俺の書いた場面が動いている。
 セリフ、表情、背景。脚本が舞台に乗ると、こんな風になるのか。演劇部の芝居が始まると、自分の書いた脚本にもかかわらずまるで初めて見るもののように、柚月は舞台に引き込まれていった。
 主人公である、うさぎの着ぐるみを着た女の子には、柚月が今まで出来なかったことや経験したことのない体験を、代わりにしてもらっている。遊園地、アルバイト、仲間、喧嘩、恋愛。
 小さな子供に無理難題を言われて悩めば、バイト仲間が一緒に考えてくれる。どうやったら楽しんでもらえるか、意見が分かれて喧嘩になる。先輩の態度に一喜一憂する主人公。バイトと勉強の両立。進路。自分は将来、何をしたいのか。

「自分は何をしたいのか」
 主人公の根底にあるテーマは、そのまま柚月自身にも当てはまる悩みだ。
 人付き合いの苦手な柚月は、周りに相談することが出来ない。周りが何に悩んでいて何を楽しんでいるのかも分からない。
 今の自分が何に向いているのかも分からないし、だれも教えてくれない。そんな諦めの殻が、分厚く柚月の周りを覆っていた。殻は自分の力でも壊せないほど強固になり、柚月はいつしか、ずっと一人でいれば良いのだと殻の中に閉じこもるようになった。そしてそんな自分ですら『別にどうでもいい』。

 そんな殻にヒビを入れてこようとするやつがいる。柚月は、暗がりの客席で小さく隣に目を遣った。そいつは瞬きもせず、座席の肘掛けをぎゅっと握って一心に舞台を見つめている。
 夏休みに晴太と過ごすようになってから、心の殻に液体のようなものが少しずつ浸透していくのを感じていた。確実に、殻はふやけて柔らかくなっていっている。

 長い間、自分の中で決定的に足りていなかった何か。それを晴太が持っているんだとしたら、一体それは何という感情なんだろう。
 自分の出した問いかけに、柚月はひとつの答えを思い浮かべた。果たしてそれが正しいことなのか、抱いても良い感情なのかは分からないけれど。

 柚月の視線に、ふっと晴太が気付いたのが分かった。つい力が入ってしまったことに照れたような笑みを浮かべる晴太。つられて笑う柚月。
 それは、どちらからともなくだった。
 肘掛けに乗せた手が、やがて互いに触れる。柚月の手に晴太の手がほんの少しだけ重なり、柚月の手はそれを拒まない。
 
 二人の重なる想いを乗せて、舞台は主人公が夢に向かって歩き始めるクライマックスを迎えていた。