「お帰り柚くん。学校から連絡あったわよ、また転んで頭打ったんだって? 大丈夫?」
 図書室での作業を終えて柚月が家に帰ると、台所で昼ご飯の支度をしていた伯母が心配そうに玄関へ顔を出した。
「ただいま。うん、保健室で休ませてもらったら治った」
「そう。学校だったから良かったけど、外でそんなことになったら大変よ。運動が苦手なのは分かるけれど、だからこそ自分で気をつけないと。他のことを考えていちゃだめよ」
「ごめん」
「大丈夫ならいいの。さ、お昼ご飯出来ているわよ」
「はい」

 手を洗い、自室で制服を脱ぐ。執筆作業は確かに楽しいけれど、こんなにも頭が脚本のことで一杯になっていたのには、柚月自身も驚いている。
 どうすれば主人公の心情が見る側に伝わるかを考えていたら、階段を踏み外して仰向けに滑り落ちてしまった。頭を階段に打ち付けてしまい、通りがかった先生に保健室へ連れて行かれたのが、さっきのこと。
 ふとブレザーをハンガーに掛ける手が止まった。
(あいつ、ユニフォーム血だらけだったな)
 
 柚月は昔から怪我が多く、鼻血をたびたび出していた。洗濯物を増やして母親の手を煩わせていたことを思い出す。
『あんたはそんなこと気にしなくていいから、ぎゅっと鼻を摘まんで下を向いてなさい』
 小さい頃から壊滅的に運動神経のない柚月だったけれど、何かを禁止されたことはなかった。父と一緒にサッカーを楽しんだことだってある。けれどすぐに足をひねったり転んだりして、だんだんと運動は避けるようになってしまって今に至る。いや、別にいいんだけど。
 別にいいけど、は柚月の口癖だ。別にいいけどと唱えておけば、たいていのことはうやむやになる。けれど、そう言えば夏休みに入ってから、まだ呟いていなかったことに気が付いた。久しぶりの別にいいんだけど、だ。
 そんな自分に少し戸惑い、けどまあ大したことじゃないかと、すぐに頭から追いやる。

 みんなと同じように運動することが苦手だと分かった頃から、柚月は読書中心の生活を送っている。本は良い。自分の代わりに、本の主人公が思い切り青春を謳歌してくれるから。
 そんな気持ちを脚本に込めてみたら、図書部の顧問にも演劇部の人にも褒められた。脚本の執筆は初心者ながら、自分でも手ごたえを感じている。自分に足りていないものは、ここにあるのだろうか。
 小さな予感めいたものは、まだ柚月自身にすら気付かれてはいない。