときに、たまたま案内しただけ。
あのとき、彼がなんのために本部へ来たのかはわからない。ただ、彼も聖騎士でフィアナも女性騎士となれば、自然と話が弾んだ。
「ふん」
フィアナの答えに納得がいったのかいかないのか、ナシオンは鼻息荒く返事をした。
「ナシオンさんは、どう思いましたか?」
「何がだ? あのいけ好かない聖騎士ヤローか?」
「ではなく、巫女たちのことです」
「ああ」
納得したようにナシオンが頷く。
「嘘をついているようには思えなかった。だけど、何かを隠しているような感じがした」
「なるほど。さすが、ナシオンさんですね。話を聞いてはいたものの、違和感があって……それがきっと、隠し事を隠そうとしているからなのでしょうね……」
それは、カリノも同じだ。何かを隠している。
騎士団本部に戻ったフィアナは、すぐに報告書の作成に取りかかった。もちろん、夕方の会議で報告もしなければならないが、報告書としてタミオスにも提出しなければならない。
カリノと同室だったメッサの話をまとめて、神聖力の表れる時期、その後、神託がおりる時期について記載する。
それから巫女と上巫女の話、巫女たちの結婚観や、カリノの兄、キアロの居場所について。
最後に、カリノが聖女を殺す動機について思い当たる巫女はいなかった。むしろ、巫女たちはカリノに聖女は殺せないのではと感じているようだ、と。
(巫女たちの起床時間は、朝の四時半。朝食は六時から。そしてカリノが東分所に出頭したのも朝の六時。メッサさんの証言と時間は合っている……)
報告書を、もう一度読み直す。
(この時期の日の出は五時半ごろ。暗闇のなか、聖女様を殺して切り刻む。それをカリノさん一人で可能なのかしら?)
時系列で考えたとしても、カリノがラクリーアを殺したのは真夜中だろう。メッサの話と出頭時間が考えれば、前日の夜の十時から朝の五時までが犯行時間にちがいあるまい。
(死亡推定時刻……何時だった?)
そこまで考えたとき、ナシオンが「ほらよ」と紅茶の入ったカップを差し出した。
「ありがとうございます」
「何、一人で百面相してるんだよ」
「え? そんな変な顔、してました?」
「してた。可愛い顔が台なしだな」
ナシオンの指がフィアナの頬をふにっとつねる。
「あ、ちょっと。やめてください」
その手をパシンと叩き落とした。
「フィアナには悩んでる顔は似合わないよ。もっとこう、余裕しゃくしゃくじゃないとな。で? 何をそんなに悩んでるんだ? 俺では力になれない?」
ナシオンのこういう距離の詰め方がずるいのだ。
「そうですね……」
そこでフィアナは喉の渇きを潤すかのように、紅茶を飲んだ。
「うっ……濃いですね……」
思っていたより渋めの紅茶だった。昨日も彼からもらった紅茶が渋かったのを思い出した。
「頭がすっきりするだろ?」
「そうですね……ナシオンさん。これ、見てもらえますか?」
先ほど、簡単に書き出したカリノの動きである。
「どう考えても、暗闇の中でカリノさんが聖女様を殺す必要があるんです。ですが、そんな暗闇の中、カリノさんのような女性が一人で聖女様を殺して、切り刻むなんて可能でしょうか?」
「そうだな。まず、暗闇なんていうのは、魔道ランプさえ使えば解決するだろ?」
魔道ランプ。その名の通り、暗闇を照らす魔道具のことだ。
「殺害現場は、大聖堂から少し離れた川沿いの原っぱだよな?」
「カリノさんの証言によりますと、そのようですね。そこの近くの川底から、首切断のために使われた斧が出てきたので、間違いないでしょう」
「そこで少しだけ魔道ランプが光ったとしても、他の者は気づかないだろうな」
さらに魔道ランプには、光の強さを調節できる機能があったはず。
それに真夜中に川沿いまで出歩くような者もいないだろう。目撃証言など期待できない。
「となれば、カリノさんが使用した魔道ランプがどこかにあるわけですよね? それを第一は見つけているのでしょうか?」
「あ~、どうだろうな」
そこでナシオンは、今朝の捜査会議で配布された資料を、パラパラとめくる。
「おお。見事に見つけていないね。今のところ、首切断の斧だけだって。凶器も見つからない。ランプも見つからない。これで彼女を犯人にというのは、いくら自供があったとしても厳しいな」
「ですよね……」
フィアナは腕を組んで、椅子の背もたれに身体を預けた。
「う~~~~ん」
唸っていると、また「フィアナ」と大きな声で名を呼ばれた。
やはり、その声の主はタミオスだった。
「はい」
手を挙げて立ち上がると、目が合った。ずんずんと彼は勢いよく近づいてくる。
「フィアナ。明日は容疑者の取り調べを担当してくれ」
「あれ? カリノさんは他の人間が担当になったのではないのですか? 私は第一の代わりに巫女の担当だと思っていたのですが」
「それがな……」
そこでタミオスは、ガシガシと頭をかいた。
「お前じゃないと、しゃべらないってさ」
意味がわからず、フィアナは小首を傾げる。
「容疑者。担当を昨日の人にしろと、騒いだらしい。そうしないと、何も喋らないってさ」
「フィアナは巫女にもてるんだな」
ナシオンが茶々を入れた。
カリノも巫女ということを考えれば、その言葉も間違ってはいない。
「承知しました。これからですか?」
「いや、今日は一度、話を聞いたからな。明日以降だ」
取り調べと称して話を聞くのは、一日一回とされている。それは容疑者の心身負担を考えてのことだが、この一回に時間制限はない。
話を聞く側の人は変わっても、話をする側はずっと一人のままという手法すら許されている。
しかし今回は、カリノの年齢を考慮して、そういったふざけたような手法は使わないのだろう。あれがいい方法ではないことをフィアナもナシオンもよく理解しているつもりだ。あれは、昔の人間が好むやり方。
「では、今日はカリノさんからは何も話を聞き出せていないと?」
「そうだ。凶器が見つかっていない。だから何がなんでもそれを聞き出せというのが第一の奴らからの指示なんだがな」
何も証言を得られていないから、今日の会議で報告することは何もない。そうとでも言いたげなタミオスの顔だ。
「自分たちは巫女から話を聞き出せないくせに、こういうときばかり俺らをやり玉にあげるのがあいつらでは?」
ナシオンの言葉に、タミオスは肯定も否定もしなかった。彼の立場を考えれば、ある種、これが正しい反応なのかもしれない。
「こちら。今日、巫女たちから聞いた証言をまとめたものになります」
微妙な空気を打ち消すかのように、フィアナは報告書を手渡した。
「なかなか興味深い話が聞けたかと思います」
「わかった。今日の報告も頼む」
報告書はタミオスに渡すものの、全体会議で報告をするのはフィアナかナシオンの役目だ。どちらがするか決まりはないので、その場の気分次第で決める。
だが、巫女から直接話を聞いているのはフィアナなので、この案件に関してはフィアナが報告する。
報告書に目を通したタミオスは、特別、何も言わなかった。この流れにそって報告すればいいだろうと、それくらいだった。
夕方の会議にナシオンと共に出席したフィアナだが、第一騎士団からは信じられないような報告があがる。
「容疑者カリノの兄、キアロですが、派遣されている東のドランの聖堂にはおりませんでした」
王都から東にあるドランの街。馬車で半日かかる場所にあるが、騎士団が所有する早馬であれば、その半分の時間で行き来が可能だ。
「いない? いないというのはどういうことだ?」
そんな声が捜査本部長からあがった。そう聞きたくなる気持ちもよくわかる。
隣に座っているナシオンに視線だけ向けると、彼の口の端もひくひくと動いていた。何かしら文句を言いたいようだ。それを堪えている。
「はい。大聖堂の聖騎士から、キアロは東のドランの聖堂に派遣されていると聞き、そこへ向かったわけですが。ドランの聖堂にいる聖騎士からはキアロは来ていないと……」
消え入るような語尾は、この次に聞こえてくる言葉がわかっているからなのだろう。もしくは、はっきりと言いたくないのか。
身体の大きな男性騎士が、背中を丸めている様子を目にすると、ほんの少しは同情していまう。
「来ていない? もう少し、わかりやすく説明しろ」
「は、はい。聖騎士キアロですが、大聖堂から東のドランの聖堂に派遣される予定でした。大聖堂を出た姿は仲間の聖騎士に目撃されており、挨拶も交わしていることから間違いはないかと思います。ドランの聖堂にいる他の聖騎士に確認したところ、キアロが派遣される話は聞いていないと……」
また語尾が小さくなっていく。
「引き続き、キアロの行方を追うこと。それから大聖堂とドランの聖堂の関係者から話を聞くように」
「は、はい……」
つまり、キアロは行方不明。
その事実をカリノに伝えていいものかどうかと一瞬悩んだものの、むしろ彼女はキアロの行方を知っているのではないかと、そう思えてきた。
フィアナの番がやってきて、メッサたちから聞いた話を端的に伝えた。やはり突っ込まれたのは、夜中にカリノが大聖堂からどうやって出ていったのかという点である。
「その件に関しましては、本人から直接話を聞きます」
どちらにしろ、明日はカリノから話を聞かねばならない。
それ以上の追求はなく、フィアナの報告は終わった。
**~*~*~**
「カリノにはお兄様がいらっしゃるの?」
ラクリーアとは、眠れない夜に川のほとりでよく話をした。
川面で波打つ月の形をぼんやりと眺め、穏やかな川の流れを聞くだけで心は凪いだものだ。
その場所を知ったのはたまたまただった。
仕事の多い巫女であるが、少しは自由時間がもらえる。その時間を、カリノは散歩の時間に当てていた。庭園をふらふらと歩きながら花を愛でる。そんななかで、大聖堂側と向こう側をつなぐ秘密の抜け穴を見つけたのだ。
昔からあった抜け穴なのかもしれないが、少なくともカリノが知っている巫女らは、この穴について何も言っていない。
カリノは、ふと誰もいないような場所で静かに時を過ごしたいと思った。
みんなも寝静まった夜ならば、この穴を使って壁の向こう側へ行ってもみんなには知られないだろう。
そんな気持ちが働いた。
手にする荷物は少ないほうがいい。そう思って選んだのが満月の日だ。月明かりで道が照らされるため、魔道ランプを手にする必要はない。
抜け穴を通って壁の向こう側へ出ると、どこからか川の流れの音と虫の鳴き声が聞こえてきた。その音がする方向へと爪先を向ける。
先客がいた。それが聖女、ラクリーアだった。
それからというもの、満月の夜はこうやってラクリーアに会いにくる。
「はい。わたしの六つ年上です。今年で、十六歳になりました」
「あら? わたくしと同い年ね」
共通点があるだけで、親近感が沸く。それはカリノも同じで、こうやって川辺を訪れるラクリーアを、勝手に姉のように思っていた。つまり、家族のような存在。
三年前にラクリーアに誘われて巫女となり、大聖堂の暮らしは悪くないとは思いつつも、やはり心の底では家族を欲していたのだ。
「はい。聖騎士見習いのキアロです。覚えておりますか?」
キアロもラクリーアの言葉で大聖堂に入ったのだ。
「ごめんなさい」
そう言って首を横に振ると、ラクリーアの銀色の髪はさらりと揺れる。空から降り注ぐ月光も相まって、宝石のように輝く。
「あのときは、カリノのような子たちを救わねばという思いから、たくさんの子に声をかけてしまったから」
「そうですよね。わたしだって、あのとき一緒にこちらに来た人たちを全部覚えているわけではありません。まして、聖騎士となればなおのこと。だからラクリーア様が兄を覚えていなくても仕方ないかと思います。わたしがこうやってラクリーア様とお話できているだけで、奇跡のようなものですから」
「あなたは、わたくしに媚びないもの」
ラクリーアの艶やかな唇が、少しだけ歪んだ。
「せっかくですから、今度はあなたのお兄様も紹介してほしいわ。同じ年なのだし」
「わかりました。兄にはそれとなく伝えておきます」
ラクリーアがキアロに会いたいと言ったのが先だった。
キアロがラクリーアに会いたいと言ったわけではないのだ。
それにこうやって満月の夜にラクリーアと会っていることを、カリノは誰にも伝えていない。
誰かに言ったら、この時間を奪われるような気がしていたから。
同じ大聖堂内で生活しているといっても、自由自在にキアロと会えるわけではない。カリノは巫女であるし、キアロは聖騎士見習い。それぞれにやるべきことがあった。
それでも近場で作業しているときは、声をかけることも許されている。血のつながりのある兄妹だと枢機卿たちも知っているから、親しげに言葉を交わしても咎められるようなことはなかった。
寂しがり屋の妹が兄に甘えていると、微笑ましく見ているのだ。
「お兄ちゃん」
「なんだ? カリノ、お前の作業は終わったのか?」
ちょうど農作業を終えたキアロに声をかけた。
「終わったよ。今日の分のお洗濯。だから、お兄ちゃんと少しならお話してもいいって」
「ふぅん」
額の汗をぬぐいながら、キアロは興味なさそうに返事をする。だけど、口元がにやけているのは、カリノと会えて喜んでいる証拠でもある。
「ねぇねぇ、お兄ちゃん。秘密の抜け穴、知ってる?」
周囲には聞こえないようにと、キアロの耳元に唇を寄せて話をした。
「なんだ、それは」
やはり、あの抜け穴は知らない人のほうが多いのだ。カリノは、声をひそめてその場所をキアロに伝える。
「だから、お兄ちゃん。満月の日に、あっちにある川辺に来て。わたし、その日だけ、いつも川の音を聞いてるの」
キアロの手が伸びてきて、カリノの頭をクシャリとなでた。
「眠れないのか?」
「そういう日もある。けど、うさちゃんがいるから平気」
「そっか」
そう呟きながら、カリノの頭をなでるキアロの手はあたたかかった。
隣を歩くナシオンをちらっと見上げる。
「何? 俺の顔に何かついてる?」
「いいえ」
あえて言うなら、目と鼻と口だろうか。相変わらず、悔しいくらいに整っている顔立ちだ。
王国騎士団と聖騎士団の大きな違いといえば、顔立ち、容姿だろう。がっちりと身体を鍛え上げている王国騎士団の顔は、日に焼け引き締まっている。それに引き換え聖騎士団は、線が細く顔立ちもやさしい者が多い。
そのなかでもナシオンは聖騎士よりも顔立ちをしているだろう。むしろ情報部にはそういった者が多い。
また、王国騎士団が黒い騎士服を身にまとうのならば、聖騎士団は穢れのない白の騎士服。
それだけ求められるものが違うといえば、それまでなのだが。それでも情報部の人間だけは黒い騎士服を普段は身につけない。一目見ただけでは騎士団所属とはわからないような姿である。だからフィアナとナシオンも、そういった姿で目的地に足を運んだ。
大聖堂は大きな窓と尖塔アーチを供え、白い石造りの建物をできるだけ軽く高く見せるようにと作られている。これがこの建物の特徴ともいえるだろう。
「王国騎士団情報部、フィアナ・フラシスです」
「同じく、ナシオン・ソレダー」
大聖堂の正門の両脇に立っている聖騎士に、銀プレートを見せる。これは私服で調査する情報部の人間にとって、騎士団所属であることを示す証なのだ。普段は見えない場所に身につけ、必要なときに提示する。
「今日はお二人ですか?」
門番の聖騎士からはそんな質問があがった。
「はい。今のところは……。ですが、人手が足りない場合は、応援を頼むこともあります」
「昨日のような人たちがやってくるなら、お断りしようかと思っていたのですが……」
そこまで言って、門番は口をつぐむ。
「どうぞ、中にお入りください。すぐに係の者が案内します」
「ご協力、感謝します」
「……いえ。真実を知りたいのは、私たちも同じですので」
どうやら、第一騎士団はよい印象を持たれていないようだ。
フィアナとナシオンは正門をくぐり、エントランスへと向かった。
広々としたそこには、見知った顔の聖騎士が出迎えてくれた。
「あなたに来てもらうように、私のほうからお願いしましたので」
親しげに声をかけてくる。
「第一ではダメだったのでしょうか?」
「巫女たちは、ああいった男性を見慣れておりませんので」
その言葉にナシオンが肩をすくめる。
「巫女たちは教室に集めています。ですが、どうしても手の放せない者も何人かおりまして」
そう言った彼は、フィアナに名簿を手渡してくれた。
教室とは幼い巫女や聖騎士見習いが一斉に教育を受ける部屋だ。そこに巫女たちを集め、隣の指導室で話を聞くようにと、彼が手はずを整えてくれていた。
「まずは、カリノさんと近しい者から話が聞ければと思っています」
「ああ。でしたら、カリノと同室だった者がいいですね」
「お願いします」
指導室に案内され、フィアナとナシオンは用意された椅子に座る。
「あなたは男性だから、少し離れた場所にいたほうがいいでしょう」
ここまで案内してくれた聖騎士は、ナシオンにそう言って、ニタリと笑った。
ナシオンは何か反論したそうであったが、フィアナがそれを手で制した。
聖騎士が部屋を出ていったのを見届けてから、ナシオンが苦々しく口を開く。
「なんなんだ、あいつは」
「ナシオンさん、抑えてください。すぐに巫女が来ますから。彼女たちは浮世離れしているんです。男性に慣れていない者がいるのも事実です」
トントントンと、扉が叩かれた。
フィアナはナシオンに目配せをしてから、立ち上がってその扉を開ける。
「こんにちは。よろしくお願いします」
やってきたのは、十二、三歳くらいのカリノと同年代と思われる少女だった。目線の高さはフィアナとほぼほぼ同じだから、きっと似たような背の高さなのだろう。
少女も驚いたように、目をくりっと大きく広げた。
「このような格好で申し訳ありませんが、私も騎士団に所属する騎士ですので」
門番の聖騎士に見せたように、フィアナは服の間から銀プレートを取り出し、それを巫女の前に出した。
「どうぞ、そこのお座りになってください。そんなに緊張なさらずに」
フィアナがにっこりと笑みを浮かべると、巫女の表情も少しだけ和らいだ。
「では、お名前から教えてもらえますか?」
「はい」
少女はメッサと名乗った。カリノとは四年前から同室とのこと。聖女が殺され、同室の巫女が殺人犯として拘束されているというのに、混乱している様子はない。
ただ、何が起こったのか信じられないと、そういった言葉は口にした。
「部屋は、四人くらいで一緒なんですけれども。巫女でも上の地位になれば、一人一部屋になります」
偉くなればなるほど、与えられる部屋が立派になるのは、どこの世界も同じようだ。
「カリノは夜が怖いみたいで、それに眠りも浅いから、よく毛布にくるまってうさぎのぬいぐるみを抱っこして眠っていました」
「うさぎのぬいぐるみ?」
「はい。カリノが巫女になるときに、唯一、持ち込んだものだと聞いています」
それからメッサは、カリノの普段の様子を教えてくれた。
カリノがいたって普通の巫女ということが、話を聞いてよくわかった。
突出することがない。目立たないけれども、落ちこぼれでもない。いたって普通。
「一昨日の夜から昨日の朝にかけて、何時頃、カリノさんが部屋を出たかわかりますか?」
その質問にメッサは首を横に振る。
「私はカリノと違って、一度眠ったら、朝までぐっすりなので」
「メッサさんが目覚めたとき、カリノさんはすでに部屋にはいなかったのですよね? 彼女の姿が見えないから、捜しに行こうとか、そんな話にはならなかったのでしょうか?」
「申し訳ありません……毎朝、カリノは私が起きるより先に、礼拝室で祈りを捧げているので、昨日もてっきりそう思っておりました。ですが、朝食の準備の時間になってもカリノの姿が見えなくて、もちろん朝食の時間になっても現れなくて……怖い騎士様たちがやってきて……」
次第に声と身体を震わせるメッサの姿を見ると、胸がツンと痛んだ。彼女たちは、第一騎士団の彼らを非常に怖がっているようだが、その原因がわかったような気もした。
「メッサさん。怖いことを思い出させて申し訳ありません」
メッサは黙って、ふるふると首を横に振った。
「夜中に、誰にも気づかれずに大聖堂から出ることは可能なのでしょうか?」
敷地は高い壁でぐるりと囲まれている。唯一の入り口は、先ほどフィアナも通ってきた正門であるが、あの門は夜間になれば閉ざされると、昨日、第一騎士団が報告してきた。
「それは……よくわかりません。少なくとも、私は知りません」
メッサから目を離さないフィアナだが、彼女が嘘をついているようには見えなかった。
きっとカリノしか知らないような秘密の抜け道があるのだろう。それについては、カリノから聞けばいいだろう。もう一度、話せる機会があれば、の話だが。
「では、話題を変えましょう。先ほど、四人で一部屋と言いましたが……あなたの部屋はカリノさんと二人きりのようですね」
フィアナは次の話題へとうつった。それは先ほどの聖騎士が手渡してくれた名簿からの情報だ。
「はい。他の人は部屋を出ていきました。今は二人部屋、一人部屋に移っています」
「部屋を移る条件。あなたはそれを知っていますか?」
「いいえ。詳しくは知りません。ですが、ファデル神へ祈りを捧げ、その祈りがファデル神に届いたときとも言われています」
話が抽象的すぎて、フィアナにはさっぱりわからない。
「聖女ラクリーア様について教えていただいてもよろしいですか?」
「はい。ラクリーア様の何が聞きたいのですか?」
「神聖力とは、いったいどのような力なのでしょう?」
神聖力と呼ばれる魔石のような力が使えるのであれば、殺される前に反撃ができたのではないかと、フィアナは考えていた。
「神聖力……聖女様が使える力です。私たちは湯を沸かしたり火を起こしたりするのに魔道具を使いますが、聖女様には魔道具が不要です。むしろ。聖女様の力を再現したものが魔道具であると、そう枢機卿が言っておりました」
聖女の力が魔道具になる。それはフィアナも知らなかった事実。何気なく使っていた魔道具にそんな謎が隠されていたとは。
「では、魔道具でできることは、聖女様は神聖力でできることだと?」
「そうです。そういえば次は……遠く離れた人とすぐに言葉のやりとりができるような、そんな魔道具を作りたいと枢機卿は言っておりました」
遠く離れて居る人と言葉のやりとりができる。
そんな魔道具があれば便利になるだろう。今はまだ、手紙を送ったり、急ぎであれば伝書鳩を使ったり。
「では、聖女様は、遠く離れた人と言葉のやりとりができるのですね?」
「はい、そうだと思います。詳しくはわかりませんが……」
彼女は実際の方法などは知らないにちがいない。
フィアナは話題を変える。
「聖女様がお亡くなりになられて、大聖堂は混乱しているのではありませんか?」
「はい。ですが、人とは必ず死ぬ生き物です。それが聖女様であっても同じです。聖女様も元は同じ人間ですから」
「次の聖女様は決まっているのですか? 神聖力を持っている巫女はいるのでしょうか?」
「それは、よくわかりません。神聖力は、だいたい十四歳前後までには現れるようです。残念ながら、私には神聖力がありませんでした……」
名簿を見て、フィアナは目の前の少女が十四歳であることに気づいた。
「いろいろとお話を聞かせてくださって、ありがとうございます」
メッサからは十分に話を聞き出せた。
その次も、カリノと同年代の巫女から話を聞いた。ちょうどこの年代の巫女たちは、例の神聖力が出現するかしないか、微妙な年頃らしい。
聞いたところ、この子も神聖力は目覚めなかったとのこと。これからも巫女としてファデル神の教えに従い、大聖堂に尽くすと決めたようだった。
フィアナは名簿を見ながら、話を聞いた人物を確認していく。
集められた巫女のなかでも、十八歳から二十歳くらいの人数が少ない。存在はしているものの、他の作業に従事しているのだろう。
他の巫女に確認してみると、彼女たちは別の奉仕作業があるから不在なのだと言った。
神聖力はだいたい十四歳くらいまでに出現するが、その次は十八歳のときに神託がおり、一部の巫女はファデル神に選ばれるらしい。そうなると、他の作業を与えられるのだとか。
そのような巫女を、大聖堂では上巫女と呼んでいるようだ。そして巫女でありながら、聖女と共に聖職者に分類されるらしい。
これは、大聖堂の中だけで通じる言葉や規則とのこと。もちろんフィアナは、そういった話を聞いたことがない。
チラリと顔をあげてナシオンに目で訴えると、彼も首を横に振ったから、彼も知らなかったのだろう。
五番目に話を聞いたとある巫女は、十九歳になってもファデル神に認められなかったため、これからも掃除、洗濯、料理など、聖職者たちのためにやっていかねばならないなぁ、なんて、寂しそうにぼやいていた。そう言った彼女は、年相応の女性に見えた。
「巫女として大聖堂に入ると、結婚などはできないのでしょうか?」
「いえ、できますよ。ですが、相手も聖騎士など、大聖堂と縁ある人になりますし、聖女や上巫女となると話は別です」
「結婚したら、巫女や聖騎士を辞めなければならないのですよね?」
「そうです。そういった身分は剥奪され、他の場所で一から始めなければなりません。それに、年に数回、大聖堂に寄付をする必要があると聞いております」
そういった寄付金が、大聖堂の資金源になっているにちがいない。
「今までも、結婚をして巫女や聖騎士を辞められた方はおりますか?」
「ええ、そうですね。年に一、二組は、そういう者もおります。ただ、大聖堂にいれば生活は保障されますからね。いくら好きな相手ができたとしても、いっときの感情と一生を天秤にかけて判断をする者が多いかと」
その結果、目の前の巫女は、一生、大聖堂で暮らす選択をしたにちがいない。そうやって話をしているときに、いっときの劣情が彼女の表情に表れた。
和んだところで、カリノについて質問する。
しかし、誰もが口をそろえて、カリノはよくも悪くも目立たない子だと言う。それでも仕事はしっかりとこなすから、他の巫女からも聖職者たちからも覚えはよい。真面目な子、そういった話もあった。
それにまだ十三歳というのもあって、神聖力を有することも期待されていた。
「カリノにはお兄さんがいたわよね」
「そうそう、聖騎士のキアロ様よね」
はじめは一人ずつ話を聞いていたが、何よりも人数が多すぎた。これでも全員ではないというのだから、やはりナシオンとの二人だけでは、どだい無理な話だったのだ。
カリノと近しい者の話を聞き終えてからは、こうやって一度に複数の巫女から話を聞くようにした。しかし、これが功を奏したのか、彼女たちの口は軽くなる。今、フィアナの周りには四人の巫女がいる。こうなれば、居づらいと思うのはナシオンで、彼は部屋の隅にちょこんと座っていた。
いくら巫女と呼ばれるようが、やはり年頃の娘なのだ。誰かと何かを話したくてうずうずしていたにちがいあるまい。まして、このような大きな事件が起こったのであればなおさらのこと。
だからこそ今、彼女たちはおしゃべりに花を咲かせている。
「そういえば、キアロ様はラクリーア様とも仲がよろしかったですよね」
フィアナはひくりとこめかみを動かした。むしろ、そういった話が聞きたかった。
「キアロ様が、ラクリーア様の専属護衛にという話もあったそうですよ」
「お似合いのお二人ですものね」
「それで、キアロさんは聖女様の専属護衛になられたのですか?」
きちんと聞いておきたい話には、フィアナも口を挟む。そうしなければ、彼女たちの話題はコロコロと変わるからだ。
「いいえ」
一人の巫女が首を横に振った。
「教皇様や枢機卿が反対されたと聞いております。キアロ様がまだ若いというのが理由です」
理由としておかしなところはないだろう。
「今、キアロさんはどちらにいらっしゃいますか?」
昨日の第一騎士団の報告では、キアロは大聖堂にはいないということだった。となれば、どこにいるのかまで突き止めればいいのに、彼らではそれ以上の話を聞き出せなかったのだ。
だからフィアナが今、ここにいる。
「キアロ様は、東のほうに派遣されていると聞いております。そういえば、カリノがそのようなことを言っていたような……」
「聖騎士がどこに派遣されるのかだなんて、私たちもいちいち把握していないので、それについては枢機卿か教皇様にお尋ねになったほうがよろしいかと」
それでも彼女たちは、フィアナに十分な情報を与えてくれた。
チラリと縮こまっているナシオンに顔を向けると、彼は小さく頷いた。
「今日はありがとうございました」
フィアナが礼を口にすると、巫女たちも互いに顔を合わせて「失礼します」と言い、席を立つ。
最後の背中を見送ってから、フィアナは大きく息を吐いた。
「疲れましたね」
「まあ、な。ほらよ」
ナシオンが水差しからグラスに水を注ぎ、それをフィアナに手渡した。
「ありがとうございます」
冷たい水が喉をゆっくりと通り過ぎていく。フィアナが感じていたよりも、身体は水を欲していたようだ。一口、二口だけ飲むつもりだったのに、途中でやめることができずにすべてを飲み干してしまった。
「……ふぅ」
「だけど、さすがフィアナだな。かなり情報を聞き出せただろう」
少なくとも、第一騎士団が話を聞いた昨日よりは、貴重な話を聞けたはず。
「そうですね。ここに来て、もう一人の人物が浮上しましたからね」
「聖騎士キアロか?」
ナシオンの言葉にフィアナは首肯する。
話を聞いたかぎりでは、ラクリーアは少なくともキアロに好意を寄せている。その好意がどういった種類のものであるかはわからないが、たびたび二人でいるところを目撃されているのだ。それに、専属護衛の話が出るくらいなのだから、二人の間には信頼関係も成り立っていたはずだろう。
巫女たちから話を聞き終えたフィアナとナシオンは、大聖堂を後にする。案内してくれた名も知れぬ聖騎士には感謝の気持ちを示した。
「また、お話を伺うこともあるかもしれませんが……」
フィアナの言葉に、聖騎士は「あなたが来てくださるなら、問題ありませんよ」と、意味ありげに微笑んだ。
ナシオンと並んで、本部へと足を向ける。
「なんなんだ? あいつ。フィアナの知り合いなのか?」
ナシオンの言う「あいつ」とは、先ほど大聖堂内を案内してくれたあの聖騎士のことだろう。そもそも最初に顔を合わせたときから、ナシオンは彼に対して不快感を示していた。
「知り合いと言いますか、一応、同じ騎士ですから。仕事で顔を合わせた程度です。ですから、名前は知りません」
むしろナシオンだって、顔を合わせたことがあるのではないかと思うのだが、どうやら彼にとっては初対面の相手だったようだ。
ナシオンと一緒に大聖堂関係者の捜査にあたるのは初めてのこと。フィアナがあの聖騎士と会ったのは、彼がここの本部をたまたま訪れたときに、たまたま案内しただけ。
あのとき、彼がなんのために本部へ来たのかはわからない。ただ、彼も聖騎士でフィアナも女性騎士となれば、自然と話が弾んだ。
「ふん」
フィアナの答えに納得がいったのかいかないのか、ナシオンは鼻息荒く返事をした。
「ナシオンさんは、どう思いましたか?」
「何がだ? あのいけ好かない聖騎士ヤローか?」
「ではなく、巫女たちのことです」
「ああ」
納得したようにナシオンが頷く。
「嘘をついているようには思えなかった。だけど、何かを隠しているような感じがした」
「なるほど。さすが、ナシオンさんですね。話を聞いてはいたものの、違和感があって……それがきっと、隠し事を隠そうとしているからなのでしょうね……」
それは、カリノも同じだ。何かを隠している。
騎士団本部に戻ったフィアナは、すぐに報告書の作成に取りかかった。もちろん、夕方の会議で報告もしなければならないが、報告書としてタミオスにも提出しなければならない。
カリノと同室だったメッサの話をまとめて、神聖力の表れる時期、その後、神託がおりる時期について記載する。
それから巫女と上巫女の話、巫女たちの結婚観や、カリノの兄、キアロの居場所について。
最後に、カリノが聖女を殺す動機について思い当たる巫女はいなかった。むしろ、巫女たちはカリノに聖女は殺せないのではと感じているようだ、と。
(巫女たちの起床時間は、朝の四時半。朝食は六時から。そしてカリノが東分所に出頭したのも朝の六時。メッサさんの証言と時間は合っている……)
報告書を、もう一度読み直す。
(この時期の日の出は五時半ごろ。暗闇のなか、聖女様を殺して切り刻む。それをカリノさん一人で可能なのかしら?)
時系列で考えたとしても、カリノがラクリーアを殺したのは真夜中だろう。メッサの話と出頭時間が考えれば、前日の夜の十時から朝の五時までが犯行時間にちがいあるまい。
(死亡推定時刻……何時だった?)
そこまで考えたとき、ナシオンが「ほらよ」と紅茶の入ったカップを差し出した。
「ありがとうございます」
「何、一人で百面相してるんだよ」
「え? そんな変な顔、してました?」
「してた。可愛い顔が台なしだな」
ナシオンの指がフィアナの頬をふにっとつねる。
「あ、ちょっと。やめてください」
その手をパシンと叩き落とした。
「フィアナには悩んでる顔は似合わないよ。もっとこう、余裕しゃくしゃくじゃないとな。で? 何をそんなに悩んでるんだ? 俺では力になれない?」
ナシオンのこういう距離の詰め方がずるいのだ。
「そうですね……」
そこでフィアナは喉の渇きを潤すかのように、紅茶を飲んだ。
「うっ……濃いですね……」
思っていたより渋めの紅茶だった。昨日も彼からもらった紅茶が渋かったのを思い出した。
「頭がすっきりするだろ?」
「そうですね……ナシオンさん。これ、見てもらえますか?」
先ほど、簡単に書き出したカリノの動きである。
「どう考えても、暗闇の中でカリノさんが聖女様を殺す必要があるんです。ですが、そんな暗闇の中、カリノさんのような女性が一人で聖女様を殺して、切り刻むなんて可能でしょうか?」
「そうだな。まず、暗闇なんていうのは、魔道ランプさえ使えば解決するだろ?」
魔道ランプ。その名の通り、暗闇を照らす魔道具のことだ。
「殺害現場は、大聖堂から少し離れた川沿いの原っぱだよな?」
「カリノさんの証言によりますと、そのようですね。そこの近くの川底から、首切断のために使われた斧が出てきたので、間違いないでしょう」
「そこで少しだけ魔道ランプが光ったとしても、他の者は気づかないだろうな」
さらに魔道ランプには、光の強さを調節できる機能があったはず。
それに真夜中に川沿いまで出歩くような者もいないだろう。目撃証言など期待できない。
「となれば、カリノさんが使用した魔道ランプがどこかにあるわけですよね? それを第一は見つけているのでしょうか?」
「あ~、どうだろうな」
そこでナシオンは、今朝の捜査会議で配布された資料を、パラパラとめくる。
「おお。見事に見つけていないね。今のところ、首切断の斧だけだって。凶器も見つからない。ランプも見つからない。これで彼女を犯人にというのは、いくら自供があったとしても厳しいな」
「ですよね……」
フィアナは腕を組んで、椅子の背もたれに身体を預けた。
「う~~~~ん」
唸っていると、また「フィアナ」と大きな声で名を呼ばれた。
やはり、その声の主はタミオスだった。
「はい」
手を挙げて立ち上がると、目が合った。ずんずんと彼は勢いよく近づいてくる。
「フィアナ。明日は容疑者の取り調べを担当してくれ」
「あれ? カリノさんは他の人間が担当になったのではないのですか? 私は第一の代わりに巫女の担当だと思っていたのですが」
「それがな……」
そこでタミオスは、ガシガシと頭をかいた。
「お前じゃないと、しゃべらないってさ」
意味がわからず、フィアナは小首を傾げる。
「容疑者。担当を昨日の人にしろと、騒いだらしい。そうしないと、何も喋らないってさ」
「フィアナは巫女にもてるんだな」
ナシオンが茶々を入れた。
カリノも巫女ということを考えれば、その言葉も間違ってはいない。
「承知しました。これからですか?」
「いや、今日は一度、話を聞いたからな。明日以降だ」
取り調べと称して話を聞くのは、一日一回とされている。それは容疑者の心身負担を考えてのことだが、この一回に時間制限はない。
話を聞く側の人は変わっても、話をする側はずっと一人のままという手法すら許されている。
しかし今回は、カリノの年齢を考慮して、そういったふざけたような手法は使わないのだろう。あれがいい方法ではないことをフィアナもナシオンもよく理解しているつもりだ。あれは、昔の人間が好むやり方。
「では、今日はカリノさんからは何も話を聞き出せていないと?」
「そうだ。凶器が見つかっていない。だから何がなんでもそれを聞き出せというのが第一の奴らからの指示なんだがな」
何も証言を得られていないから、今日の会議で報告することは何もない。そうとでも言いたげなタミオスの顔だ。
「自分たちは巫女から話を聞き出せないくせに、こういうときばかり俺らをやり玉にあげるのがあいつらでは?」
ナシオンの言葉に、タミオスは肯定も否定もしなかった。彼の立場を考えれば、ある種、これが正しい反応なのかもしれない。
「こちら。今日、巫女たちから聞いた証言をまとめたものになります」
微妙な空気を打ち消すかのように、フィアナは報告書を手渡した。
「なかなか興味深い話が聞けたかと思います」
「わかった。今日の報告も頼む」
報告書はタミオスに渡すものの、全体会議で報告をするのはフィアナかナシオンの役目だ。どちらがするか決まりはないので、その場の気分次第で決める。
だが、巫女から直接話を聞いているのはフィアナなので、この案件に関してはフィアナが報告する。
報告書に目を通したタミオスは、特別、何も言わなかった。この流れにそって報告すればいいだろうと、それくらいだった。
夕方の会議にナシオンと共に出席したフィアナだが、第一騎士団からは信じられないような報告があがる。
「容疑者カリノの兄、キアロですが、派遣されている東のドランの聖堂にはおりませんでした」
王都から東にあるドランの街。馬車で半日かかる場所にあるが、騎士団が所有する早馬であれば、その半分の時間で行き来が可能だ。
「いない? いないというのはどういうことだ?」
そんな声が捜査本部長からあがった。そう聞きたくなる気持ちもよくわかる。
隣に座っているナシオンに視線だけ向けると、彼の口の端もひくひくと動いていた。何かしら文句を言いたいようだ。それを堪えている。
「はい。大聖堂の聖騎士から、キアロは東のドランの聖堂に派遣されていると聞き、そこへ向かったわけですが。ドランの聖堂にいる聖騎士からはキアロは来ていないと……」
消え入るような語尾は、この次に聞こえてくる言葉がわかっているからなのだろう。もしくは、はっきりと言いたくないのか。
身体の大きな男性騎士が、背中を丸めている様子を目にすると、ほんの少しは同情していまう。
「来ていない? もう少し、わかりやすく説明しろ」
「は、はい。聖騎士キアロですが、大聖堂から東のドランの聖堂に派遣される予定でした。大聖堂を出た姿は仲間の聖騎士に目撃されており、挨拶も交わしていることから間違いはないかと思います。ドランの聖堂にいる他の聖騎士に確認したところ、キアロが派遣される話は聞いていないと……」
また語尾が小さくなっていく。
「引き続き、キアロの行方を追うこと。それから大聖堂とドランの聖堂の関係者から話を聞くように」
「は、はい……」
つまり、キアロは行方不明。
その事実をカリノに伝えていいものかどうかと一瞬悩んだものの、むしろ彼女はキアロの行方を知っているのではないかと、そう思えてきた。
フィアナの番がやってきて、メッサたちから聞いた話を端的に伝えた。やはり突っ込まれたのは、夜中にカリノが大聖堂からどうやって出ていったのかという点である。
「その件に関しましては、本人から直接話を聞きます」
どちらにしろ、明日はカリノから話を聞かねばならない。
それ以上の追求はなく、フィアナの報告は終わった。
**~*~*~**
「カリノにはお兄様がいらっしゃるの?」
ラクリーアとは、眠れない夜に川のほとりでよく話をした。
川面で波打つ月の形をぼんやりと眺め、穏やかな川の流れを聞くだけで心は凪いだものだ。
その場所を知ったのはたまたまただった。
仕事の多い巫女であるが、少しは自由時間がもらえる。その時間を、カリノは散歩の時間に当てていた。庭園をふらふらと歩きながら花を愛でる。そんななかで、大聖堂側と向こう側をつなぐ秘密の抜け穴を見つけたのだ。
昔からあった抜け穴なのかもしれないが、少なくともカリノが知っている巫女らは、この穴について何も言っていない。
カリノは、ふと誰もいないような場所で静かに時を過ごしたいと思った。
みんなも寝静まった夜ならば、この穴を使って壁の向こう側へ行ってもみんなには知られないだろう。
そんな気持ちが働いた。
手にする荷物は少ないほうがいい。そう思って選んだのが満月の日だ。月明かりで道が照らされるため、魔道ランプを手にする必要はない。
抜け穴を通って壁の向こう側へ出ると、どこからか川の流れの音と虫の鳴き声が聞こえてきた。その音がする方向へと爪先を向ける。
先客がいた。それが聖女、ラクリーアだった。
それからというもの、満月の夜はこうやってラクリーアに会いにくる。
「はい。わたしの六つ年上です。今年で、十六歳になりました」
「あら? わたくしと同い年ね」
共通点があるだけで、親近感が沸く。それはカリノも同じで、こうやって川辺を訪れるラクリーアを、勝手に姉のように思っていた。つまり、家族のような存在。
三年前にラクリーアに誘われて巫女となり、大聖堂の暮らしは悪くないとは思いつつも、やはり心の底では家族を欲していたのだ。
「はい。聖騎士見習いのキアロです。覚えておりますか?」
キアロもラクリーアの言葉で大聖堂に入ったのだ。
「ごめんなさい」
そう言って首を横に振ると、ラクリーアの銀色の髪はさらりと揺れる。空から降り注ぐ月光も相まって、宝石のように輝く。
「あのときは、カリノのような子たちを救わねばという思いから、たくさんの子に声をかけてしまったから」
「そうですよね。わたしだって、あのとき一緒にこちらに来た人たちを全部覚えているわけではありません。まして、聖騎士となればなおのこと。だからラクリーア様が兄を覚えていなくても仕方ないかと思います。わたしがこうやってラクリーア様とお話できているだけで、奇跡のようなものですから」
「あなたは、わたくしに媚びないもの」
ラクリーアの艶やかな唇が、少しだけ歪んだ。
「せっかくですから、今度はあなたのお兄様も紹介してほしいわ。同じ年なのだし」
「わかりました。兄にはそれとなく伝えておきます」
ラクリーアがキアロに会いたいと言ったのが先だった。
キアロがラクリーアに会いたいと言ったわけではないのだ。
それにこうやって満月の夜にラクリーアと会っていることを、カリノは誰にも伝えていない。
誰かに言ったら、この時間を奪われるような気がしていたから。
同じ大聖堂内で生活しているといっても、自由自在にキアロと会えるわけではない。カリノは巫女であるし、キアロは聖騎士見習い。それぞれにやるべきことがあった。
それでも近場で作業しているときは、声をかけることも許されている。血のつながりのある兄妹だと枢機卿たちも知っているから、親しげに言葉を交わしても咎められるようなことはなかった。
寂しがり屋の妹が兄に甘えていると、微笑ましく見ているのだ。
「お兄ちゃん」
「なんだ? カリノ、お前の作業は終わったのか?」
ちょうど農作業を終えたキアロに声をかけた。
「終わったよ。今日の分のお洗濯。だから、お兄ちゃんと少しならお話してもいいって」
「ふぅん」
額の汗をぬぐいながら、キアロは興味なさそうに返事をする。だけど、口元がにやけているのは、カリノと会えて喜んでいる証拠でもある。
「ねぇねぇ、お兄ちゃん。秘密の抜け穴、知ってる?」
周囲には聞こえないようにと、キアロの耳元に唇を寄せて話をした。
「なんだ、それは」
やはり、あの抜け穴は知らない人のほうが多いのだ。カリノは、声をひそめてその場所をキアロに伝える。
「だから、お兄ちゃん。満月の日に、あっちにある川辺に来て。わたし、その日だけ、いつも川の音を聞いてるの」
キアロの手が伸びてきて、カリノの頭をクシャリとなでた。
「眠れないのか?」
「そういう日もある。けど、うさちゃんがいるから平気」
「そっか」
そう呟きながら、カリノの頭をなでるキアロの手はあたたかかった。