(2)
「え、うそ。南さんと購買の兄ちゃん、マジで付き合ってるの?」
ぼんやり程度に開いていた瞼が、ぱちっと勢いよく覚醒する。
会話の主の方へそれとなく耳を傾ける。どうやら今いる手洗い場の外で、男子数名が話しているらしい。
「イブさん? いや、知らねーけど。ただ、2人が親しげに話してるところは何度か見たな」
「クラスの女子も、似たようなこと話してギャーギャー騒いでた」
「まじかよー、南さん、結構タイプだったのにー」
南とは、奈津美の苗字だ。
どうやら話をする男子の中に、奈津美に思いを寄せている者がいるらしい。
別に驚きはしない。やや破天荒な性格で忘れそうになるが、奈津美はかなりの美人だ。それこそ、モデルは自分で済ませたら、と言いたくなるくらいの容姿をしていた。
「奈津美ってばモテモテだね。芽吹」
「ひゃっ、は、華さん……」
いつの間にか背後に立っていた。そういえば一緒にお手洗いに来たんだ。
「奈津美とお兄さん、最近噂になってるみたい。コンテストのことで、話す機会が増えたものね」
「んー、何だか奈津美に申し訳ないような……」
でも確かに、と先日の撮影のことを思い返す。
お互い何となく性格も似ているし、仮に付き合ってもきっと馬が合うだろう。
それに、並んで何か話している姿は、長身同士ということもあって絵になっている。
……まあ、奈津美がそんな気になるなんてつゆほども想像できないが。
「奈津美も噂には気づいてるみたい。でも、別に気にしないって」
「奈津美は噂ごときに動じるやつじゃないもんねえ」
ふふ、と笑みを洩らせば、華もふんわりと笑みを返した。
件の男子たちの横を通り抜け、芽吹たちは教室に戻っていく。
「そういえば奈津美、コンクール提出用の本番写真を撮りに遠出しようって言ってたよね。どこ行くんだろ?」
芽吹の写真嫌いも無事終息したと判断したらしい。先日のコンビニに立ち寄った際に、奈津美が嬉しそうに告げたことだった。
「わからない。でもきっと、素敵な場所だよ」
「華は行けそう? 一泊になる予定ってことだったし、お家がそういうの厳しいんじゃ」
「理由なく外泊するのは厳しい。けど、今回はちゃんと理由があってのことだから、私がきちんと話せば大丈夫」
「よかった。まあ後は、私の体調をしっかり整えなくちゃだね」
「大丈夫。お兄さんも私たちもいる。それに芽吹、すごくすごく頑張ってるもの」
可愛い。癒される。天使だ。
微笑む華の背後に後光を感じ、その小柄な体をすっぽりと抱き締めた。
胸の奥に浮かんでいた微かな違和感も、その温もりですうっと消えていく。
「芽吹。ちょっとこっち来て」
お風呂を出た後、リビングで背中を丸めている息吹が来い来いと手招きする。
リビングの机には小型のパソコンが置いてあって、そこには先日撮影した芽吹の写真が並んでいた。
「パソコン、持ってたの?」
「買った。やっぱり電子機器がないと、日本じゃ色々やりにくいね」
「ん、そうかもね」
言いぶり的に、きっと以前は別のものを所有していたのだろう。でも息吹の手持ちの荷物には、そういった込み入ったものは一切目にしたことはなかった。
この家に来る前に処分してきたということだろうか。でも、どうしてわざわざそんなことまで。
「見て。この写真」
思考の波にのまれかけていた芽吹を、凛とした息吹の声が救う。
手際よく操作され指さされた写真に視線を移し、芽吹は目を見開いた。
「す、ごい。綺麗な1枚」
「空のいい塩梅の時を狙ったよね。ピントも、まあ問題ないくらい」
「ピント? 他の写真もだけど、そんなぶれてるものは」
「まあ、写真見慣れてないと、わからない程度だよ」
息吹が穏やかに告げる。「それに」
「芽吹の目が、いい。真っ直ぐ何かを目指してる目。綺麗だ」
「……そう、だといいな」
ついドキッと跳ねた心臓を誤魔化すように、芽吹は言葉を探す。
「で、でも。息吹はそれこそプロのモデルさんをたくさん見てきただろうから、目も肥えてるんじゃないの?」
「俺は、ポートレートは専門じゃないから」
「ポートレート」
「人を主役にした写真ね」
「あ、なるほど」
「だから本当は、今回の指南役にも力になれない気もするんだけど」
ぐいーっと大きく伸びをして、肩をぐりぐり回す。届いた鈍い音にけげんな表情を浮かべると、息吹がにっと笑みを浮かべた。
「芽吹が頑張ってるのを眺めてるのは、単純に楽しい。そういう意味では、引き受けてよかったかもね」
「私だけじゃなく、みんな頑張ってるよ。奈津美も華も」
「お兄ちゃんはいつだって妹優先だから」
「っ、ちょ」
まだかすかに湿りを残した芽吹の髪を、息吹が優しく撫でる。
「あ、そだ。ちょっと待ってて」とリビングを後にした息吹を見送り、芽吹は再びパソコンを見た。でも、思考は別のところにある。
「ポートレートは専門外……ということは、風景専門?」
なるほど。どうりでこの部屋の大判フレームに、風景写真しか埋まってないわけだ。
中には動物が小さく写り込んでいるものもあるが、人がしっかりとらえられているものは1枚も見当たらなかった。
またひとつ、息吹のことを知ることができた。のかな。
「芽吹」
「え、何それ」
「いいからいいから。ここ座って。お姫様」
「え、うそ。南さんと購買の兄ちゃん、マジで付き合ってるの?」
ぼんやり程度に開いていた瞼が、ぱちっと勢いよく覚醒する。
会話の主の方へそれとなく耳を傾ける。どうやら今いる手洗い場の外で、男子数名が話しているらしい。
「イブさん? いや、知らねーけど。ただ、2人が親しげに話してるところは何度か見たな」
「クラスの女子も、似たようなこと話してギャーギャー騒いでた」
「まじかよー、南さん、結構タイプだったのにー」
南とは、奈津美の苗字だ。
どうやら話をする男子の中に、奈津美に思いを寄せている者がいるらしい。
別に驚きはしない。やや破天荒な性格で忘れそうになるが、奈津美はかなりの美人だ。それこそ、モデルは自分で済ませたら、と言いたくなるくらいの容姿をしていた。
「奈津美ってばモテモテだね。芽吹」
「ひゃっ、は、華さん……」
いつの間にか背後に立っていた。そういえば一緒にお手洗いに来たんだ。
「奈津美とお兄さん、最近噂になってるみたい。コンテストのことで、話す機会が増えたものね」
「んー、何だか奈津美に申し訳ないような……」
でも確かに、と先日の撮影のことを思い返す。
お互い何となく性格も似ているし、仮に付き合ってもきっと馬が合うだろう。
それに、並んで何か話している姿は、長身同士ということもあって絵になっている。
……まあ、奈津美がそんな気になるなんてつゆほども想像できないが。
「奈津美も噂には気づいてるみたい。でも、別に気にしないって」
「奈津美は噂ごときに動じるやつじゃないもんねえ」
ふふ、と笑みを洩らせば、華もふんわりと笑みを返した。
件の男子たちの横を通り抜け、芽吹たちは教室に戻っていく。
「そういえば奈津美、コンクール提出用の本番写真を撮りに遠出しようって言ってたよね。どこ行くんだろ?」
芽吹の写真嫌いも無事終息したと判断したらしい。先日のコンビニに立ち寄った際に、奈津美が嬉しそうに告げたことだった。
「わからない。でもきっと、素敵な場所だよ」
「華は行けそう? 一泊になる予定ってことだったし、お家がそういうの厳しいんじゃ」
「理由なく外泊するのは厳しい。けど、今回はちゃんと理由があってのことだから、私がきちんと話せば大丈夫」
「よかった。まあ後は、私の体調をしっかり整えなくちゃだね」
「大丈夫。お兄さんも私たちもいる。それに芽吹、すごくすごく頑張ってるもの」
可愛い。癒される。天使だ。
微笑む華の背後に後光を感じ、その小柄な体をすっぽりと抱き締めた。
胸の奥に浮かんでいた微かな違和感も、その温もりですうっと消えていく。
「芽吹。ちょっとこっち来て」
お風呂を出た後、リビングで背中を丸めている息吹が来い来いと手招きする。
リビングの机には小型のパソコンが置いてあって、そこには先日撮影した芽吹の写真が並んでいた。
「パソコン、持ってたの?」
「買った。やっぱり電子機器がないと、日本じゃ色々やりにくいね」
「ん、そうかもね」
言いぶり的に、きっと以前は別のものを所有していたのだろう。でも息吹の手持ちの荷物には、そういった込み入ったものは一切目にしたことはなかった。
この家に来る前に処分してきたということだろうか。でも、どうしてわざわざそんなことまで。
「見て。この写真」
思考の波にのまれかけていた芽吹を、凛とした息吹の声が救う。
手際よく操作され指さされた写真に視線を移し、芽吹は目を見開いた。
「す、ごい。綺麗な1枚」
「空のいい塩梅の時を狙ったよね。ピントも、まあ問題ないくらい」
「ピント? 他の写真もだけど、そんなぶれてるものは」
「まあ、写真見慣れてないと、わからない程度だよ」
息吹が穏やかに告げる。「それに」
「芽吹の目が、いい。真っ直ぐ何かを目指してる目。綺麗だ」
「……そう、だといいな」
ついドキッと跳ねた心臓を誤魔化すように、芽吹は言葉を探す。
「で、でも。息吹はそれこそプロのモデルさんをたくさん見てきただろうから、目も肥えてるんじゃないの?」
「俺は、ポートレートは専門じゃないから」
「ポートレート」
「人を主役にした写真ね」
「あ、なるほど」
「だから本当は、今回の指南役にも力になれない気もするんだけど」
ぐいーっと大きく伸びをして、肩をぐりぐり回す。届いた鈍い音にけげんな表情を浮かべると、息吹がにっと笑みを浮かべた。
「芽吹が頑張ってるのを眺めてるのは、単純に楽しい。そういう意味では、引き受けてよかったかもね」
「私だけじゃなく、みんな頑張ってるよ。奈津美も華も」
「お兄ちゃんはいつだって妹優先だから」
「っ、ちょ」
まだかすかに湿りを残した芽吹の髪を、息吹が優しく撫でる。
「あ、そだ。ちょっと待ってて」とリビングを後にした息吹を見送り、芽吹は再びパソコンを見た。でも、思考は別のところにある。
「ポートレートは専門外……ということは、風景専門?」
なるほど。どうりでこの部屋の大判フレームに、風景写真しか埋まってないわけだ。
中には動物が小さく写り込んでいるものもあるが、人がしっかりとらえられているものは1枚も見当たらなかった。
またひとつ、息吹のことを知ることができた。のかな。
「芽吹」
「え、何それ」
「いいからいいから。ここ座って。お姫様」