(3)
「なるほど。昨日のセンチメンタルから般若の顔になってたのはそういう訳ね」
 昼休みの教室。昨日起こった奇想天外な出来事に、南奈津美(みなみなつみ)はにたにたと笑いながら頷いた。
「もともと子どもっぽいところがある両親だけど。そして多少過保護とは思ってたけれど。こうも発想が飛ぶとは……」
「芽吹。これ食べて、元気出して」
 奈津美の隣に座る折鶴華(おりづるはな)が、静かに板チョコを差し出した。購買でわざわざ買ってきてくれたのか。有り難く受け取り、そのまま華の黒髪を撫でた。手入れが行き届いたきれいな髪だ。
「てか。いつまでにやにや笑ってんの、奈津美」
「ふふふ。だって、芽吹がそんな感情むき出しになるのなんて、滅多にないじゃん。こりゃ面白いことになりそうだ」
 奈津美に相談した自分がバカだった。彼女お得意の人間観察の矛先を向けられると、ろくなことにならない。
「でも、芽吹にお兄さんがいたなんて、ちっとも知らなかった」
 と、小首をかしげた華が言った。
「うち、少し家庭に事情が複雑でさ。兄がいるって言っても、私が物心ついたときはもう家を出てたのよ」
 前置きの後、簡単にうちの簡易歴史を伝えた。
「え、それじゃあそのお兄ちゃんは、半分血がつながってるお兄ちゃんってわけ」
「まあそうなるね」
 半分でも血が繋がってるなら、どこか似てるところもありそうなものだけど。自分と似ている要素を探し始めている自分に気づき、芽吹は慌ててかぶりを振った。
「今日からどうしよう。能天気両親はアメリカだし、あの男は家の鍵を持ってるし」
 とどのつまり、家に帰れば必然的にあの男が待つことになる。怖い。先の展開が読めなさ過ぎて怖い。一応「もうパンイチで出迎えるのはやめるから」との言質をとったが、それもどこまで信用できる?
「まあ、なるようになるさ。今はひとまず、美味しい昼食を堪能することに集中すべきじゃない?」
「芽吹。これもあげる。元気出して」
 どこからどう見ても面白いことを眺める視線でけたけた笑う親友と、決して豊かではない表情のなかに心配を浮かべる親友。後者の差し出すキャラメルを口に放り、芽吹は2人を交互に見る。
 南奈津美と折鶴華は、高校入学とほぼ同時につるみだした友達だ。
 芽吹自身、奈津美のように社交的要素はなく、華のようにしとやかさも持ち合わせていないと思っている。
 でもそれがいい具合に中和されて、この落ち着ける関係があるかもしれない。


 むかえた放課後。
 家にまっすぐ帰る以外、特段予定のない自分が恨めしい。こんなことなら、別の部活に入りなおせばよかったかもしれない、と芽吹は思う。
 溜め息をつきながら階段を下り切ると、購買前で作業をする人の姿に自然と駆け足になった。
「ちょっと待って智(とも)ちゃん。その荷物持つよ。どこまで運ぶの」
「あー、ごめんね来宮ちゃん。台車に乗せたら、後は資料室にもっていくだけなんだけどね」
 わかりやすく申し訳ない顔をする購買のお姉さんの智子(ともこ)――通称「智ちゃん」の手から、芽吹は段ボール箱をひったくった。
「ちょ、待った待った! 台車くらい1人で押せるって」
「いいから、無理しない。力んだらお腹から出てきちゃうよ。ぽこんと」
「ははは、そりゃ洒落にならないわー」
「大きくなったね。今月いっぱいで、購買のお姉さんも辞めるんだっけ」
「そうだねー。いやはや、ここまで無事に育ったのも、可愛い生徒たちのお陰だよ」
 すっかり丸く張り出したお腹を、智子は愛おしげに撫でる。そんな大きなお腹を抱えて、一体どう日常生活を送っているんだろう。
 資料室まで運び入れる途中、智子はポンと自らの手を打った。
「そう。私ね、来宮ちゃんにずっとお礼を言いたいと思ってたんだ」
「お礼?」
「ほら。妊娠報告したとき、男子が騒いだのを止めてくれたじゃない? あのときは、本当に助かった。ありがとう」
 言われてようやく思い出した。智子が結婚した数か月後、妊娠の噂が広がったときのことだ。
 妊娠4か月目と告げた智子に、同じクラスの男子がわざわざ入籍日からの期間を計算して言ったのだ。「智ちゃん結婚したの、3か月前だよね。それじゃ、出来婚だ」
 購買周辺があっという間にざわめいた。
 指摘した男子は敵の首をとったように鼻の穴を広げ、智子は予期しない羞恥と屈辱に頬を真っ赤にした。
 そして次の瞬間、購買横の自販機にどんと鈍く響く音が響いた。
「子どもみたいに騒ぐのやめたら」
 力任せに自販機を蹴り上げたことを無視して、芽吹は口を開いた。
「妊娠周期はね。数え方が特殊なの。聞いたことない?」
 話の根源の男子は「は?」と動揺を押し込んだ笑みで芽吹を見た。
「妊娠1か月0日時点では、まだ妊娠してないの。実際に妊娠が成立するのは1か月後半。妊娠に気づくのが一般的に2か月目以降なのもそれが原因。単純な期間計算じゃ判断できないの、理解できた? それ以前に、どうあれ妊娠はおめでたい話だと思うんだけど。違う?」
 話打ち止めの舌打ちを鳴らしたのは、男子じゃなく芽吹だった。
 あの時以来、芽吹には一部の男子に「基本大人しいけど琴線に触れたらやばい女」という有り難い称号が付いた。