たまたま出会った元娼婦のルーチェからアヴェンへの護衛を頼まれた翌日、昼を少し過ぎた時刻に、ジークは中央通りにあるカフェを訪れていた。夜には飲み屋へと様変わりするそこは、カフェというにはあまりにもお洒落感に欠ける。単に日中はお茶と軽食を提供する場、とでも言った方がしっくりくるかもしれない。
昼食後に散歩に出てしまったティグとは別行動だったので、ローブではなく上着を羽織ったジークは、通りに面したテーブルに着いて依頼主が来るのを待っていた。
そう言えば、名前以外は何も聞いてなかったな、と昨晩はルーチェの強引さに圧倒されて勢いで依頼を受けてしまったことを思い起こし、困ったように栗色の前髪をわしゃわしゃと掻いた。
「ごめん、お待たせ」
目の前に現れた人影に顔を上げるが、一瞬だけ戸惑ってしまった。声は確かに昨晩の女の物に違いなかったが、肩で切り揃えられた髪に、素顔に見紛うほどの薄化粧、襟元にリボンをあしらった淡い色のブラウスと濃紺のロングスカート。
清楚を絵に描いたような出で立ちの女はジークの前の椅子を引くと、当然のように腰掛けた。
「朝から髪切って貰ってたら、遅くなっちゃった」
「昨日とは、随分――」
「あはは。あんな恰好、仕事でもないと出来ないわよ」
濃い化粧は営業用というよりは素顔を隠す為だと説明され、彼女達の仕事の大変さを垣間見た気がする。薄暗い照明の下での昨晩の妖艶な女と、目の前にいる清廉な女が同じ人物だと見抜ける者がどれだけいるだろうか。
「で、アヴェンへはいつ?」
「そうねえ、出来れば早い方がいいわ。明日でも明後日でも」
ルーチェから護衛依頼の相場が分からないと言われたので、ギルドで報酬として提示されている相場を伝える。
「帰郷ってことは、護衛は片道だけだよね?」
「あー、それなんだけどさ、帰りは妹を護衛してあげて欲しいのよ。入れ違いでこっちに来るの」
学舎を卒業したばかりの妹が、こちらで住み込みの仕事をすることになっていると言う。
「だから、妹の為にも信頼できる護衛を探してたんだよね」
ルーチェ自身は多少のことには耐えられるし、それなりの覚悟はあるが、まだ幼い妹には嫌な思いはさせたくない。彼女の昨日までの仕事を知っていても、下心無しに彼女達をそれぞれの地に安全に送り届けてくれる護衛がどうしても必要だった。
馬車の手配などの細かい打ち合わせをしていると、ガチャガチャと剣を鳴らす音がテーブルへと近付いて来た。
「ルーチェ! 探したぞ」
同席の女の名を呼ぶ声に、ジーク達は振り向く。肩で息をして、顔中に汗を流して駆け寄って来たのは、大規模討伐の時に同じ班になった剣士シンバだった。
「シンバ……どうして?」
「どうしてって、お前が店辞めてアヴェンへ帰るって聞いたから」
今の彼女をルーチェだと認識しているということは、シンバはただの客という訳ではないのだろう。素顔の彼女も知っている仲ということは、つまり――ジークは二人のただならぬ雰囲気に、静観を決め込んだ。
「そうよ、その打ち合わせを今してもらってるところ」
言われて、ようやく向かいの席のジークに気付いたのか、シンバは気まずそうに苦笑いする。「久しぶり」と片手を上げて微笑みながら、ジークはシンバへと同席を勧める。
「確かに、ジークの護衛なら安心だけど――俺じゃ、ダメなのか?」
「帰りに妹の護衛も頼んでるのよ。あなたじゃ、きっと妹が怖がるわ」
鍛え上げられた体躯に日に焼けた肌と無精ひげ、屈強な冒険者の代表格のような風貌の剣士は、ルーチェの言葉に言い返せない。彼女の隣の席で縮こまりながら、ボソボソと呟く。
「なら、ルーチェも一緒に三人で戻って来ればいい」
「え?」
聞き返され、意を決して顔を上げると、シンバはルーチェの顔を真正面から見つめて言い直した。
「俺も一緒にアヴェンに帰って、お前の親に挨拶する。で、妹と一緒にまたシュコールに戻って来よう」
「シンバ、それって……」
剣士の言葉の意味を確認するかのように、ルーチェはシンバの顔を見上げる。娼婦だった自分を娶るのは、とてつもなくリスクが高い。世間からどう噂されるかも分からない。
「シュコールが嫌なら、他に行ってもいい。俺がアヴェンに行くのだっていいさ。どこにでもギルドはあるし、何なら別の仕事を探したっていい」
そう言いながら、ズボンのポケットから手の平サイズの布袋を取り出すと、その紐を解き、中の物を大事そうにルーチェの目の前に差し出す。
黄色の魔石を中央に施した、花の意匠のネックレス――黄色の魔石は魔獣除けだ。貴方を一生守ります、という意味を込めた求婚の証だ。
受け取った物をじっと見つめていたルーチェの頬を一筋の涙が伝う。店を辞めると同時に、シンバへの想いも捨て去る覚悟で、一日も早い帰郷を決めたところだったのだ。
「そんな訳だから、悪いな、ジーク」
「いや、おめでとう」
依頼の話は流れたようだし、二人の前に長居は無用と、ジークは猫の待つ宿屋へと戻ることにした。
昼食後に散歩に出てしまったティグとは別行動だったので、ローブではなく上着を羽織ったジークは、通りに面したテーブルに着いて依頼主が来るのを待っていた。
そう言えば、名前以外は何も聞いてなかったな、と昨晩はルーチェの強引さに圧倒されて勢いで依頼を受けてしまったことを思い起こし、困ったように栗色の前髪をわしゃわしゃと掻いた。
「ごめん、お待たせ」
目の前に現れた人影に顔を上げるが、一瞬だけ戸惑ってしまった。声は確かに昨晩の女の物に違いなかったが、肩で切り揃えられた髪に、素顔に見紛うほどの薄化粧、襟元にリボンをあしらった淡い色のブラウスと濃紺のロングスカート。
清楚を絵に描いたような出で立ちの女はジークの前の椅子を引くと、当然のように腰掛けた。
「朝から髪切って貰ってたら、遅くなっちゃった」
「昨日とは、随分――」
「あはは。あんな恰好、仕事でもないと出来ないわよ」
濃い化粧は営業用というよりは素顔を隠す為だと説明され、彼女達の仕事の大変さを垣間見た気がする。薄暗い照明の下での昨晩の妖艶な女と、目の前にいる清廉な女が同じ人物だと見抜ける者がどれだけいるだろうか。
「で、アヴェンへはいつ?」
「そうねえ、出来れば早い方がいいわ。明日でも明後日でも」
ルーチェから護衛依頼の相場が分からないと言われたので、ギルドで報酬として提示されている相場を伝える。
「帰郷ってことは、護衛は片道だけだよね?」
「あー、それなんだけどさ、帰りは妹を護衛してあげて欲しいのよ。入れ違いでこっちに来るの」
学舎を卒業したばかりの妹が、こちらで住み込みの仕事をすることになっていると言う。
「だから、妹の為にも信頼できる護衛を探してたんだよね」
ルーチェ自身は多少のことには耐えられるし、それなりの覚悟はあるが、まだ幼い妹には嫌な思いはさせたくない。彼女の昨日までの仕事を知っていても、下心無しに彼女達をそれぞれの地に安全に送り届けてくれる護衛がどうしても必要だった。
馬車の手配などの細かい打ち合わせをしていると、ガチャガチャと剣を鳴らす音がテーブルへと近付いて来た。
「ルーチェ! 探したぞ」
同席の女の名を呼ぶ声に、ジーク達は振り向く。肩で息をして、顔中に汗を流して駆け寄って来たのは、大規模討伐の時に同じ班になった剣士シンバだった。
「シンバ……どうして?」
「どうしてって、お前が店辞めてアヴェンへ帰るって聞いたから」
今の彼女をルーチェだと認識しているということは、シンバはただの客という訳ではないのだろう。素顔の彼女も知っている仲ということは、つまり――ジークは二人のただならぬ雰囲気に、静観を決め込んだ。
「そうよ、その打ち合わせを今してもらってるところ」
言われて、ようやく向かいの席のジークに気付いたのか、シンバは気まずそうに苦笑いする。「久しぶり」と片手を上げて微笑みながら、ジークはシンバへと同席を勧める。
「確かに、ジークの護衛なら安心だけど――俺じゃ、ダメなのか?」
「帰りに妹の護衛も頼んでるのよ。あなたじゃ、きっと妹が怖がるわ」
鍛え上げられた体躯に日に焼けた肌と無精ひげ、屈強な冒険者の代表格のような風貌の剣士は、ルーチェの言葉に言い返せない。彼女の隣の席で縮こまりながら、ボソボソと呟く。
「なら、ルーチェも一緒に三人で戻って来ればいい」
「え?」
聞き返され、意を決して顔を上げると、シンバはルーチェの顔を真正面から見つめて言い直した。
「俺も一緒にアヴェンに帰って、お前の親に挨拶する。で、妹と一緒にまたシュコールに戻って来よう」
「シンバ、それって……」
剣士の言葉の意味を確認するかのように、ルーチェはシンバの顔を見上げる。娼婦だった自分を娶るのは、とてつもなくリスクが高い。世間からどう噂されるかも分からない。
「シュコールが嫌なら、他に行ってもいい。俺がアヴェンに行くのだっていいさ。どこにでもギルドはあるし、何なら別の仕事を探したっていい」
そう言いながら、ズボンのポケットから手の平サイズの布袋を取り出すと、その紐を解き、中の物を大事そうにルーチェの目の前に差し出す。
黄色の魔石を中央に施した、花の意匠のネックレス――黄色の魔石は魔獣除けだ。貴方を一生守ります、という意味を込めた求婚の証だ。
受け取った物をじっと見つめていたルーチェの頬を一筋の涙が伝う。店を辞めると同時に、シンバへの想いも捨て去る覚悟で、一日も早い帰郷を決めたところだったのだ。
「そんな訳だから、悪いな、ジーク」
「いや、おめでとう」
依頼の話は流れたようだし、二人の前に長居は無用と、ジークは猫の待つ宿屋へと戻ることにした。