〖2035年8月〗

 あの夜から10年の月日が流れた。穏やかに時は過ぎ、町並みが変わる様に僕たち家族も少しずつ形を変えていった。

 美桜は幼馴染と結婚してこの春に2人目の子供が生まれた。大学進学を機にひとり暮らしを始めた冬馬も今年20歳を迎える。

 広く静かになったこの家で僕は今でもあの人と暮らしている。弟として。
 
 形を変えながらも僕たちは家族であり続けている。ここは僕たち家族、一人一人の居場所だ。

 「まだそのトートバッグ使ってる。」
あの人はそう言って微笑む。
「うん、お気に入りだから。姉ちゃん、散歩にでも行く?」
「うん。」
 今日、誕生日を迎えるあの人は僕が贈ったネックレスを毎日欠かさず身に着けている。
 この10年、恋愛もせずに姉を続けている。あの日の夜のことなんて無かったかのように。

 歩き慣れた河川敷。今年の夏は記録的な冷夏だったと今朝のニュースでやっていた。
 そよ風が頬を撫でる。
 あの人の手には僕の好きな天然水のペットボトル。僕の手にはあの人の好きなミルクティーのペットボトル。

 涼風にあの人の長い髪が靡く。
「姉ちゃんさ、なんでずっと髪伸ばしてるの?」
そう訊ねると。
「だって、夏空が。…なんでもない。」
あの人は夏空(なつぞら)を見上げながら笑う。
 今日も河川敷の日陰で腰を下ろして話す。
「姉ちゃん、初めてここで出逢った日の約束覚えてる?」
あの人は恥ずかしそうに笑った。
「覚えてない。」
「姉ちゃんの嘘つき。」
ふたりで笑い合う。

 強い風が吹いた。まるでスローモーションみたいに。川の水面が晩夏の太陽を反射して宝石のようにキラキラ煌めきながらあの人を照らし出す。長くて綺麗な髪を靡かせながらあの人が僕を見て微笑む。

 心の中で必死に張っていた幕が夏風に吹き飛ばされた気がした。

「清夏。」

「うん?」

「結婚しようか。」
「うん。」
清夏(さやか)はあの約束の時と同じ笑顔で答えた。


 これは空の晴れ渡ったさわやかな夏の日の恋のお話。


清夏(せいか)(こい)
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