大陸の西側にあるファーデン王国が、太陽神ファデルからとった名前がつけられているのは、太陽神ファデルがファーデン王国の建国に尽力したとも伝えられているからだ。
 そのため国を統治する王と、太陽神ファデルを信仰する聖職者たちの関係は、密なるものでもあった。
 しかし時代の流れとともに、その二つの間には少しずつ距離が生まれ、今では王族を支持する者は王城に、聖職者を支持する者は大聖堂に集まるようになっていた。
 それでも結婚は神の前で愛を誓うのだから、やはりファーデン国民の心には太陽神ファデルに対する信仰心が根付いているのだろう。ただ、信仰心と政治は別ものだと、そう考えているのかもしれない。
 ――ファーデン王国騎士団本部。
 王城と同じ敷地内にありながらも、王城とは独立した建物。ここは本部と呼ばれている。
 そこの会議室に騎士たちがずらりと並んでいるが、そこにいる騎士たちも騎士服を身にまとっている者だけではない。シャツにジャケットという、見た目だけでは騎士団所属と思えないような姿の者もいる。
「では、現時点において判明している内容について、説明する」
 これだけの人が集められたのは、今朝方、大聖堂の巫女が「聖女を殺した」と騎士団東分所に出頭してきたためだ。
 子どもの戯れ言かと思われるような話だが、それが事実だと認めざるを得ないのは、巫女自ら、聖女の頭部を手にしていたからだろう。
 巫女とは大聖堂で神に仕える女性の総称で、その年齢は生まれたばかりの赤ん坊から寿命を全うしそうな老女までと、幅がある。
 今回、出頭してきた巫女は、十三歳のカリノという名の少女。
 そして両手で抱えていた頭部。作り物とかまがい物とかではなく、本物の聖女の頭部だった。残りの胴体については、少女が証言した場所から出てきた、とのこと。
「死亡した被害者は、ラクリーア、十九歳、女性――」
 事件の内容を説明する騎士団総帥の淡々とした声が、室内に響く。想像しただけでも胸くそ悪くなるような事件だ。
 いきなり聖女の頭部を見せられた東分所のアロンという騎士は、早朝から叫んだ挙げ句、その場で嘔吐した。もう一人のデニスという騎士がすぐさま騎士団本部へ連絡をいれ、応援を呼ぶ。
 応援が駆けつけるまで、デニスはカリノにやさしく声をかけ、少女も落ち着いた様子で受け答えをしたようだ。そのとき、聖女をどこで殺したか、残りの身体はどこにあるのかを聞き出したようで、事件として被害者も犯人もはっきりとしており、謎に包まれている部分はない。
 いや、残されている疑問点としたら動機くらいだろう。
「――以上、解散」
 その言葉と共に、室内からは騎士たちがわらわらと出ていく。集められた騎士らは総勢三十名程度。
 被害者が聖女であるため、大聖堂の聖騎士たちとも連携する必要がある。しかし、殺された人間が聖職者や大聖堂の関係者であった場合、直接の捜査の指揮や容疑者への尋問は、王国騎士団が行うが、今まで、そういった事例はなかった。
 逆に、王族・貴族が被害者であった場合は、聖騎士が主導をとって捜査をする。しかしそういった事件は何か目に見えない力が働き、なかったものとされる。だから、聖騎士が捜査本部を立ち上げたという話は、ここ十数年、聞いていない。
 ちなみに、それ以外の一般的な民が関わっている場合、主導をとるのは王国騎士団となり、むしろこういった事件が多い。
 今回は、被害者が聖女という前代未聞の事件なのだ。まして、その容疑者が十三歳の少女で巫女ときた。
 聖女とは、聖職者の中でも神の力を与えられた女性とされている。その力を神聖力ともいうのだが、例えるなら聖女自身が魔石のような存在だろう。
 魔石とは魔力と呼ばれる力を閉じ込めた石のことで、その魔石を用いた道具は魔道具とも呼ばれている。それらは容易に火を起こしたり、お湯を沸かしたり、水を浄化したりすることができ、生活するうえでなくてはならないもの。
 つまり、聖女は魔石がなくても、火を起こしたり湯を沸かしたり水を浄化したりできるのだ。
 そういった神聖力を使える聖女が、たった十三歳の巫女に殺された。しかも、無残に胴体と頭部を切り離されて。
「フィアナ。これから、話を聞きにいくのか?」
 会議が終わったところで、フィアナ・フラシスは一人の男から声をかけられた。
 振り返れば、同じ部署に所属するナシオンがかすかに口元をゆるめてフィアナを見下ろしている。さらさらと揺れる金色の髪に深い森を思わせる深緑の瞳。すっきりとした鼻筋に、色香漂う唇。左目の下の泣きぼくろが、妙な妖艶さを醸し出す。この美貌を使って老若男女から情報を搾り取るのが、目の前のナシオン・ソレダーという男なのだ。
 このようなときでも、貴公子の笑みをくずさずにいるのだから、そこだけは尊敬に値する。
「はい。相手が十三歳の少女とのことで、部長が私に目をつけました」
 肩にかかる濡れ羽色の髪をパサリと払いのけて、フィアナは答えた。
 フィアナは騎士団の中でも情報部に属する。情報部とはその名のとおり、情報を取り扱う部門。諜報活動も情報部の騎士が行うため、騎士でありながら騎士服を身につけなくてもいい部署の一つである。
 今日のフィアナが担当するのは、聖女を殺したと自首してきた少女カリノの取り調べだった。
「かわいそうだよな。分所のやつも」
 ナシオンはアロンに同情しているのだろう。朝から聖女の生首など見せられたら、誰だって気が滅入る。
「そうですね」と、フィアナも落ち葉のような茶色の目を瞬かせて答えた。
「あ、ナシオンさん。できれば記録係として同席していただきたいのですが、可能でしょうか」
「ああ、もちろん。俺と君は、コンビだろ?」
 こういった事件が起こった場合、騎士は常に二人一組で行動する。フィアナの相手はナシオンだった。
 フィアナはそんなナシオンと肩を並べて取調室へと向かう。肩を並べてといっても、フィアナは小柄であるため、ナシオンの肩と同じくらいの位置に頭がある。
 無機質な階段を下り、取り調べ室を目指す。
 入り口にいた見張りの騎士に目配せをしてから、フィアナは中に入った。
 鉄製の重い扉を開けると、茶色の髪を二つの三つ編みに結んでいる少女の姿があった。椅子にちょこんと腰掛けている様子は、年相応に見える。血に汚れていた服は、簡素なワンピースに着替えられていた。
 そういえば、フィアナが本部にやって来たときに、管理部の同期の人間が、服がどうのこうのと言いながら外へ出ていったような気がする。
「こんにちは」
 フィアナは少女に向かって声をかけた。
 テーブルの一点を見つめていた少女は、ゆっくりと顔をあげる。吸い込まれそうなほどの深い海のような青い瞳が印象的だ。
「……こんにちは。お姉さんも騎士様?」
 カリノがそう尋ねたのは、フィアナが騎士服を着ていないかだろう。
「そうです。こう見えても騎士団に所属する騎士です。これから、カリノさんからお話をうかがいたいのですが」
「はい。わたしが聖女様を殺しました。だからわたしを処刑してください」
 後ろに控えていたナシオンから、動揺した様子が伝わってきた。彼にはチラリと視線を向け、もう一つの椅子に座るようにと顎でしゃくる。
「今すぐ処刑にはできません。どうしてカリノさんが聖女様を殺したのか。理由をきちんと確認しなければなりません。そしてなによりも、本当に聖女様を殺したのはカリノさんなのか、というのを確かめなければなりません」
 するとカリノの視線が泳ぎ始める。
「そんなに緊張なさらないでください。話をしたくないことは話さなくても大丈夫ですから」
 フィアナが少しだけ笑みを浮かべると、カリノも安心したように表情をゆるめる。
「……はい」
 だけどその小さな返事には、不満の色がにじみ出ていた。
 今までフィアナが対応した取り調べの相手とは、何かが違う。
 たいていこうやって犯人扱いされる者は、何かと無罪を主張するものだ。あきらかに犯人だというのに「自分はやっていない」「自分は悪くない」とわめく。それもいい大人が、だ。
 しかしカリノは、十三歳だというのに非常に落ち着いているし、罪も認めている。むしろ、処刑にしろとまで口にする。
 なんとなく、違和感がある。
「では、最初にカリノさんのことを教えてください」
「そのようなこと、必要ですか? わたしが罪を認めているのだから、それでよいのではありませんか?」
「そうですね。ですが先ほども言いましたとおり、なぜカリノさんが聖女様を殺さなければならなかったのか。その真実を知りたいのです。教えていただけますか?」
「なぜ? わたしが聖女様を殺したか? 騎士様もおかしなことを質問するんですね。そんなの殺したかったからに決まっています」
 そこでニタリと笑ったカリノを、不気味だと感じた。
 フィアナだって十八歳の頃から騎士団に属し、そろそろ六年となる。入団当初から情報部として動いてきたのだ。もちろんこうやって犯人と思われる人物から話を聞く他にも、潜入調査と呼ばれる行為や諜報活動も行い、自分よりも身体も大きく、怖い顔の人間とも関わってきた。
 だというのに、得たいの知れない気持ち悪さが、背筋をつつっと走り抜けていく。
 十三歳の少女だからと侮ってはならない。この子は何かを隠している。
 長年、情報部として動いてきたフィアナの本能が、そうささやいた。
「殺したかったから殺す。残念ながら、それはこの国では罪になってしまいます」
「だけど、戦争で人を殺すのは罪にはならないのですか?」
 カリノは無邪気な笑みを浮かべて、首をコテンと倒した。
「五年前まで、この国は隣国グラニトと戦争をしていたわけですよね? その戦争でたくさんの人が死にました。戦争をしたのも、人を殺したかったからですよね」
 カリノが言ったように、ファーデン国は隣国のグラニト国と争っていた。原因は国境にある魔石の眠る鉱山の採掘権である。それをめぐって、先に戦をしかけたのはファーデン国だった。というのも、隣国で諜報活動を行っていた騎士が、近いうちにグラニト国が挙兵すると情報を仕入れてきたためだ。
 そうなる前に、ファーデン国が動いた。
 その結果、カリノが言うようにたくさんの人の命が奪われた。特に国境の街の住民たちは、突然始まった戦に逃げ遅れ、戦火に巻き込まれた。
 最終的には、鉱山の採掘権はファーデン国が握ることとなり、魔石をグラニト国へ輸出するという形でまとまったが、高い関税をかけたはず。ファーデン国は、金も権力も欲する国だからだ。
 そこに至るまでの犠牲も数多く出た。戦争に駆り出された者も、巻き込まれた者もいる。
 また、そういった戦地にまで聖職者たちが足を向ける。率先して剣を握るわけではないものの、騎士たちの身の回りの世話だったり、負傷した者の手当だったりと。
 当時十四歳だった聖女ラクリーアも戦地に立ったはずだ。
 騎士団に入団したばかりのフィアナは、本部に逐一入ってくる現地の情報から状況を把握し、戦地へと送る物資、人員、またそれらの確保の指示を出していた。
「あの戦争には理由がありました。いつでも、戦には理由があります。そして何よりも、戦を繰り返し、国は大きくなっていくのです」
「人を殺すなと言いながらも、国のためには人を殺せと言うのでしょう? 矛盾していますよね」
 カリノの言葉が、ぐさりとフィアナの心に突き刺さった。彼女の言葉は間違いではない。カリノと同じように考えている者は、少なからずいるだろう。
 だけど、それが不満の声としてあがってこないのは、それだけ『戦争』が特別な状況だからだ。
「鉱山の採掘権……そんなに、魔石が欲しいんですか? 魔石は人の命よりも大事なんですか?」
 少女がここまで戦争の話に反応を示すのは、フィアナにとっても予想外だった。
 そこでフィアナは、先ほど目を通した資料の内容を、はたと思い出す。
 カリノは戦争孤児だ。両親を失い、その後、大聖堂に入って巫女となった。
 当時、戦争で家族を失った者が心のよりどころを求めて大聖堂、もしくは地方の聖堂に入るというのは多かった。
 考えてみれば、その戦争が終わったあとから、聖職者たちがめきめきと発言力をつけてきている。
 王国騎士団と大聖堂の聖騎士たちとの見えない壁が分厚くなったのも、そのときからだろう。
「わたしは、この国が嫌いです。聖女様を殺したのはわたしです。どうぞ、わたしを処刑してください」
 それ以降、カリノは口をつぐんでしまった。
 フィアナは仕方なく、これからのカリノの身の扱い方について事務的に説明した。
 カリノは聖女を殺したと口にしているが、それが事実であるかどうかをきちっと確認する必要がある。今、第一騎士団が中心となって現場となった場所を調べたり、関係者から話を聞いたりしている。
 その間、カリノは騎士団本部の地下にある地下牢で身柄を拘束される。
 いつまで拘束されるか。それは犯人が確定するまでだ。
 カリノが犯人であれば、そのまま王城への地下牢へと移送される。刑が確定、執行されるまでそこからは出られない。
 しかし彼女が犯人でなかったら。釈放されて自由の身となる。騎士団本部の地下牢で拘束されるのは、十日が上限となる。
 フィアナが説明している間、カリノの顔からは表情が消え、ただテーブルの上の一点を見つめているだけだった。

 情報部の騎士らは、基本的には司令室と呼ばれる部屋にいる。この部屋の隣には総帥の執務室もあるため、一般的な騎士たちはここには寄りつかない。
 フィアナはナシオンから受け取った調書をぼんやりと眺めていた。
(本当に、あの子が殺したのだろうか……)
 先ほどから考えているのは、そればかり。
「ほらよ」
 目の前に、白い湯気が漂うカップがトンと置かれた。
「ありがとうございます」
 顔を上げるとナシオンと目が合う。
「俺の調書に何か問題でも?」
「いいえ、違いますよ」
 相手が十三歳の少女ということもあり、長い時間、話を聞くのも難しい。短時間で効率的にと思うものの、少女の話を聞いて猜疑心を抱くのも否定できない。
 これは、何度か話を聞く必要があるだろう。先ほどは完全に失敗してしまった。
「大聖堂のほうはどうなっているか、わかりますか?」
 聖女が死んだのだ。向こうだって混乱しているにちがいない。
「次の聖女をどうするかでもめているようだ。とは聞いたが、詳しくはわからん」
 大聖堂からしてみれば、聖女とは替え玉のきく存在なのだろうか。だが、聖女には神聖力が備わっているという。そういった不思議な力を持つ女性を、たくさん確保しているのだろうか。
「聖女の神聖力というものがよくわからないのですが……」
 フィアナからしてみれば、聖女は向こう側の世界の住人であり、同じ舞台に立つような者でもない。
 聖女とは不思議な力を使って人々の心の隙間に入り込み、明るい未来へと導く存在なのだ。まるで神のような存在。
 だからこそ、そういった力の詳細は、こちら側の住人は知らない。
「ああ、俺もしらん」
 予想した通りの答えが返ってきた。これでナシオンが神聖力について知っていたらもうけもんだと、そんなふうに考えていただけだった。
 ナシオンはフィアナの隣の席に座る。
「ナシオンさん。あの子と話をして、本当にあの子がやったのかって、そればかり考えているんです」
 心の中にあったもやもやを吐露した。
「それは、何かの根拠があってそう思っているのか?」
「いえ、勘です」
 だから、どこにも報告はできない。根拠のない勘は、捜査を混乱させるだけ。それなのに勘は大事にしろとも言われている。
「俺たち情報部の人間としては、情報を収集し、その情報から真実を見極めるだけだからな」
 余計な感情は捨てろとでもナシオンは言いたげだった。
「おい、フィアナ」
 部屋の入り口から大声で名前を呼ばれた。フィアナ以外の者も顔をあげ、声の出所を確認するように首を振る。
「は、はい」
 立ち上がって、ここにいますとアピールしなければ、その者はフィアナの名前を大声で呼び続けるのではないかと思えてきた。
 さらに声をしたほうに顔を向けると、情報部をとりまとめている情報部長、タミオスの姿が目に入る。
「なんだ、そこにいたのか。小さくて見えなかった」
 フィアナの父親と同じくらいの年代のタミオスは、こうやってフィアナをいじるような発言をちょくちょくとしてくる。
「部長、それ禁句です」
 すかさず反論したのはナシオンだ。
「なんだ。ナシオンまでいるのか」
「俺たち、コンビですからね。二人一組での行動が基本」
 ナシオンとタミオスの話を聞きながらも、いったいこのようなときになんの用だろうと、フィアナは思案する。たいてい、タミオス本人がこうやってフィアナを探しているときは、面倒な仕事しか持ってこない。
 今日のカリノの取り調べだって、彼がフィアナを指名したからだ。
 ダミオスがずかずかと目の前にまで近づいてきたので、ぐいっと見上げた。
 どうせなので、ついでに今日の調書も手渡しておく。
「部長。本日の調書です。たいした話は聞けておりませんが、今後の扱いについてはひととおり説明はしました」
「一度ですべて聞き出せなんては言わない。お前に望むのは、あの子の心に寄り添って真実を聞き出すことだ」
 この男はフィアナをけなしたかと思えば、こうやって励ます言葉をかけてくる。フィアナも苦手とする人物の一人であるものの、嫌いになれないのはこのような面があるからだろう。
「明日は、大聖堂に行って巫女たちの話を聞いてくれ」
「それは、第一が担当ではないのですか?」
 現場を確認したり関係者から話を聞いたりしているのは、第一騎士団に所属する騎士たちだ。
「そうなんだが……。巫女たちが、あいつらを見て怯えてるみたいでな。こう、会話が弾まないというか」
 会話を弾ませるようなところではないのだが、巫女たちから必要な話が引き出せていないというのだけはわかった。
 フィアナ自身も、今日は同じような感じだ。カリノから必要な情報を聞き出せていない。
 巫女たちも、いきなり男性の騎士がずかずかとやってきて、話を聞かせてくれと言われたら、警戒してしまうだろう。まして俗世と距離を置いている彼女たちであれば、なおのこと。
「まあ。今日のこれからの会議であいつらの成果報告もあるだろうが。どこも似たり寄ったりだろうな。被害者が聖女様ってだけで、なんかこう、隠されている感じがするんだよな」
 フィアナが手渡した調書を、手のひらにパシンパシンと打ち付けて、タミオスは自席へと戻っていく。同じ部署なだけに、その席もわりと近くにある。
「淹れ直す?」
 ナシオンが聞いたのは紅茶のことだろう。カップから、ゆらいでいた白い湯気は消えている。
「いえ、大丈夫です」
 ストンと椅子に座ったフィアナは、ぬるい紅茶を口に含んだものの、予想していなかった渋さに顔をしかめた。
 渋みによって頭がすっきりとしたところ、フィアナはもう一度資料に目を通した。
 被害者は聖女ラクリーア。朝の段階ではどれが致命傷になっているかがわからないとのこと。頭部切断、それから左手首も切断。さらに、胸部と腹部には複数回刺した跡がある。まるで、恨みでもあったかのように滅多刺しにされていたというのが、現場に駆けつけた者の見解だった。
 詳しくは今、その遺体を調べていることだろう。
 フィアナがずっと気になっているのは凶器だ。カリノのような少女が、成人女性を殺すためにはどのような凶器を用いるのか。
 現場からもその凶器が見つかっていないし、カリノが東分所にやってきたときも、聖女の頭部は持っていたけれど、刃物は手にしていなかったと、そのとき対応したデニスが証言している。
 ただカリノは、薪割りに使う斧でラクリーアの首を切断したと、デニスには伝えたようだ。今頃、その凶器が現場のどこからか見つかっているかも知れない。
 ここは今日の捜査結果を待つしかないだろう。
 ラクリーアは十二歳で神聖力に目覚め、そのときから聖女として活動していたようだ。だから、先の戦争でも聖女として戦地へ送られたにちがいない。
 しかし、ラクリーアがいつ大聖堂に入ったのかとか、それまで何をしていたのかとか、そういった情報がまったく開示されていなかった。
 これは意図的に大聖堂側が隠しているのか。
 次に、カリノの経歴を確認する。
 五年前の戦争で両親を亡くし、兄と共に神に仕えるために大聖堂に入る。
(……兄?)
 カリノの兄キアロは、聖騎士として聖職者の護衛を務めているようだ。
(妹が巫女で、兄が聖騎士。よくある話ね)
 大聖堂だって慈善事業をやっているわけではない。身寄りのない子を引き受けたとしても、その子らが大聖堂側にとって利益になるようにと教育している。
(兄のキアロはどうしているのかしら?)
 なぜかそれが気になった。きっと、第一騎士団は兄からも話を聞いていることだろう。

 捜査会議は一日に二回。朝、夕と行われる。
 たいてい、朝はその日の予定を確認し、夕方は成果物の報告となる。
 情報部としての成果物は、カリノから聞き出した話となるのだが、新しい発見などはない。ただ、彼女は自らの罪を認めており、処刑を望んでいる。
 それを部長が冷えた声で報告した。
 また、遺体を確認した第一騎士団より新しい結果が入る。
 左手、頭部は死んでから切断されたもの。めった刺しにされた腹部であるが、内臓の一部が取り出されていたことが判明した。その内臓の一部と左手は、まだ見つかっていない。
 ラクリーアの死因は失血死とされているが、どれが致命傷になったのかは不明とのこと。さらに、凶器となるようなものは見つかっていない。
 ただ、カリノが頭部切断に使ったと思われる斧は、近くの川底から出てきた。しかし、この斧は他の傷口とは合わない。やはり、切断のためだけに使用されたのだろうという意見でまとまった。
 同じく第一騎士団が、関係者から聞いた話を報告する。しかし、まともな情報は聞き出せなかったようで、巫女も聖騎士もなぜカリノが犯行に及んだのか、心当たりがまったくないとのことだった。

**~*~*~**

 カリノが王都エルメルにある大聖堂で巫女となったのは、戦争で両親を失ったのがきっかけだった。似たような境遇の子たちはたくさんいて、そんな子どもたちに救いの手を差し伸べたのが、聖女ラクリーアだった。
 ――巫女や聖騎士となって太陽神ファデルに使えればよいのです。
 彼女はそう言って、居場所のなくなった子どもたちを大聖堂へと連れて帰った。
 当時、大人たちは大聖堂の噂を口にしていたものの、幼いカリノにはそれがよくわからなかったし、そんな大人たちも戦争でいなくなってしまったのだ。
 だから、すべてを失ったカリノにとって、大聖堂は衣食住を与えてくれる場所という認識でしかなかった。
 大聖堂に入ったカリノは巫女として、兄のキアロは聖騎士見習いとして、与えられた仕事を黙々とこなした。
 巫女の朝は早く夜は遅い。日が昇る前から、井戸から水を汲み、教皇や枢機卿といった聖職者たちの食事の準備を始める。それが終われば、掃除、洗濯と次から次へと仕事をこなす。
 大聖堂に来てからわかったのだが、巫女というのは聖職者たちの身の回りの世話をする侍女、あるいはメイドのような存在だった。
 ある日、夕食後に彼らから声をかけられる巫女がいることに気がついた。カリノよりも年上の、美しい巫女たちだ。
 そんな彼女たちは、聖職者の私室へと向かう。そこで何があるのかなんて、もちろんカリノはわからない。だけど、なんとなく羨ましいとすら思っていた。
 まだ人恋しい時期であったため、聖職者たちを父親のような存在だと認識していたのかもしれない。そして、年上の巫女たちは姉だったり母親だったり。夜の寂しい時間に、誰かと一緒に過ごしたかったのかもしれない。
 そんななかでも、聖女ラクリーアだけはカリノにとっても特別な存在だった。神聖力と呼ばれる力を持つラクリーアは、大聖堂の中でももちろん特別な存在である。
 与えられた部屋も広くて豪奢なものだと聞いているし、カリノから見たらお姫様のような存在で、命を救ってくれた神のような人物。
 さらにラクリーアは、意外なことに兄のキアロと同い年であった。もっと年上に見えたのに、兄と同い年と聞いただけで、ラクリーアに親近感が沸いた。
 聖騎士見習いのキアロは、朝から晩まで鍛錬に励むものの、農作業も行っている。この農作業も鍛錬の一つなのだとか。また、大聖堂では自分たちの食べ物は自分たちで手に入れるのが基本方針だった。
 聖騎士たちは、日常の鍛錬やら警護のほかにも、要請があれば地方の聖堂へと派遣されることもあった。
 太陽神ファデルを信仰する者は、王都だけでなく国内各地に点在している。だから彼らが救いを求めたときは、手を差し伸べる必要がある。
 キアロが初めて地方に派遣されたとき、さまざまなことをカリノに教えてくれた。気候の違い、食べ物の違い、人の違い。同じ太陽神ファデルを信仰しているのに、その違いに驚いたとキアロは興奮した様子で語った。そうするとカリノも、いつかはそこに行ってみたいと、憧れを抱くのだ。
 だから大聖堂は、住む場所や家族を失ったカリノにとって、あたたかくてもう一つの家族のような場所だった。
 あれを知るまでは――。