朝日が昇り、窓から差し込む光で目を覚ますと、私はふと「よし!」と声に出してしまった。今日は待ちに待った花火大会。
楽しみで眠れなかったけど、眠りについてしまえばあっという間に朝が来ていた。

ベッドから起き上がると、心が高鳴るのを感じながら顔を洗いに行く。鏡を見ながら、わくわくした気持ちが止まらなかった。

時間は驚くほど早く過ぎていく。気づけば、夕方が近づいていた。浴衣の準備をしなければと思い、私は急いで支度を始める。
浴衣を広げて着付けを始めるが、普段の服と違って少し手間がかかる。けれど、この特別な日に浴衣を着ることが嬉しくて自然と笑顔になってしまう。

着付けが終わると、次は髪型だ。いつもとは違うアレンジに挑戦し髪をアップにまとめてみる。髪飾りを選ぶのも楽しいひと時だった。鏡の前で確認すると、普段とは少し違う自分が映っていた。

「これでいいかな?」

少し緊張しながらも、準備は整った。

ちょうどその時、玄関からインターホンの音が鳴った。私は心臓が跳ねるのを感じながら、急いで玄関に向かう。

扉を開けるとそこには彗が立っていた。彼も浴衣姿でいつもと違う姿が新鮮だ。
少し大人びた雰囲気に、つい見とれてしまう。彼もまた私を見て驚いたように目を大きくしていたが、すぐにいつもの柔らかな笑顔が戻ってきた。

「…似合ってるな、浴衣」
照れくさそうに伝える彗のその一言が胸に響いて、頬が自然と熱くなった。

「ありがとう。彗も素敵だよ」

短い会話の中に、確かな温かさがあった。二人で並んで歩き出すと、ふと手が触れそうになる距離にいることが心地よくて、無意識に笑みがこぼれた。

二人で並んで歩いていると彗の存在をすぐ近くに感じる。お祭りの会場に近づくにつれて、賑やかな音や香ばしい匂いが漂ってきた。
屋台がずらりと並び、あちこちで楽しそうな声が響いている。

「どこから回る?」と彗が少しワクワクした様子で尋ねた。

「うーん、あれとかどう?」私は指をさして、綿あめの屋台を見つけた。

「綿あめか…いいな。行くか」と懐かしむように彗が笑う。

二人で綿あめを買い、口に運びながら歩く。ふわふわとして甘いものが舌の上で溶けていくのが心地いい。彗も、いつもよりかリラックスしているように見える。
次は射的を試したり、金魚すくいに挑戦したり、屋台を楽しみながら二人で笑い合った。

「あっ!また破れちゃった」
「ふはっ、何回目だよ。ほら、貸してみ…って破れた」
「ふっ…あはは!何してんのもう」
まるで時間が止まっているかのように、楽しい時間が過ぎていく。彗との会話も、最初は他愛のないことばかりだったけれど、次第に少しずつ深い話になっていった。

「今日、一緒に来れて本当によかった」と私がふと口にすると、彗は少し驚いたように私を見つめた。

「…俺も。嬉しい」
彼の静かな言葉が、心に染み込んでいく。

そして、二人の間にまた自然な沈黙が訪れるけれど、その沈黙さえも心地よく感じた。
私たちはこんな風に穏やかで楽しい時間を過ごしていた。

花火がもうすぐ上がる頃、お祭りでよく売ってあるお面を買うことにする。

「これとか?」
「ふふ…変な顔のお面だね」
「そうか?想乃のやつも相当変だろ」

お互いに笑い合いながら賑やかな会場に包まれていく。けれど私はどうしても、花火を見たい場所が一つあった。

「彗!こっち来て!」
私はお祭りの賑やかな雰囲気を背に、彗を人の少ない神社の方へと誘った。

「実はここね、花火が綺麗に見えるんだよ」

「っ…ここって」
彗が驚きの表情を浮かべた瞬間、空に大きな花火が打ち上がる。二人ともその美しさにあっけにとられる。

光の帯が夜空を切り裂き、まるで星々が一瞬で落ちてきたかのように心を奪う美しさだ。爆音と共に開花する花火は、真っ赤な炎のように燃えまるで命が宿っているかのように輝いている。

彗の横顔は、驚きと喜びに満ちていた。
暗い夜空を背景に、色とりどりの花火が次々と咲き誇る様子は、まるで無邪気な子供の心をそのまま映し出しているかのようだった。彼の目はキラキラと輝き、そこには幼い頃の思い出がよみがえったのか心からの笑顔が広がっている。

「やっぱ綺麗だな…」
彗の声は、まるでその場の雰囲気を共鳴させるように響く。その瞬間、彼の笑顔が私の心を暖かく包み込む。

それはまるで────あの日見た花火のようで心に深く響いてきた。

「っ想乃…?」
私は思わず彼の手を握った。花火は空でキラキラと輝き、だけどその瞬間はすぐに終わってしまう。でも、その一瞬で皆が笑顔になるんだ。

「君の笑顔は、そんな花火みたいな…素敵な笑顔。君の心からの本当の笑顔が大好き」

『────お祭りの人混みで迷子になったらしくて、めちゃくちゃ泣いてたんだよな。あの泣き虫、今どうしてるんだろうな…』
彼の言葉を思い出す。君の…優しい過去。

「ねえ気付いた?あの泣き虫はもう泣いてなんかないよ。あの時みたいに、君がいるから」

「それってどういう…」
その瞬間、彼の顔にあの時の記憶が蘇る。あの時、花火を共に見た少女。彗は私だとは気付いてなかったけれど知ってほしくなった。
君はもう既に二度も私を助けて、笑顔にしてくれたことを。

「っ…俺、なんで気付かなかった、んだよ」
彼の表情は、嬉しさと驚きに満ちていた。
そして目にはまた涙が浮かんでいる。彗の方が、案外泣き虫だったりするのかもしれない。

「彗は前から変わらないよ、優しい優しい君の笑顔は私をいつも笑わせてくれる。君の笑顔はあの時と同じように無邪気で、光る花火みたいだった」

私は心からそう感じていた。彗の笑顔が、やっぱり花火みたいだと。

「仮面なんか私たちにはいらないよ」

それぞれが仮面を被っていて、内に秘めた苦しみや葛藤がある。誰しもが必ず弱さを持っている。
でもそんなこと関係ないんだ。過去なんて、関係ない。私たちが大切にしたいのは───今この瞬間だ。

空に花火が上がるなかで、幼い頃の思い出が蘇る。
小さな頃の両親のこと、愛し合っているはずなのに、怒鳴り合う姿。それを見ていた小さな私が感じた恐怖。そして彗も同じように必死に抱えてきた苦しみ。

傍にいたい───そう伝えてくれた彼の気持ちが間違いではないならば。私は君と、この先の未来も歩んでいきたい。

「私は、彗が好き(・・)だよ」

「…っ!」
真剣な表情で伝えた私の言葉に驚きと、それだけではない。彗の心の中の葛藤が、言葉にはならないまま彼の表情に浮かんでいる。
その深い思いに、彼が抱える重みを感じる。静かに目を閉じる

「俺は…」
彗は決心がついたかのようにさっき買ったお面を外してから、優しい眼差しを向けてくれた。

「ずっと…怖かったんだ」
彗が一瞬、遠くを見つめるように視線を外す。私たちの間に静けさが漂い、彼の声が再び響くまでの数秒がやけに長く感じた。

「恋をするとか、家族を作るとか…そういう未来を考えるたびに、自分には無理だって思ってた」

その言葉に込められた苦しみが私の胸にじわりと響いてくる。彼の表情は、笑顔の仮面をかぶっていた頃の自分と重なるような気がした。

「俺さ、ずっと見てきたんだよ。両親がどうやって壊れていくのか…それが怖くて仕方なかった」

彗の声は少し震えている。

「大切な人ができるたびに、それが壊れるんじゃないかって。俺もそうなるんじゃないかって、怖くて…逃げてたんだ」

私は彼の手を握り返した。彼がどれだけ不安を抱えていたのか、そしてそれが彼をずっと苦しめていたことが痛いほど伝わってくる。

花火があがり続けるなかで、彗はさらに声を張って続ける。

「でも、想乃と出会ってそんなの関係ないくらいにそばにいたいと思った。守りたいって…そう思った」

「っ、うん…」
真剣で、それでいて優しい表情を浮かべる彼を見ているとつい声がくぐもってしまう。

「想乃は俺を花火みたいだって言ってくれたけど…」
彗は一瞬言葉を切り、私をじっと見つめる。その瞳にはどこか懐かしさが滲んでいた。

「ずっと…それは想乃の方だったよ」
彼の声は優しく、でもどこか不器用だった。昔のことを思い出すように少しだけ笑っている。

「女の子が泣いてたあの日も…その笑顔を見た瞬間、嬉しくなった。辛い事も沢山あって、それでもあの瞬間だけは忘れられた気がした」

私は思わず黙ってしまった。彗の言葉が私の心に優しく降り注ぐ。私もその記憶が鮮明に蘇ってきた。幼い頃の、あの懐かしい夏の夜。

「想乃がその子だったって気づかないでさ…馬鹿だよな」
「ううん…私も最初は気付けなかったよ」
彗は苦笑いを浮かべたが、その顔にはどこか温かさがあった。

「でもさ、想乃。気づいたら、俺はまた救われてた。高校で再会した想乃を見て昔と同じように…惹かれていった」

私はその言葉を聞きながら、胸が熱くなるのを感じた。彗も私と同じように過去の瞬間のことをずっと大事にしていたのだ。

「想乃の本心からの笑顔を見るたびに、あの夏の夜のことを思い出してた…。そんな訳ないと思ってたけどそんなことなかった。あの女の子は、想乃だった」

彗は照れくさそうに少し顔を伏せるが、再び私を真っ直ぐ見つめた。

「───俺を、あの日見た花火のように照らしてくれたのは、ずっと想乃だけだ」

「彗…」
彼は静かに瞳を閉じて、私の手を優しく握り返してから続ける。

「…俺、気持ち伝えんのも下手だし想乃が思ってるよりずっと馬鹿だ」
呟くようにそう言う彗にうん、と穏やかなトーンで返す。

「すぐ…嫉妬もする。全然余裕なんかもてない」
「──うん」
「人の気持ち察するのだって苦手だ。言葉にしてもらわないと気付けない」
「──うん」
知ってるよ。言葉にしなきゃ伝わらない想いもあることを。それはそんなに悪いことじゃない、ってことも。

君の口元が少しだけ震えているのが見える。けれど私が何かを言う前に、大きく息を吸ってから、また口を開いた。
先程よりも手の体温は高くなり、握る力もわずかに強くなったように思う。私は続きを──彼の想いを、静かに聞くことにした。

「…きっと、手放せなくなる。想乃が後悔しても…っ諦められる自信なんてない」

その言葉に思わず目を見開いてしまう。苦渋に満ちた表情を浮かべる彼に、声をかけるべきことが次々に思い浮かぶ。
嫉妬なんてむしろ彗よりもしてしまうこと。察してほしいなんて思ってないこと。後悔なんてするはずがないこと。
私は君の傍で笑い合えたなら──それだけで幸せなのだということ。沢山沢山、あるんだ。でも今はこの言葉だけで十分だ。

いいよ(・・・)
全部いいんだよ。彗がいれば。
見開かれた瞳は少し潤んでいるように見えた。けれどそれと同じくらいに口元には大好きな笑みが浮かんでいる。

「うん…想乃のことが──好きだよ」
その瞬間、空に大きな花火が打ち上がる。これは最も大きな花火だろう。彗が照らされる姿は、あの日の男の子と重なった。

あぁ、やっぱり彗なんだなって実感が湧く。

「っ…!うん、私もだよ」
私は飛びつくように彼を抱きしめた。強く、強く。もう決して君が傷つかないように。
心の穴をなかった事にはできなくても、少しずつ埋められるように、パズルのように欠片をはめていけることならできる。

だって私たちはこれからもずっと一緒にいる。傍にいるから。

彗の温もりを感じながら、私はその瞬間が永遠に続くことを願った。二人の間に流れる静けさと、周りで花火が打ち上がる音が心に響く。
過去の痛みを抱えながらも、今ここで新たな未来を共に歩む決意が固まった。私たちの物語は、これから始まるのだと感じた。

「大丈夫、私たちなら一緒に乗り越えられるよ」

この言葉を彗にかけると、彼は少し驚いた表情を見せたが、すぐに柔らかい微笑みが返ってきた。
もう"仮面"という言葉とは程遠い、その笑顔を見て私は心から安心する。

来年も、再来年も──どれだけ歳月が巡っても、花火のように咲く君の笑顔は、きっと変わらないのだろう。