前日とはうって変わっての曇り空。アヴェンまでの護衛依頼の翌日、前もって受けていた案件の為に、ジークとトラ猫は森の中を歩いていた。今回もまた、いつも通りの薬草採取と魔獣関連だ。魔獣の出没ポイントへ向かいつつ、目についた草をのんびり摘んでいく。特に期限の無い案件だったので、急ぐ必要もない。

 鹿型の魔獣の角を持ち帰るという依頼なので、どこぞの金持ちが装飾として欲しているのだろうか、悪趣味極まりない。討伐の際に角を傷付けないようにとの注文付きだから、今回はティグの出番は無さそうだ。猫に任せたら角どころか毛一本残らない可能性がある。

 依頼用の薬草とは別の、希少な草が生えているのを見つけると、手持ちの麻袋に詰め込んでいく。これはギルドに持って行くよりも薬店に直接持ち込む方が高値で売れるはずだ。

 餌場らしき森林地帯に入るとお目当ての魔獣はすぐに見つかった。大きな角を携えた成獣が二体とその後ろには幼獣が一体。複数に枝分かれした角を持つのが雄で、真っ直ぐに伸びた角が雌だ、生まれたばかりの子供にはまだ角は無い。三体はこちらの気配にはまだ気付いていなさそうで、木の皮を剥がしたり草を貪ったりと思い思いに食していた。そっと風下へと移動しながら、ジークは対象の様子を覗う。

 まだ乳離れしていない幼獣は母親の腹に擦り寄って甘える姿も見せていた。その様子にジークは少し考えたが、思い切ったように魔獣の親子に向けて風の刃を放った。
 スパッという鋭い切れ味で、成獣二体の頭部から長く立派な角が根本ギリギリで切断される。それまでジーク達の気配にはまるで気付いていなかった三頭は、驚いて散り散りにその場から逃げ去っていった。

 残された二対の角を拾い上げると、紐で束ねて背負う。あの種が近隣の村へ悪さをしに来たという話はあまり聞かない。魔獣の中では穏やかな種族だし、まだ乳飲み子を抱えている親子を引き裂く気にはなれなかった。必要なのは奴らの角だけだ。それさえ回収できれば命まで奪う必要はない。

 周辺を見回してみて、特に目ぼしい草も見当たらなかったので来た道を戻ろうと少し歩き出した時、前方斜めの方角から怒声とも悲鳴とも判別し難い声が聞こえて来た。

「?」

 明らかに、声はこちらの方に向かって来ている。ティグも耳を立てて、騒いでいる方を注視していた。

「うわっ! く、来るな……!」

 木の枝を踏み荒らして、冒険者らしき男が一人こちらへ向かって走ってきている。その後ろには、熊型の大型魔獣の姿。四つ足で男を追いかけ、今まさに襲い掛かろうとしていた。
 男は遭遇してすぐに剣を折られ、隠し持っていた短剣も投げてしまい、怒り狂った魔獣を前に、すでに戦う術を失っていた。逃げるにしても、ぬかるんだ足場に足を取られ、思うように進まない。――まさに、絶対絶命。

「しゃがんで!」

 急に声が聞こえて、男は反射的にその場で身体を丸める。即刻、熱い何かが頭上を走っていくのを感じた。その次の瞬間には、彼を追いかけていた獣が真っ赤な炎の柱に包まれ、しばらく呻いた後にどさりと音を立てて身体を横たえた。

「え?」

 必死で走り逃げていた為にまだ荒い息のまま、燃え尽きる魔獣を茫然と見る。何が起こったのかと肩で息しながら振り返ると、黒いローブをまとった青年と、その傍らには縞模様の小さな獣。その姿に、一気に足の力が抜け落ちる。膝をついて地面にへたり込んだ。

「はぁ……助かったぁ」

 彼もギルドに籍を置く冒険者だ、ジークのことは知っている。話したことは一度も無かったけれど。その栗色の髪を見た瞬間に全てを察し、安堵からか身体中の力が抜けてしまった。もう大丈夫だ……と。

「一人?」
「ああ、いや、他の奴らは逃げた……くっそ、あいつら!」

 ジークに支えられて立ち上がると、彼を囮にして先に逃げた仲間を思い出して悪態をつく。仲間と言っても即席のパーティだ、そんなもんだと言われれば何も言えない。魔獣に遭遇するまでは陽気な良い奴らだと思っていたが、危機にあっさりと男を切り捨て去る後ろ姿を思い出し、悔しさから奥歯をぎしりと噛みしめた。

 武器を無くした丸腰の男をそのまま放っておくこともできず、ジークは残りの薬草採取は諦めた。猫の為にももう少しだけ森に居たかったけれど――。

「あんた、本当に強いんだな」

 噂は所詮、噂だと思っていたが、実際に目の当たりにして分かった。一緒に依頼を受けるとか、そんな恐れ多いことは言えない。あんな魔法は初めて見た。中型魔獣を一撃で倒すくらいだ、魔法使いではなく魔導師と呼ばれているのも納得だ。今ジークが背に負っている角だって、それを本当に一人で獲ったのかと疑いたくなるくらいの大物だったはずだ。しかもよく見たら、角は二体分もあるじゃないか……。

「討伐証明に、何か要る?」
「俺はいい。あんたが持って帰って」

 ジークは焼け焦げた魔獣をしばらく見下ろして考えていたが、二本の牙を抜くと麻袋へと突っ込んだ。