その日もいつも通りにジークは一人でギルドを訪れていた。ティグを宿屋で待たせ、依頼が掲示されているボードを端から順に見て回っていた。魔の森で完遂できる依頼で、その中でも何か割の良い物があればと。

 簡単に見分けられて群生地に覚えがある薬草の採取依頼を見つけ、その依頼書へと手を伸ばす。と、彼の左手がその掲示物に触れる直前、横から伸びて来た誰かの手がそれをひっぺ剥がして行った。

 ギルドの依頼は早い者勝ちだ。そういうこともあると、少し悔しい思いをしながらもすぐ諦めて他の依頼を探し直す。次にジークが目星を付けたのは、中型魔獣の討伐依頼。群れの可能性はあるが、単独でも受諾可能という条件だったのでティグと一緒ならとそれに決める。

「あ……」

 思わず声が漏れた。またもや、横から出て来た手がジークより先に目当ての依頼書を奪い取って行ったのだから。
 それほど混雑はしていない時間帯で、二度も依頼書を横取りされてしまうことなど、今まではなかった。まさかと思い、今度は特に興味もない手近な依頼書に手を伸ばすフリをしてみる。

「オイ!」

 ジークのフリに引っ掛かったその手を強く掴むと、人込みの中から引っ張って連れ出した。依頼書を握りしめたまま、その手の主は必死で逃げようと抗っていたが、模擬剣での鍛錬を続けているジークは並みの魔法使いほどは弱くはない。

「な、何だよ、いきなり!」

 右手首をガッツリと掴んでボード前から引っ張り出したのは、見覚えのない赤い髪の若い剣士だった。明らかに素早さをウリにしている軽めの武具に、手入れされた剣を腰に携えていた。
 ギルドに来る時間帯がいつもは違うのか、それとも最近シュコールで登録したばかりなのか。どう考えても、初見の冒険者だ。
 掴まれた右手には先程の囮の依頼書を掴み、反対の手にもジークが狙っていた2枚の依頼書を握りしめている。

「どういうつもりだ?」
「な、何がだよ?!」

 あくまでも惚けるつもりなのか、ジークの目を一切見ようともしない。かと言って、強く言ったところでワザと横取りしたという証拠もない。他の冒険者達が遠巻きに二人の様子を見ているのに気付き、それ以上の追及は諦めてジークは再び依頼ボードへと向かった。

 何とか見つけた依頼書の受諾登録を終えると、ティグを迎えに宿屋へと戻る。途中、何者かに付けられている気配は感じたが、あえて気付いていないフリを貫いた。

 ――何なんだ……?。

 黒色のローブの中にトラ猫を忍ばせて魔の森へと向かう間、ジークの胸に抱かれていたティグはピクピクと耳を動かして、ずっと付いて来る後ろの気配を気にしていた。

「何だろうね、あれ」
「にゃーん」

 こっそりと囁き合いながら、石壁の検問所を抜け出る。最近ではもう、ローブの中の猫の確認はほとんどされることがなくなった。それだけ顔見知りが増えたということなんだろう。

 森の入口付近まで来ると猫を降ろして、目的地を目指して並んで歩き始める。今朝は依頼を探すのに少し邪魔が入ったが、いつもと同じように魔獣の討伐と薬草採取の依頼を受けて来ていた。

 草の匂いを嗅いだり、倒木に飛び乗ってみたりと自由に歩く猫のペースに合わせ、のんびりと森の中を奥へと進んでいく。途中で見つけた依頼外の薬草も摘んでいき、遭遇した魔獣から素材になりそうなものを回収したりと、目的地に着くまでもそれなりに充実していた。

 宿屋の女将に作って貰った昼食を倒木に腰掛けて食べていた時、ずっと後ろから付いて来ていた人物が痺れを切らして姿を現した。

「な、何なんだよ、お前! ペットの散歩かよ!」

 ギルドを出た時から正体には気付いてはいたが、依頼書を横取りした赤髪の剣士が顔を真っ赤にして怒鳴り込んできた。
 ジークは燻製肉を挟んだパンの最後の一口を頬張りながら、コップに水を注ぎ入れる。

「ティグも水、いる?」
「にゃーん」

 猫用の器にも水魔法で水を出してやると、縞模様の猫は長い舌を使って美味しそうに飲み始めた。

「なんでずっと付いて来るんだ?」
「つ、付いて来てなんかねーよ! 俺も依頼を受けてるだけだ!」

 冷めた目のジークの追及に、赤髪の剣士ヨサはしらばっくれた。確かにジークから奪った依頼を受けたのだとしたら、森に来ていてもおかしくはない。
 荷物を片付けると、ヨサのことは無視して歩き出す。目的の魔獣が頻出する場所まではもう少しだ。

 ギルドから聞いていたポイントには着いたが、討伐対象の魔獣の姿は無かった。前日の雨のせいで地面がぬかるみ、足場も悪い。足が汚れるのが嫌なのか、ティグは岩や倒木の上ばかりを歩いていた。

「居ないなぁ……」

 近くに気配はないかと、静かに周りを探ってみる。木々の騒めきに紛れて、遠くから獣の呻き声が耳に届いた。声からすると、お目当ての魔獣だろう。猫も気付いたようで、ピクリと耳をそちらの方に向けていた。

 ジーク達が移動しようと身体の向きを変えると、少し離れた木の後ろに隠れる赤髪の剣士が目に入った。

 ――あ、まだ居た。

「後ろから、来るよ」
「へ?」

 一応、忠告はした。
 振り向いたヨサの後ろから猪型の魔獣が勢いよく突進して来るのを、剣士自身がようやく気付いた時、すでに魔獣の首と身体はスッパリと二つに分かれていた。

「へ?」

 呆気に取られているヨサの目の前1メートルに、獣の身体は横たわり、その首は少し離れた場所まで吹き飛ばされていた。彼が剣を抜く隙はこれっぽっちも無かった。

「なんか、ごめん……。ギルドのエースとか言われてるし、勝手に対抗心燃やしてたけど、全然次元が違ったわ」

 他所のギルドではそれなりに活躍していたというヨサは、シュコールのギルドに移籍してすぐにジークの噂を聞かされ、気になって付きまとってしまったと素直に謝罪した。

「ぱっと見もそんな凄そうに見えないし、小っちゃい獣と遊んでるようにしか見えなかったから」

 多分、褒められているのだろうけれど、ジークは少しばかり複雑な気分を感じずにはいられなかった。