ギルドの入口扉前には4段だけの短い石階段がある。幅広い石段は冒険者達がたむろって腰掛けていることも多く、その際に武具が擦れて付いた傷は数え切れなかった。よく目を凝らせば、過去に立ち去って行った者達が彫り残したらしきメッセージやイニシャルもあったが、雨風に削られてはっきりとは読み取れない。
その石段の端にちょこんと腰掛けている幼い男児は、赤レンガ造りの建物の中で依頼を探している父が戻ってくるのを一人で大人しく待っていた。しばらくはお行儀よく座っていたが、退屈してくると足下に落ちていた小石を拾い、それを使って石の階段に小さな傷を付けて絵らしきものを描き始める。
一人遊びに夢中になっている子供の横を、我関せずと素通りする者、不審に思い二度見する者、愛想よく声を掛けていく者など、ギルドを利用する冒険者達は様々な反応を見せながらも過ぎ去って行く。
木製の扉が開く度に男児は顔を上げて、父でないと分かるとまた小石を使って遊びに戻った。
ジークがギルドに着いた時には丁度、男児の父親がギルドから出てきたところだった。右手には二つに折り畳まれた依頼書を握り締め、左手で息子の手を引いている。帯剣ベルトが緩んでいるのか、時折足に引っ掛かる剣に眉をしかめているが、立ち止まって直そうとする素振りはない。
トボトボと覇気なく歩いて行く親子の後ろ姿が気にはなったが、ジークに出来ることなど何もない。冒険者の中には訳ありの者も少なくないのだから。
その子連れの剣士達を見かけるようになってから何度目だろうか、黒いローブの中にトラ猫を抱いてギルドを訪れたジークは、石段に座っている子供が陽だまりの中でうつらうつらと船を漕いでいるのに気付いた。どこかに身体を凭れさせている訳でもなく、ただ石段に座りながら眠り始めている姿は危なっかしい。ふらふらしていて、今にも勢いよく倒れて頭を階段に打ち付けてしまいそうだ。
「お父さん、遅いね」
声を掛けながら、ジークは男の子の隣に腰を下ろした。度々すれ違うことはあったが、これまで話したこともなかったから、あからさまに警戒の目を向けられるのは当然だ。
「この子も一緒に日向ぼっこしてもいいかな?」
ローブを少し捲って、中から縞模様の猫の顔を見せる。こちらを向いた丸い顔に真ん丸の目に、男児も負けじと目を丸くした。初めて見た小さな獣に驚いて、眠気もすっかり吹き飛んだようだ。
「これ、何?」
「虎の子。おとなしいから触っても大丈夫だよ」
怖々と手を出してはみるが、警戒心からか触れる前で止まってしまう。ビクビクしながらも好奇心はあるようで、猫の顔の前で小さな指が開いたり閉じたりを繰り返していた。
そのまどろっこしい手の動きが気になったのか、縞々の前脚がペシッと男児の手を叩く。爪を隠した優しい猫パンチだ。
「?!」
柔らかい肉球と、ふわふわの猫毛の織り交ざった感触は、ビックリ目の幼児を一瞬で破顔させた。勇気を出して猫の頭を撫でてみれば、日向で温まった毛はふわふわで、頭の上でピクピクと動く耳がおかしくて堪らない。声を出して笑い始めた男の子の顔をティグは不思議そうに見上げていた。
「この虎さんの名前は何ていうの?」
「この子はティグ。君は?」
「僕はジェシー」
聞かれてもいないのに、ジェシーは「5歳になったよ」と右手をパーにして見せてくる。その得意そうな反応から、つい最近に誕生日を迎えたばかりと丸分かりで、ジークは吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
ジークの膝にちょこんと座る猫は、顔の前に出された小さな手の匂いをクンクンと嗅ぎ、その指先に頬を擦り付けていた。くすぐったがって無邪気な笑い声を上げるジェシーは、縞模様の背を毛流れに沿って撫でてその毛の柔らかさに驚いていた。
「……ジェシー?」
「あ、お父さん!」
ギルドの扉から出て来た剣士は、息子の隣にジークの姿を見つけて訝しそうにしていた。いつもは一人で詰まら無い顔をして待っているジェシーが、大きな声を出して笑いながら父へと駆け寄っていく。
「あのね、お兄ちゃんの虎さんと遊んでた!」
「え、虎?」
ちらりとジークの方を見、ローブの中から覗く縞模様の獣を確認すると、納得したように「ああ」と頷いた。このギルド1有名な青年が連れているという契約獣の話は聞いたことがある。
「息子が世話になった」
「依頼は?」
ジェシーの父である剣士の両手には何も握られて無い。随分と時間が掛かっていた割に、何の受諾も出来なかったのだろうか。
「いや、今日は登録解除に来た」
「辞めるのか、冒険者を?」
予想外の返答に驚くジークだが、静かに頷き返した剣士の表情に迷いは見えなかった。相変わらず疲れ切った顔だが、息子を見つめる瞳は穏やかな色をしている。その決断は間違いなくジェシーを思ってのことだろう。
「住み込みの働き口を見つけたんだ、冒険者では子供を食わせらんねえし。明日からは薬草園勤めだ」
「そっか」
立ち上がってローブについた砂埃を払うと、ジークは息子の為に剣を置く覚悟を決めた男に別れを告げた。冒険者を辞める理由は人それぞれだ。
その石段の端にちょこんと腰掛けている幼い男児は、赤レンガ造りの建物の中で依頼を探している父が戻ってくるのを一人で大人しく待っていた。しばらくはお行儀よく座っていたが、退屈してくると足下に落ちていた小石を拾い、それを使って石の階段に小さな傷を付けて絵らしきものを描き始める。
一人遊びに夢中になっている子供の横を、我関せずと素通りする者、不審に思い二度見する者、愛想よく声を掛けていく者など、ギルドを利用する冒険者達は様々な反応を見せながらも過ぎ去って行く。
木製の扉が開く度に男児は顔を上げて、父でないと分かるとまた小石を使って遊びに戻った。
ジークがギルドに着いた時には丁度、男児の父親がギルドから出てきたところだった。右手には二つに折り畳まれた依頼書を握り締め、左手で息子の手を引いている。帯剣ベルトが緩んでいるのか、時折足に引っ掛かる剣に眉をしかめているが、立ち止まって直そうとする素振りはない。
トボトボと覇気なく歩いて行く親子の後ろ姿が気にはなったが、ジークに出来ることなど何もない。冒険者の中には訳ありの者も少なくないのだから。
その子連れの剣士達を見かけるようになってから何度目だろうか、黒いローブの中にトラ猫を抱いてギルドを訪れたジークは、石段に座っている子供が陽だまりの中でうつらうつらと船を漕いでいるのに気付いた。どこかに身体を凭れさせている訳でもなく、ただ石段に座りながら眠り始めている姿は危なっかしい。ふらふらしていて、今にも勢いよく倒れて頭を階段に打ち付けてしまいそうだ。
「お父さん、遅いね」
声を掛けながら、ジークは男の子の隣に腰を下ろした。度々すれ違うことはあったが、これまで話したこともなかったから、あからさまに警戒の目を向けられるのは当然だ。
「この子も一緒に日向ぼっこしてもいいかな?」
ローブを少し捲って、中から縞模様の猫の顔を見せる。こちらを向いた丸い顔に真ん丸の目に、男児も負けじと目を丸くした。初めて見た小さな獣に驚いて、眠気もすっかり吹き飛んだようだ。
「これ、何?」
「虎の子。おとなしいから触っても大丈夫だよ」
怖々と手を出してはみるが、警戒心からか触れる前で止まってしまう。ビクビクしながらも好奇心はあるようで、猫の顔の前で小さな指が開いたり閉じたりを繰り返していた。
そのまどろっこしい手の動きが気になったのか、縞々の前脚がペシッと男児の手を叩く。爪を隠した優しい猫パンチだ。
「?!」
柔らかい肉球と、ふわふわの猫毛の織り交ざった感触は、ビックリ目の幼児を一瞬で破顔させた。勇気を出して猫の頭を撫でてみれば、日向で温まった毛はふわふわで、頭の上でピクピクと動く耳がおかしくて堪らない。声を出して笑い始めた男の子の顔をティグは不思議そうに見上げていた。
「この虎さんの名前は何ていうの?」
「この子はティグ。君は?」
「僕はジェシー」
聞かれてもいないのに、ジェシーは「5歳になったよ」と右手をパーにして見せてくる。その得意そうな反応から、つい最近に誕生日を迎えたばかりと丸分かりで、ジークは吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
ジークの膝にちょこんと座る猫は、顔の前に出された小さな手の匂いをクンクンと嗅ぎ、その指先に頬を擦り付けていた。くすぐったがって無邪気な笑い声を上げるジェシーは、縞模様の背を毛流れに沿って撫でてその毛の柔らかさに驚いていた。
「……ジェシー?」
「あ、お父さん!」
ギルドの扉から出て来た剣士は、息子の隣にジークの姿を見つけて訝しそうにしていた。いつもは一人で詰まら無い顔をして待っているジェシーが、大きな声を出して笑いながら父へと駆け寄っていく。
「あのね、お兄ちゃんの虎さんと遊んでた!」
「え、虎?」
ちらりとジークの方を見、ローブの中から覗く縞模様の獣を確認すると、納得したように「ああ」と頷いた。このギルド1有名な青年が連れているという契約獣の話は聞いたことがある。
「息子が世話になった」
「依頼は?」
ジェシーの父である剣士の両手には何も握られて無い。随分と時間が掛かっていた割に、何の受諾も出来なかったのだろうか。
「いや、今日は登録解除に来た」
「辞めるのか、冒険者を?」
予想外の返答に驚くジークだが、静かに頷き返した剣士の表情に迷いは見えなかった。相変わらず疲れ切った顔だが、息子を見つめる瞳は穏やかな色をしている。その決断は間違いなくジェシーを思ってのことだろう。
「住み込みの働き口を見つけたんだ、冒険者では子供を食わせらんねえし。明日からは薬草園勤めだ」
「そっか」
立ち上がってローブについた砂埃を払うと、ジークは息子の為に剣を置く覚悟を決めた男に別れを告げた。冒険者を辞める理由は人それぞれだ。